私の通うベトナム語クラスに、50歳の韓国人男性がいる。彼は、2000年頃までサムソンで海外部品調達の責任者をやっていたらしい。主な発注先は日本の大企業だった(要素技術は主に日本から買っていた当時の韓国の産業構造が浮き彫りになるかのようである)。 日本にはよく出張で来たそうだ。当時は相当日本語が話せたようだが、いまはだいぶ忘れてしまったらしい。それでも私が日本人と見ると喜んで日本語で話しかけてきた。しっかりした日本語である。どうやって覚えたの、と聞くと、3ヶ月間、韓国語厳禁の日本語研修施設にほうりこまれて、日本語だけで生活したからだそうだ。さすがサムソンやることが恐ろしい。彼は英語も上手である。 彼はいまはサムソンを辞めて、ベトナムで韓国系企業の工場長を勤めている。口数は多くないが、ユーモアのセンスのある粋な男である。サムソンを辞めたあと、いろいろ浮き沈みもあったらしく、そうした人生経験が彼