のりのきいたワイシャツにピカピカの革靴、そして、靴擦れだろうか、少し履き慣れない様子で歩く若者たち。ちょっと大きめのトートバッグに、明るめ清楚メイクの女性など、この時期はいかにも「新生活を始めました」という人たちを街中や電車内で見ることができる。 春は、まず別れがあり、そして新たな出会いが待つ。そう約束されていたはずだった。しかし、5年前の3月11日、卒業シーズン真っただ中での予期された別れだけでなく、予期せぬ別れを連れてきたのが東日本大震災だ。 「看護師の専門学校への入学が決まっていて、入学金もすでに支払っていました。でも、あの日から父が帰ってきません。家がなくなってしまい、働き手の父も亡くした。あの時から、機能はすべてストップ。体育館に身を寄せる中で、私1人が地元を離れて学校に通うなんてことはできませんでした」 そう語る日向さん(仮名)は、学校に1日も通わず、地元で残された家族と
JRと地下鉄の計5路線が乗り入れる飯田橋は、1984年に駅ビル施設が開業して以来、商業施設やオフィスに住宅を加えた複合開発が街を活気づけてきた。始動している駅前再開発でも複合ビル建設を予定しており、さらに職と住が集積する。都心回帰と職住近接の流れが加速しそうだ。 駅前で始動しているのは、飯田橋駅中央地区再開発事業。2015年9月に設立した準備組合が、駅東口の約1.0haを対象に計画を策定している。開発が進む飯田橋駅西口側と、03年に日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅跡に誕生した街区「アイガーデン」をつなぐエリアとして拠点化し、飯田橋の玄関口を活性化させる。竣工は22年度を予定している。 再開発区域は従前の権利者が53人、建物が35棟と小割りになっており、人通りの多い駅前でありながら、広場がないことが周辺地域の長年の課題だった。再開発では、地下鉄東西線の改札口とJRの駅東口をつなぐ通路に面して
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