Saho 𝕏 廃墟と街並み @urbex_34 みんながよく撮りに来る廃エスカレーターだけど、ここへと繋がる小道の直ぐ傍に深い落とし穴ありました。構図に拘って前後不注意になると、非常に危険なのでお知らせします。廃墟のKY運動、進めましょう。 pic.twitter.com/c1Wzop0xrI 2022-05-30 10:52:40
まめち @m0mch1 鬼怒川温泉、残念ながらもう来ないかなという印象。 駅から宿までの街並みの寂れ具合がひどく、行楽気分が台無しになる。部屋から見えるのも、渓谷を挟んだ廃墟のホテルというのはいただけない。 2020-09-06 09:35:53
13年前の“まことちゃんハウス”騒動 楳図氏といえば、その作品が漫画界に止まらない幅広いクリエーターに影響を与えるなど、業界の“レジェンド”とされる一人。赤白のボーダー柄のTシャツがトレードマークの楳図氏のユニークなキャラクターは、テレビのバラエティ番組でも人気だった。 そんな楳図氏がニュースやワイドショーで大きな注目を浴びたのが、この自宅の建築を巡る騒動だった。建築当時に取材したスポーツ紙デスクが振り返る。 「吉祥寺の自宅、通称 “まことちゃんハウス”が話題になったのは13年前の2007年7月のこと。当時建築中だった赤と白のボーダー柄を外壁に施した自宅に対して、近隣住人から『周囲の景観を無視した奇っ怪な建物』『色彩の暴力』などとして、建築工事差し止めを求める仮処分を東京地裁に申し立てたのです。この騒動は連日大きく報じられて、いつしか観光地化し、まことちゃんハウス前で記念撮影する人が絶えな
長崎県沖の端島の全景。軍艦のような姿をしていることから一般的には軍艦島と呼ばれている。© 2018 野口貴文 30年間の研究生活の大半を、古くなった鉄筋コンクリートの状態を診断することに、また「手術」を施すことでコンクリート建築を長生きさせることに費やしてきました。 そんな野口先生に7年前、長崎県のとある無人島にある、世界で最も劣化の進んだコンクリート建築の調査と修復に知恵を貸してほしいという依頼が舞い込んだ時、断る理由はありませんでした。 その島の名は端島(はしま)。鉄筋コンクリートの建物が詰め込まれた6ヘクタールの島が、軍艦のようなシルエットを呈していることから「軍艦島」と一般的に呼ばれています。 海底炭鉱を抱える軍艦島は1974年に無人島となり、そのまま放置されてきました。 住宅を含む木造の建物はすべて台風と高波で吹き飛ばされて消滅してしまいました。コンクリートの建物はかろうじて残っ
2024.4.6~2024.4.21 美しき廃墟の合同写真展&物販展 「変わる廃墟展 2024 in 名古屋」 TODAYS GALLERY STUDIO. NAGOYA 思わず息をのむ…! “廃墟の美しさ”を体感できる写真展 「変わる廃墟展 2024」 3月1日(金)~31日(日) 東京で開催 4月6日(土)~21日(日) 名古屋ギャラリーでの 巡回展も決定!
最近人気のある島巡りや島暮らし。近年では東京の青ヶ島といった隠れた「知られざる島」がスポットライトを浴び、島ブームを加速させています。 現在日本国内にある有人島数は418島、無人島は6,430島もあります。おそらく私たちがまだ見聞きしたことのない島はたくさんあるはず。 そこで、今回は編集部が選んだミステリアスで冒険心をくすぐられる小島を紹介します。 まるで実写版「ラピュタ」のような世界 友ヶ島(和歌山県) 紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」は、地ノ島、虎島、神島、沖ノ島の総名称。 明治時代には陸軍の用地とされていたため、要塞、砲台が築かれていました。今も砲台跡や弾薬庫跡などが残っており、その趣が天空の城ラピュタの世界観を醸し出しているとのことで一時話題になったそうです。 現在は、瀬戸内海国立公園の一部で無人島となっていますが、ラピュタファンだけでなく、歴史を間近で感じたい人なども訪れ、観光地として
8月2 ファンシー廃墟 清里 カテゴリ:珍スポ カワイイがクールジャパンの標語のように0年代から多様され アートや原宿系文化として発信されているが、その数十年前 に今のカワイイ文化どころでない社会現象というか潮流と言 ってもよい流れがあった。 私自身も、保育園や小学低学年だったのだが、やぼったい 聖子ちゃんカットの女子大生や気味の悪い丸文字、観光地 のマグカップなどを覚えている。 最初の写真は廃墟でなく、清里のランドマークである清泉寮 であるが、元々はアメリカ人牧師ポールラッシュによって建て られたキリスト教の青年道場のような施設であった。 そのような正統派の施設が、名物の濃厚ソフトクリームや清 泉寮から見える山々の風景が70年代後半に女性誌に注目 されると、どっと女子大生を中心とした若者が押し寄せるよう になった。 ちょうどそのころはカワイイファンシーなものがあふれており、 女子大生が集
魅力的かつ安全な地下空間を創造することは、大都市が抱える課題の1つでもある。重要な要素の1つは「光」だ。廃墟となっていた既存地下空間を緑豊かな都市施設へと変える、太陽光反射システムを使ったニューヨークでの試みを紹介する。(菊地 雪代/アラップ) 米国・ニューヨークで構想されている、世界初の地下公園「ロウライン(Lowline)」。建物の密集したマンハッタンの街なかの廃駅となった地下空間で植物を育てるため、太陽光を追尾する反射鏡システムなどを使って自然光を取り入れる計画だ。 コンピューター・シミュレーションだけでは分かり得ない複雑な昼光システムをテストするため、クラウドファンディングで調達された資金によって、ジェームス・ラムゼイ(James Ramsey)がコンセプトを構想した最初の実験展示「Imagining the Lowline」を2012年に発表した。その反響は大きく、現在また新しい
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ソニーのミラーレス一眼、『NEX-6』を使って撮影された軍艦島の特集記事を、GW期間中3回に渡ってお届けしてきました。360度のパノラマVRで作られた激レアな画像はご覧になりましたでしょうか。まだの方は、みやすくまとめを作成しましたので、この機会にぜひいかがでしょう。 軍艦島を360度 普通に行ったら絶対見られない絶景パノラマ:その1 長崎県端島。通称、軍艦島。本当の島の名前よりもその通名の方が有名かもしれない。石炭産業で栄え、ピーク時には世界一の人口密集地帯という時代もあったこの島は、1974年の炭坑の閉山とともに無人島となり、今や島全体が廃墟となっている。海上から見た島の姿が軍艦のように見えることからその名がついたと云われているが、今回撮影のためチャーターした船が夜明けとともに島に近づくにつれ、正しくその通りだと思えた。 続きを読む→ 軍艦島を360度 普通に行ったら絶対見られない絶景
長崎の沖合いの島、端島。周囲1200mの小さな島。1810年に石炭が発見され、明治に入ってから本格的に開抗されたこの島は、良質の石炭を産する島として海底炭鉱の開発がすすめられ、三菱石炭鉱業の主力炭鉱として栄えていた。小さな島は埋め立てによって次第に拡張され、本来の島は現在の1/3ほどの面積だったという。それでも狭い島に大勢の人が働くために、鉄筋コンクリートの高層アパートが林立し、最盛期には5000人以上の人々が生活していた。 細長い狭い島に高層建築がひしめく異様な姿が、三菱造船長崎造船所で建造された戦艦『土佐』に似ていることから、軍艦島と呼ばれた端島。その島の炭鉱は1974年1月15日に閉山され、4月20日には無人島になった。多くの建物は取り壊されることもなく、往時の姿をとどめたまま次第に朽ち果てていく。いつしか、軍艦島は“廃墟の島”として好事家に知られる島になった。 NHKのドラマのロケ
横須賀市内の古いトンネルを訪ね歩く「横須賀隧道めぐり」ツアー。写真は1933(昭和8)年に作られた「向坂隧道」を見学する参加者たち。 横須賀市内の古いトンネルを訪ね歩くツアー「横須賀隧道(ずいどう)めぐり」が12月5日・12日に初めて実施され、関東各地から合計50人が参加して好評だった。企画は「ティーゲート」(東京都千代田区)、横須賀市観光協会が協力。神奈川県観光資源開発支援事業の一環。 「近代土木遺産」に認定されたJR田浦駅の鉄道・貨物トンネル 同ツアーは、市内の200を超えるトンネルの中から建設様式や歴史性など特徴のあるトンネルを選んで案内するもの。案内人は、「廃道本」(実業之日本社刊)などの著作がある平沼義之さん。 平沼さんは「横須賀は海と山に囲まれた地形でトンネルが多い。明治の頃から軍港として発展し、人の移動や物資輸送で軍港を支えたのが大小200を超えるトンネルだった」という。平沼
廃墟マニアもそうじゃない人も、軍艦島という名前を耳にしたことのある人は多いはずだ。ちなみに軍艦島と呼ばれる島は国内にいくつかあるのだが、一般的に軍艦島といわれて思い浮かべるのは、世界文化遺産の暫定リストに登録された、長崎半島の西4.5kmの沖合いに位置する端島(はしま)のことだろう。 この島は1810年に石炭が発見され、1870年(明治3年)に炭鉱として開発開始、三菱石炭鉱業が閉山する1974年(昭和49年)までの104年に渡り、炭鉱として日本経済の発展に貢献してきた。現在もその名をとどろかせているのは、炭鉱閉山後に無人島となり、数十年の時の流れに身を任せて巨大な廃墟島となったためだ。 そんな廃墟の島“軍艦島”だが、今年の4月末より一般観光客の上陸が許可されることになった。その情報をキャッチしたASCII.jpチームは、上陸解禁に先立ち長崎市の協力を得て、軍艦島に上陸してきた。 現在の軍艦
廃道・未成道・隧道・林鉄・廃線跡 古き良き「交通」を冒険する オブローダー「ヨッキれん」の記録 >> 13/12/11/10/9/8/7/6/5/ 4/3/2/1 >> 4/3/2/1 >> 9/8/7/6/5/4/3/2/1 >> 2/1 >> 3/2/1 >>
兵庫県・淡路島の南端にある「戦没学徒記念館 若人の広場」を見てきた。1967年に竣工した丹下健三氏の最盛期の作品だ。現在、施設自体は閉館。阪神大震災の被害を受けており、建物が壊れる危険もあるようだが、「自己責任にて行動されますようお願いします」という看板が立っていた。 石積みの階段を上ると、要塞のような建物が見えてくる。建物を回り込むと、アプローチの向こうに、ペン先の形を思わせる慰霊碑の影が見える。建物の屋上を歩き、一度階段を下りて、木立と石積みの壁に挟まれたアプローチを抜ける。歩を進める度に慰霊碑が迫ってくるようだ。 薄暗くて狭いアプローチを抜けた瞬間、鳴門大橋を臨む山の尾根に、その全貌が現れる。HP(双曲方物面)シエル構造の慰霊碑には、周囲の絶景に負けない力強さがあった。形状はシンプルだが、微妙な曲線のうねりに引き付けられる。本誌2005年4月18日号でも、建築ライターの磯達雄氏が、「
以前に「ロシアの地下鉄のトンネルはすごいらしい」という記事を書きましたが、モスクワの地下はもっとすごいことになっていました。モスクワの地下鉄駅は「地下宮殿」とも呼ばれているのですが、こっちはまさに全体がRPGのダンジョンみたいになっており、ものすごい光景です。 詳細は以下の通り。 MetroDream by Russos これらはいずれもHDR(ハイダイナミックレンジ)処理されているのでこのように迫力のある写真になっているというわけです。 地下ダンジョンへ 神秘的 向こうの先が見えない どちらを選べばいいのか なんだか危ない雰囲気 一体ドコへ続いているというのでしょうか…… なお、モスクワの地下鉄駅は確かに宮殿っぽいです。下記サイトにいろいろと写真があります。 Станция <<Арбатская>> russos: Станция <<Арбатская-глубокая>> ほかにも
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