キャッチコピーは“When you see a a Bluefin Tuna, think Panda“(クロマグロをパンダに置き換えたらどんな気持ち?ねえどんな気持ち?)だそうで、反捕鯨団体「シー・シェパード」は、次なるターゲットを「クロマグロ」に絞り、築地市場での競りの様子などを隠し撮りした写真のマグロの部分を、今日本で大人気のパンダに置き換え、こんなポスターを作ったみたいなんだ。
![「クロマグロをパンダに置き換えたらどんな気持ち?ねえどんな気持ち?」シーシェパードの作ったポスター : カラパイア](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/afadca4e75f659b59192da74947eb1d99f9e92a9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fkarapaia_zaeega%2Fimgs%2F4%2F3%2F43902ff3.jpg)
個人用。玉井先生のツイートのみで構成しました。 --- 追加 「業務妨害というが、試験官の業務はカンニングをチェックすることも含まれているのでは?」 をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/108209
最近、ちまちまとラヴクラフト全集を再読しているのですが、あらためて強く意識させられるのが、恐怖感についての日米文化の違いです。たとえばラブクラフトがさも自明のごとく使う「冒涜的」という表現の、いったい何がどう冒涜的なのか、まるでぴんとこないこと。また、クトゥルーや南極の〈古きもの〉がさほど怖いとも思えず、それどころか、むしろちょっとかわいいじゃん。などと愛着に近い感情すらおぼえてしまったりすること。こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。 ラブクラフト作品での「冒涜的」という形容は、宗教上の教義と相容れないものごとだけでなく、普通でない、なじみがない、理解できない、ありえない、と語り手が感じる対象ことごとくに向かってつかわれます。キリスト教文化圏では、何
by bigdmia 「ブラック・スワン」の熱演で先日アカデミー主演女優賞を受賞したナタリー・ポートマンは、ハーバード大学で心理学を専攻した際の共著論文によりエルデシュ数「5」を持っているそうです。 論文を書いたことがある人なら調べてみると持っているかもしれない数「エルデシュ数」とは、一体何をあらわしているのでしょうか? 詳細は以下から。Erdös Number Project - The Erdös Number Project - Oakland University エルデシュ数 - Wikipedia 名前だけ聞くとなんだかすごそうな数「エルデシュ数」ですが、要は論文の共著者を何人たどるとポール・エルデシュ(生涯に500人以上の研究者と共同研究し1500本もの論文を発表したハンガリーの数学者)にたどりつくか、という数。エルデシュ本人と共同研究したことがある人物のエルデシュ数は「1」
今回の京都大学をはじめとする入試における「カンニング事件」は、いろいろな意味で心が痛む。 京都大学が被害届けを出し、「偽計業務妨害罪」でカンニングをした学生が逮捕されるに至ったことに、強い違和感を覚えるものである。 その理由の第一は、「大学の自治」、「学問の自由」にある。 入学者をどのように選考するか、という問題は、「大学の自治」の根幹にかかわるものと考える。どのような資質を持った人から、大学を構成するかということは、大学における学問、研究、教授の基礎をなすものであり、大学が、もっとも大事にしなければならない点である。 1952年の「東大ポポロ事件」に見るように、かつては、大学の自治はもっと大切にされ、さまざまな議論があったと思う。今回の事件において、京都大学の関係者が「被害届け」を出してしまったことは、「大学の自治」の点から疑問である。日本の大学が、大きく変質してしまったことを感じる。
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