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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/marita (3)

  • 人生という憂鬱のためのアーカイヴズ - 「98年組」はあるか

    ■[MEMO]「98年組」はあるか 「98年組」というのはあるか、といえば、おそらくは、ある。では「98年組」というのはいったいどのようなものなのか。小説家の古川日出男は、『すばる』3月号(先月号)に載っている、翻訳家である柴田元幸との対談「イッツ・オンリー・ロックンロール文学」のなかで、次のようにいっている。 ロックに寄った話を少し。個人的に日のロック・シーンというのは七、八年前に突然変わったと思っています。強引にとらえると自分がデビューしたころなんですが、全くナチュラルに聞えるロックンロールが日に生まれ始めてびっくりしました。それは今も続いています。 (略) そのナチュラルな感じというか、憧れをなくして、境界がなくなっていく、ロックンロールに起きたことと、自分がやってきたことは近いと思います。僕のデビューが九八年だから、勝手に「九八年組」と名づけているんですけれど。 「イッツ・オン

  • 人生という憂鬱のためのアーカイヴズ - 東浩紀×笠井潔×海猫沢めろん「新本格からセカイ系へ、そしてゲーム的実存へ!?」を観に行った

    去る5月26日に、池袋(西武池袋店イルムス館9F池袋コミュニティ・カレッジ25番教室)で行われた東浩紀と笠井潔と海沢めろんによる鼎談「新格からセカイ系へ、そしてゲーム的実存へ!?」を観に(聞きに)行ったのだった。そこで印象の残ったことなどを、ごく簡単にだが、まとめておくことにする。まあ、あくまでも自分用のメモのつもりだから、精密なレポートを目指してはおらず、また記憶を頼りにしたものなので、もちろん進行どおりの記録というのではなく、発言者の用いた言葉に忠実ではない個所や可能性があることを、あらかじめ述べておきます。 対談集である『コンテンツの思想』刊行イベントというかたちではあったが、どちらかというと、『ゲーム的リアリズムの誕生』の内容に沿ったものであったと思う。また全体的には、新書『動物化する世界の中で』を読んだときと同じく、東と笠井の議論は、いまいち噛み合っていないようにも感じられ

  • ノート。 - 人生という憂鬱のためのアーカイヴズ

    「あの、何か演奏しましょうって言っても、僕、二、三曲しか吹けないんです。クラプトンなんかどうですか?」「いいね」 お父さんがようやく言った。「素敵ね」 お母さんも言った。「じゃあ」「ティアーズ・イン・ヘブン?」 千波ちゃんが言った。そのとおり。僕はその曲しか吹けない。千波ちゃんが時々自然に口ずさむ曲。それを練習した。  瀬尾まいこ「やさしい音楽」  別れの際で、ウウウ〜とかのんびり唄ってる場合じゃないような気がする。でも歌ってのはそういう余裕を必要とするものなんだ…違う。必死のときでも、いや必死だからこそ、唄って伝えたくなるときがあるんだろう。ティアーズインヘヴンを唄うクラプトンだって、もうホント、唄うしかないんだろう。  舞城王太郎「川を泳いで渡る蛇」 エリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」がどのような内容を持っているのか、ことによると説明する必要はないかもしれない。もちろん

    shichiouj
    shichiouj 2006/11/23
    「Easy Way Out」の歌詞を引用
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