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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (6)

  • 「通名」について - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/thir/20090414/p1 後輩にいぢめられました。 まあ、「通名」は在日特権であるという議論がいかにばかげているかについてはこちらがよくまっているので、 ■在日朝鮮人の通名が特権だという人は特権の意味がわかってるの? http://d.hatena.ne.jp/sube-sube/20090414/p1 わたくしが付け加えることはないのですが、少しだけ捕捉しておきます。 「通名」を使うのが卑怯だと思い、「名」を詮索するその心性自体がレイシズムです。 たとえば、ナチス・ドイツは、ドイツ風の名前をつけ、ドイツ人に「紛れ込む」ユダヤ人を「卑怯」として、女性にはサラ、男性にはイスラエルというミドルネームをつけることを義務付け、誰がユダヤ人であるか「明確に」わかるようにしました。 「在日」は「堂々と」「在日」であるとはっきり分からなければならず、

    「通名」について - 過ぎ去ろうとしない過去
    sharou
    sharou 2009/04/16
  • 個人と民族主義 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■民族主義の問題 http://www.mojimoji.org/blog/nationalism ■民族主義とは別の道 http://www.mojimoji.org/blog/0179 ■民族主義の問題、その2 http://www.mojimoji.org/blog/nationalism2 mojimojiさんの議論は、次のような図式を前提にしている気がします。 そもそも、在日コリアンとか、沖縄人といったカテゴリは、たとえば在日コリアンの家族あるいは沖縄で生まれた者にたいして、アプリオリにはその質を規定しない。したがって、「あるべき」在日コリアンや沖縄人は存在しない。在日コリアンであるとか沖縄人であるとかいったものは、男や女あるいはセクマイなどと同様に、「わたし」を構成する要素のひとつとして存在する。その要素にたいしてアイデンティティを持ち、その要素を尊重して生きることは否定され

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    sharou
    sharou 2009/04/02
  • シンティ・ロマにたいする補償 - 過ぎ去ろうとしない過去

    良い論文を見つけたので紹介する。 https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/8287/1/g_housei_p095.pdf 戦後すぐのドイツにおいては、連邦補償法の枠組みにおいて「被害の序列化」があった。ユダヤ人にたいしては手厚い補償がはかられたが、シンティ・ロマにたいしてはなんら補償が行われなかった。彼らの補償がはじまったのは80年代からだが、その運動に影響をおよぼした媒体のひとつに、ドラマ「ホロコースト」の中でシンティ・ロマにたいする迫害が描かれていたことがあった。 この事実からも、いかにユダヤ人の「ホロコースト」がプロパガンダによって特権化されているという言説がくだらないものかわかる。

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    sharou
    sharou 2009/03/27
  • 雇用の流動性をはかれという議論に欠けているもの - 過ぎ去ろうとしない過去

    「強い」正規社員の保護をゆるくして雇用の流動化をはかれという声がありますが、前提を忘れていると思います。 そもそも、なぜ日では正規社員の雇用が強く守られてきたかというと、それは貧弱な社会福祉制度とセットでありました。高度成長以来、欧州で行われてきた教育や医療を無償化するなどの社会政策のかわりに、「強い」正規社員の父親が「一家の大黒柱」として教育、医療、介護すべての福祉をカバーする「中流」の「家族」を保護することによって、その穴を埋めてきたのです。この点では終身雇用の年功序列というのはなかなか合理的な制度でした。なぜならば、身軽な若年層よりも、子どもの教育や両親の介護がある中高年層のほうがお金がかかるに決まっているので、より負担が大きい層により多くのお金がいきわたるという仕組みになっていたからです。 もちろん、このやり方は構造上すべての人々に恩恵を与えることはできません。さらに、特定の「家

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    sharou
    sharou 2009/01/06
  • ご用心、ご用心 - hokusyu’s blog

    門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし アニメ版の『一休さん』に、次のようなエピソードがあります。将軍様によってある地域の人々が追い出される。安国寺に逃げ込んだ彼らに一休はべ物を工面するのだけれど、戻ってきてみると女子供しかいない。聞けば、男たちは戦に徴収され、べ物を得るためそこに向かったという。それを知った一休は、髑髏のついた杖を持ち「ご用心、ご用心」と京都の町を練り歩く…。 調べてみるとこのエピソードは、一休宗純が正月に髑髏のついた杖を持って「ご用心、ご用心」と言いながら京都の街を歩いたことがもとになっているそうです。考えてみれば、新年の浮かれ気分というのもそれはしばしば(自己)欺瞞によってなりたっていることがあります。 ■年越し派遣村へ続々、300人突破 厚労省が講堂を開放 http://www.asahi.com/national/update/0102/TKY20

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    sharou
    sharou 2009/01/05
  • もし仮に、それらが全て事実だったとしてもです - 過ぎ去ろうとしない過去

    ”The Subject Supposed to Loot and Rape” http://d.hatena.ne.jp/flurry/180010#25 もちろん、脅威の感覚は物の無秩序と暴力によって喚起されたものである。嵐がニューオーリンズを通過した後、空き巣や生活必需品を探し漁ることなどの程度で略奪が起こった。しかし、このように犯罪が(きわめて限定的な範囲であるが)実際に起こったということによって、法と秩序が全面的に崩壊したという「噂」が免罪されることはない。これは噂が「誇張されていた」からではなく、もっとラディカルな理由に基づくものである。 ジャック・ラカンは、たとえ当に他の男性と不義を働いたとしても、患者の嫉妬は病的状態とみなされると主張した。同様に、たとえ1930年代初頭のドイツにおいて、金持ちのユダヤ人が「実際に」ドイツの労働者を搾取し、労働者の娘たちを誘惑し、人気

    もし仮に、それらが全て事実だったとしてもです - 過ぎ去ろうとしない過去
    sharou
    sharou 2008/09/02
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