あいさつというものは面白い。相手を見下せば見下したように、媚びれば媚びるように、全身でそれを表現してしまいかねない。あいさつは自分があいさつをしたい人に気持ちを届けるのみならず、自分がどういう人間か、人にどう序列をつけているかまで、周りから同時に瞬時に観察され、それが露呈する。 芸能界は正直な場所だ。売れている人はその地位を謳歌し、そうでない人はそれなりの位置がちゃんとある。テレビ局のロビーでは見事な序列の勢力分布図が映し出される。 ある局のロビーで、芸能界では不動の高い位置を保持する人物と、ほかに数人のタレント仲間と共に私は同席していた。 通常、高い位置の人物なら本番直前までずっと楽屋にこもりがちだが、その人物は、自分に与えられた楽屋に行かず、仲間たちと時間を過ごすのが好きな人だった。たまに聞く、社員の中に入り込む社長といった感じか。そんな社長は、社員食堂で平社員と共に「仕事はどう?」と
面会を依頼されたときに、それを断るというのは、けっこう骨の折れる意志決定である。 そもそも、誰かが自分に会いたいと言ってくれることは、大変ありがたいことである。自分みたいな人間に興味を持っていただけて、とても嬉しい。 何より、はるばるアメリカまで来て、何かのついでとはいえ、ぎっしり詰まった旅程のなか、わざわざ日本人である自分に会いに行きたいといってくれるのだから、光栄なことである。 しかるに、それを忙しいからといって断るのは、どこか気が進まない。 そもそも、私の現在のワークスタイルでは、拘束時間的・物理的に忙しいということはまったくない。起きたいときに起き、寝たいときに寝て、働きたいときに働き、遊びたいときには存分に遊んでいるのである。 だから第三者が見れば、どこをどう見ても私を忙しいほうの種類の人間と分類することはないだろう。 しかし、実際には精神面では極度に張り詰めているのである。 東
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