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ブックマーク / blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo (6)

  • 栗原潔のテクノロジー時評Ver2 > 米国のテレビがずいぶん先に行ってしまった件について : ITmedia オルタナティブ・ブログ

    一昨日のエントリーでちょっと書いたHuluが大迫さんのブログで詳しく紹介されています。 中でもすごいと思ったのは、動画コンテンツを他のサイトで埋め込み表示するときに、開始点と終了点を指定して埋め込みができるところです。たとえば、ブログや掲示板で「昨日のHey!Hey!Hey!のかしゆか萌え~」(あくまでも例)と書くときに、まさにその「萌え~」の瞬間の動画映像をそこに貼り付けることができるわけですね。これってすごいエクスペリエンスではないでしょうか?これこそが放送とネットの融合のあるべき姿の一例だと思います。 ちなみに、この機能はニコ動よりもちょっと前から中国で動画コメント付けサイトを展開していたMojiti社をHuluが買収したことで実現できたようです。ゆえに、ニコ動式の動画コメント付けがHulu上で実現されることも充分考えられるでしょう。(なお、Mojitiの元々のサイトは既に閉鎖されて

    栗原潔のテクノロジー時評Ver2 > 米国のテレビがずいぶん先に行ってしまった件について : ITmedia オルタナティブ・ブログ
  • ニコニコ動画の妙な臨場感について:栗原潔のテクノロジー時評Ver2:オルタナティブ・ブログ

    動画コンテンツを観ながらみんなでコメントを入れていくというWatch&Chatについては、このブログでもだいぶ前から何回か書いてます。多くの人が同じコンテンツを観て感動を共有するというスポーツバーのような雰囲気をバーチャルに提供するものと言えます。 しかし、ニコニコ動画の場合はよく考えてみると、場所だけはなく、時間軸もバーチャルです。盛り上がった場面にみんなで「一斉に」コメントを入れてる場合でも、実は、それは一斉でもなんでもなくて、1時間前のコメントだったり、1週間前のコメントだったりするわけです。しかし、ユーザーにとってはそんなことは全く気にならなくて、あたかもひとつの場所で同時に多くの人がコンテンツを観ているような妙な臨場感があります。 昔、訳した先進的ITに関するで、グローバルなチームで会議をする時に、米国でやった会議の流れを記録して、翌朝、アジア圏でリプレイして、コメントを加えて

    ニコニコ動画の妙な臨場感について:栗原潔のテクノロジー時評Ver2:オルタナティブ・ブログ
  • 【連載企画】合法的音楽配信サイトを作ってみる(1):栗原潔のテクノロジー時評Ver2:オルタナティブ・ブログ

    Amazonに注文した初音ミクがなかなか届きません><。まあ、どうせ今は仕事が忙しく、作品を作るヒマもないと思いますので気長に待つことにいたします。 さて、初音ミクの登場により、私に限らずアマチュアのDTMer(こんな言葉あるのかな?)にとって、人に聴かせられる(人が楽しんで聴いてくれる)作品を作れる可能性が大きく増しました。私的には、オリジナルを作ってニコニコにアップするのもよいですが、カバー曲を歌わせるのもよいかなーと思っています。カバー曲の場合は、権利処理が必要ですね。 ということで、他人の曲を自分で演奏、あるいは、ミクに歌わせたコンテンツをネット上で合法的に配信する方法を模索しています。私が実際にサイトを立ち上げるのを同時進行的にこのブログで紹介していこうと思います。なお、10月は非常に忙しいので更新が滞る可能性があります。 大前提ですが、このお話しは、JASRAC管理曲を自分で演

    【連載企画】合法的音楽配信サイトを作ってみる(1):栗原潔のテクノロジー時評Ver2:オルタナティブ・ブログ
    shibuyan730
    shibuyan730 2007/09/28
    このひとほんまおもろい
  • 【雑談】「これYouTubeで観たけど」はテレビ的にありなのか?:栗原潔のテクノロジー時評Ver2:オルタナティブ・ブログ

    昨日、「うたばん」を観てたら(あまり好きな番組ではないですが事時に流れていたので)、宇多田ヒカルに過去の番組出演時のお笑いシーンを見せてる時に、彼女は「あー、ワタシこれYouTubeで観たけどさー...」みたいな発言をしてましたが、何のフォローもなく、スルーされてました。 単なる編集もれなんでしょうか?それとも、テレビ的(少なくとも当該番組のディレクター的)には、YouTubeくらいいいじゃんと思っている潜在意識の表れでしょうか?まー、テレビ関係者であってもみんなYouTubeは観てると思いますが。

    【雑談】「これYouTubeで観たけど」はテレビ的にありなのか?:栗原潔のテクノロジー時評Ver2:オルタナティブ・ブログ
  • 貸しレコードの法的およびビジネス的妥当性について:栗原潔のテクノロジー時評Ver2:オルタナティブ・ブログ

    中古CDの話が出たついでに、貸レコード(レンタルCD)についても書いておきましょう。単なるまとめなので、特に新しい情報があるわけではありません。 結論から言ってしまうと、レンタルCDビジネスは、(借りたCDをリップして、CDを返却した後も聴き続けることも含めて)全くの合法ですし、ビジネスの仕組みとしてもそんなに悪くはありません。中古CD問題では、権利者側に金が回るのが最初の(新品の)販売時だけで、後にCDが中古市場を転々と回っても権利者側に(CD-Rの私的録音補償金以外には)適切に金が回らない点が問題とされているわけですが、レンタルCDにおいてはレンタルのたびに権利者側に金が回る仕組みが確立しているからです。 まず、貸レコード(レンタルCD)の歴史ですが、ナガブロさんのところでていねいにまとめてありますので、興味のある方ご覧下さい。貸レコード業者とレコード業界の壮絶な争いの後に、現在の制度

    貸しレコードの法的およびビジネス的妥当性について:栗原潔のテクノロジー時評Ver2:オルタナティブ・ブログ
  • 栗原潔のテクノロジー時評Ver2 > 見出しやタイトルは著作物ではない(今さらではありますが) : ITmedia オルタナティブ・ブログ

    何を今さらの話と思われるかもしれませんが、著作物とは何かという話が続いてますので、その流れで書いておきます。 今のところ、学説においても判例においても、新聞・雑誌等の記事の見出し、小説・楽曲・番組等のタイトル(題号)は著作物ではないとされています。「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術美術又は音楽の範囲に属するもの」とはみなされてないということです。感覚的には、たとえば(「世界の中心で愛をさけぶ」の元ネタとされる)「世界の中心で愛を叫んだけもの」(ちょっと修正:コメント欄参照)なんかは充分に創作的な表現ではないかと思いますし、俳句の「咳をしても一人」が著作物なら「世界の中心で~」も著作物であってもよさそうに思えますが、解釈としては著作物ではないということです。 新聞の見出しについても、記者の方は短いスペースでインパクトのある表現を目指して相当な創作的苦労をされていると思う

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