前回の続き。大阪市街の地下に眠る縄文時代 #森ノ宮遺跡(#森ノ宮貝塚)。人骨の栄養状態はよく食生活が豊かであったことがうかがえます。#亀ヶ岡式土器 #糸魚川ヒスイ勾玉 なども出土。広大な交易圏とともに栄えた所と推定されています 目次 森ノ宮に人が住み始めた縄文中期 立派な歯並びからわかること。海の幸・山の幸 全国に広がる交易の証 森ノ宮遺跡・ユーチューブ動画 本文 www.zero-position.com 森ノ宮に人が住み始めた縄文中期 森ノ宮遺跡(森ノ宮貝塚)に人が住み始めたのは約5000年前の縄文中期。 現在の大阪平野のほとんどは海の底。 半島状で海に浮かぶのが、現在の大阪市内中心部(大阪城〜住吉大社)を貫く上町台地。 縄文中期(4500~5500年前)というのは、海抜が今よりも5メートル高く海が深かった「縄文海進」の頃で、丸木舟の日本海ネットワークが張り巡らされ三内丸山(青森)など
