桐生市の小学生の自殺のことに関しては、ようやく今日になって、自殺の原因になったイジメ(そのこと自体を、まだ学校側は認めてないようだが)の背景に民族差別の要素があったことを示唆したり強調する(小倉智昭など)論調が、一部マスコミにも出てきた。 イジメというのは、何が原因であっても起きる。 いや、原因がなければ、それを無理やり作り出しても行われるのが「イジメ」という社会現象であり、それは社会全体の縮図だと言われるのも、その通りだろう。 そして、民族的というのか、国籍や人種に関することでは、政治的にも文化的にも、子どもたちが「標的作り」、「理由作り」のお手本にする材料は、この社会には満ち溢れているのである。 今回の出来事に関する発言に対する、こんな過剰反応も、その歪んだ社会のあり方を示す一例だと言える。 http://han.org/blog/2010/10/post-147.html イジメの原