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  • 神社は神が「中から外を」見るもの - ミトラのブログ 秘境と異世界

    神社は神が人間どもを眺める「神目線」でつくられている 神社は人間のための施設ではない 神社に行くときほとんどの人は鳥居がある入口から入って拝殿に行き、境内を散歩して出ていくと思います。 ところがこれは人間から見た見方で、神社はそもそも人間のための施設ではありません。 神社の役割はまず魔物を封じる事で、次は神が一時滞在するために作られました。 記録にある最初の神社は伊勢神宮で、天照が心霊を込めて子孫に授けた八咫鏡(やたのかがみ)が祭られている。 第10代崇神天皇のときに疫病が蔓延し、天照大御神と倭大国魂神の祟りであるとして宮外に移した。 各地を転々とした末に伊勢神宮近くに安置され、伊勢神宮をつくって鏡を祭った。 アマテラスの霊力があまりに強すぎて疫病が蔓延したので、遠くに封じ込めた場所が伊勢神宮だったという伝承です。 もう一つの神社の役割は神が天から降りてきて一時滞在する場所で、神のためのホ

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  • 野迫川村の集落 廃村累々 - ミトラのブログ 秘境と異世界

    今井集落 奈良県で最も到達困難な野迫川村 前回は野迫川村の中津川に行きましたが、野迫川村の中心部も周って帰りました。 この野迫川村は地図で見ると都会である五條市に近く、和歌山県の高野町にも近いのでそんなに遠く見えない。 だがどのルートから侵入しても道路は村道レベルで中央分離帯や路側帯はなく、片側が切り立った山で片側は崖になっている。 おまけに常に落石の小石が転がっていて、ナイフのように尖っていて、タイヤに刺さると1発でパンクします。 さらに直線は100mもなく、延々と急カーブが続きカーブの先は見えないので速度を出せない。 奈良の山間部に住んでいる人は平気で80キロ以上出すのだが、さすがにここでは30キロ以下になってしまう。 結果地図上では20キロほどでも軽く1時間かかったりして、日帰りで往復するのは困難です。 距離としては十津川村の方が遠いが、五條市から十津川村へは高速道路のようなバイパス

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  • 廃村中津川 廃寺の地蔵と廃神社 - ミトラのブログ 秘境と異世界

    村は昭和44年に崩壊 奈良県五條市の旧大塔村から野瀬川村にかけては1000m以上の山が連なり、年間降雨量も多い。 大阪や奈良の平野部で曇っていると、大塔村から十津川方面はだいたい雨が降っている。 山の天気は変わりやすいので、昼頃は晴れていても午後3時ころ雨が降ることもある。 こんな地域なので日陰にある古い神社や寺は苔だらけで、1年中乾くことがなく育つ。 苔マニアが有名な寺の苔を盗むといった事件が都会では起きるが、ここでは苔は珍しくもない。 そんな場所の一角にかつて存在したのが野迫川村の中津川で、昭和中期までは数十人が暮らしていました。 昭和44年のある日、集落のリーダー的な家の家主が家族をつれて離村し、瞬間的な村の崩壊が起きた。 その年の初めには11世帯53人が暮らしていたが、その年の暮れには人口ゼロになった。 中津川には中津川小学校が存在したが、全員離村によって休校になり、そのまま廃校に

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  • 大塔町飛養集落から中津川を目指す - ミトラのブログ 秘境と異世界

    大塔町飛養の傾斜集落 前回は旧大塔村の辻堂集落、現在の奈良県五條市大塔町辻堂でしたが、天ノ川を渡って反対側の集落に向かいます。 この天ノ川は上流が十津川になっていて、十津川村と奈良や大阪を結ぶ重要な水路でした。 奈良時代から戦後まで木材が最大の産業だったので、上流で伐採した木材を川で下流に流し、大都市で利用していました。 木材は建築資材から紙、家具や燃料と何にでも使える万能資源だったため、木材の産地は栄えていました。 林業による繁栄は永遠に続くかと思えたが、石炭による工業化と石油の登場、さらに輸入木材で打撃を受けました。 これから目指す中津川では昭和45年頃の世帯平均所得が、奈良県平均の3分の1だったそうです。 当時奈良県の平均所得が東京など大都市の3分の1くらいだったので、奈良山間地の平均所得は東京の1割だったことになります。 これではとても暮らしていけないので山から下りる人が続出し、今

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  • 梅雨の合間に旧大塔村の集落めぐり - ミトラのブログ 秘境と異世界

    町村合併した旧大塔村の現在 奈良県の五條市は不思議な形をしていて、上部分と下部分の中間が細くなってえぐれている。 上部分は平野部で駅や大型スーパーや大病院やコンビニ、高校などがいつくもある。 下半分ほどは山間地で、コンビニはなく、たまに簡易郵便局があるが小学校のほとんどは廃校になった。 この下半分は2005年まで大塔村だった地域で、小泉改革の町村合併で廃止になった。 五條市の真ん中のえぐれ部分の右側は天川村が今も存在するが、どうせなら村より市になりたいと思ったのでしょう。 地理的には天川村もくっついて良かったのだが、天川、黒滝などは合併せず、奈良県の南側の多くは村のままです。 大塔村の今の地名は五條市大塔町何々となっていて、ほぼすべての集落が限界化しています。 五條市と合併したことで同じ市内の平野部に移住しやすくなり、一気に過疎化が進んだようです。 一方合併しなかった天川村や黒滝村も過疎化

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  • 発掘品をめぐるエジプトとイギリスの醜い争い - ミトラのブログ 秘境と異世界

    ツタンカーメンの壁画、見れば分かる通り「黒人」で現在のアラブ人とは無関係です http://2.bp.blogspot.com/-vtUScW1Bvkk/TfIYngbRb6I/AAAAAAAABJU/06pxnzI3ogE/s1600/image_large.jpgより引用 他国の遺産を盗んで売ったイギリス イギリスのオークション企業クリスティーズは7月4日に、ツタンカーメン像を競売にかけると発表していました。 高さ28.5センチの像は個人所有で、1970年代に盗まれて現在の所有者に渡ったと見られている。 エジプト政府はイギリス政府とクリスティーズに、競売の中止と像の返還を要請したが却下された。 予定通りオークションが実施されて6億4000万円で落札されたが、エジプト政府は不快感を露わにしている。 ここまで読んでイギリスは酷い国だ、他人の物を盗んで競売に掛けるなど●●人のようだと思うでし

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  • 京都笠置町の山間で昭和木造団地を発見 - ミトラのブログ 秘境と異世界

    昭和レトロな木造団地が保存されていた 京都府の奈良県に近い南部に木津川が流れ、その山間部に近いあたりに笠置町があります。 この辺まで来ると木津川は川遊びできるほど澄んでいて、川沿いにはキャンプ場などもある。 笠置駅のあたりで木津川支流の打滝川沿いに府道4号線、笠置山添線を上って行くと、町はずれに木造団地が現れます。 打滝川を挟んで東に笠置山、西にも山があって細長い平地が住宅地になっています。 文章で書くとおしゃれな住宅地のようだが実際には山影で日当たりが悪く、どことなく陰気な印象を受ける。 打滝川の西側は広く一戸建ての住宅が多いのだが、川の東側は府道6号との間の僅かな空間しかない。 府道6号も山ギリギリに切り開いているので、かなり無理をしてそこに団地を造成したように見える。 その団地には団地名を示す看板や標識がなく、木造の建築様式からは昭和の中頃のように見えます。 昭和の白黒ドラマに出てく

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  • 柳生の村はダメな観光地だった - ミトラのブログ 秘境と異世界

    ダメな観光地を作る奈良市 奈良市には柳生町があり、あの有名な柳生一族とかが住んでいました。 20キロほど東には伊賀忍者の伊賀市、その北側には甲賀忍者の甲賀市があり、忍者地帯を形成しています。 柳生は奈良県、伊賀は三重県、甲賀は滋賀県とそれぞれ別々に「忍者の里」を名乗っています。 そのうち柳生町に行ったのですが、観光地化されていて古い街並みとか農村、山間風景とかはありませんでした。 どこかに在ったのかも知れないが、表通りには屋敷跡などの案内板があるものの、あまり古そうには見えません。 おそらく最近新しく建てたのか、古い建物を観光地化するために改良してしまったようです。 それのどこがダメかというと、例えば道路が広くて整備されていて、バスが何台でも止められるようになっています。 古い石垣とか細い道、昔の農村や街並みは開発の邪魔だということで、綺麗になくなっています。 別に近代化された農村を見たい

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  • 明日香村の棚田 棚田は補助金で維持されていた - ミトラのブログ 秘境と異世界

    棚田農家はどうして棚田を耕すのか 関西でも梅雨が始まった6月中旬に、明日香村の風景を撮りに行きました。 梅雨なので晴ではなく、もしかしたら雨かも知れないという微妙な予報で、山間地には行けませんでした(奈良南部は雨が降りやすい) 雨が降ったら逃げ込む場所があって大阪まで帰れる場所を考えて明日香村になりました。 明日香村には何度も来ていて棚田の撮影地点も頭に入っているので、手早く済ませて帰るつもりです。 明日香村の棚田はそれほど広大ではないものの、阪田、稲淵、栢森、上地区の斜面に存在します。 ところで各地の棚田を見るたびに気になっていたのが作業性の悪い点でした。 いま流行りの言葉では生産性ですが、平地の田んぼと比べるべくもないほど手間が掛かり、効率が悪いです。 一体農家の経営はどうなっているのだろうと思いましたが、「儲かりまっか?」と漫才のように聞く気にもなりませんでした。 そこを調べて見ると

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  • アマテラスは誰だったのか - ミトラのブログ 秘境と異世界

    紀元前2000年前ごろのメソポタミアの太陽神 https://aqacompass.up.seesaa.net/image/3E3839FE38388E383A9.jpgより引用 アマテラスから神武天皇 このブログの裏のテーマは古代日史ですが、中でも最大の謎はアマテラスや神々として描かれた人々です。 これらを「ただの空想」と片づける事もできるが、世界の神話のほとんどには元になった事実があります。 古事記と日書紀は天から降りてきた神々が出雲を通って奈良に引っ越す話で、考古学の研究結果とも一致しています。 今から3000年ほど前の紀元前10世紀のある日、数十人の渡来人が福岡の海岸に上陸し、初めて田んぼをつくり水耕稲作を始めた。 これが弥生時代の幕開けで、渡来人は九州の縄文人と混ざり合って弥生人になり、紀元前500年ごろ九州に弥生国家を建設します。 これが有名な吉野ケ里遺跡などで、数百年で九

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  • 吉野川上流の集落 川上村の中奥地区と井光地区 - ミトラのブログ 秘境と異世界

    中奥川と井光川 吉野町から吉野川を遡ると川上村に入り、町と言うものはなくなりコンビニやスーパーは一軒もない。 個人商店が少しある他は移動販売車が時々巡回していて、車がある人は20キロほど離れた町に買い物に行く。 車が無い人は巡回バスや近所の人と一緒に車で行くのかも知れないが、毎日という訳には行かず不便だろうと思う。 しかも近所に家がない場合はバスの停留所がないし、車に乗せてもらうこともできず移動販売車も止まらない。 ある程度過疎化が進むと近所がなくなるので、互いに協力することが出来なくなります。 こうした”ぽつんと一軒家”をちらほら見かけるが、高齢者が一人で住んでいて、最後の時を待つばかりになっている。 吉野川支流の中奥川は今も川沿いに数十軒の民家が残っているが、昔は数百軒あったのではないかと思う。 中奥川は釣り人には知られた穴場のようだが、普通の人は誰も行かず、道は行き止まりになっている

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  • 大滝ダム周辺の集落 大滝地区と井戸地区 - ミトラのブログ 秘境と異世界

    ダムに消えた大滝集落 奈良県の吉野町を流れる吉野川上流に大滝ダムがあり、吉野川支流に多くの小集落が存在する。 ダム建設で沈んだ集落もあったが、沈まなくても現在は限界集落になったか消滅していた筈です。 国道169号から大滝ダムの堤体に行く道は、ダム直前で左の山に登る道があります。 その道を上るとダムを見下ろせて眺めが良いのですが、民家十数軒の小集落になっています。 まだ新しい建物が多いので、ダム建設に伴って水没した地域から高台に移転したのだと推測できます。 大滝ダムは399戸が完全に水没し475世帯が移転するなど、大滝集落中心部が消滅しました。 現在は高台に存在する丹生川上神社上社も今のダム底にあり、発掘の結果縄文時代から遺跡が存在したのが確認されている。 現存すれば神社と縄文人の関係を立証する決定的な証拠になったかも知れない。(ダム底に『保存』はされている) 中心部が消滅した大滝集落は、大

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  • 茨木市キリシタン史料館と、豊能町の棚田 - ミトラのブログ 秘境と異世界

  • 大阪茨木市の、隠れキリシタンの里を訪問 - ミトラのブログ 秘境と異世界

    隠れキリシタンの里 隠れキリシタンは長崎が有名で、大阪にも居たことはあまり知らていない。 実は自分も通りかかって偶然看板を見ただけで、それまでまったく知りませんでした。 江戸時代のキリスト教禁止は徳川幕府が発した禁令で、地域によって取り締まりには差があったようです。 茨木は江戸時代に幕府領でしたが、島原にしても京都にしてもキリシタンが潜伏していたのは幕府領が多かったようです。 幕府領は直轄領のため、治安を維持するためなどの目的で年貢率が低かったり、領民に「甘い」ところがあった。 比べると諸藩はいつ幕府に取り潰されるか分からず、徹底的にキリシタンを弾圧する傾向があったようです。 例えば元禄時代に有名な赤穂浪士の討ち入り事件がありましたが、あの時赤穂の領民は重税と弾圧で苦しんでいたので、赤穂が取り潰されて大喜びしたと伝わっています。 時代劇では藩の取り潰しは悲劇として描かれるが、領民にとっては

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  • 西成あいりん地区に異変 人口急増中? - ミトラのブログ 秘境と異世界

    あいりん地区に急激な変化 大阪西成区のあいりん地区は定期観測しているが、ブログを見直したら2019年2月が最後になっていました。 春頃に写真を撮った時も感じてはいたのだが、改めて行ってみるとはっきり感じられるような違いがあった。 去年つまり18年とか17年はあいりん地区が閑散としていて、景気が良くなったのでドヤの住人が減ったような記事を書いた記憶があります。 19年の2月頃はなんだか住人が増えているような気がし、6月現在は激増しています。 温かくなったから外に出ているだけという解釈もできるが、それにしても人通りが多すぎます。 あいりん地区ではその人がホームレスかどうかは一目で判別がつき、生きていそうならホームレスではなく、生きてるか死んでるか不明なのがホームレスです。 軽く一周した限りホームレスは(職安以外では)あまり見かけず、残りは働いているか生活保護受給者です。 これも区別は難しくなく

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  • 十津川村玉置神社と世界遺産の小辺路 - ミトラのブログ 秘境と異世界

    玉置神社 前回は世界遺産の十津川村玉置神社の参道を通って、やっと神社のある場所に辿り着きました。 関係者用の車が入れる整備された道があったのだが「お体の不自由な方はこちら」と書かれていたため、古い階段の道を通りました。 これが思ったより歩き難くて長く、あえて歩きたい人以外は上の平坦な道をお勧めします。 玉置神社は古い建物が多いが、現在建っているのは江戸時代中期に建てられたもののようです。 石垣などもすり減って苔が生えていて大変古そうに見えるが、殆どはやはり江戸時代のものでしょう。 石の記念碑などが全国にありますが、文字が読めるのは100年か200年までというところです。 300年くらいで石は風雨に浸されて500年でかなり溶けてしまい、1000年も経つと元がなんだったのか分からなくなります。 これが土の中に埋まっていたものだと侵が進まず埋めた時の状態で発見されることもあります。 なので石

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  • 十津川村の玉置神社は日本最古の神社 - ミトラのブログ 秘境と異世界

    神社の前は、山など場所そのものが信仰対象だった 日最古の神社ができた経緯 十津川村の南東部、紀伊半島のもっとも山深いあたりに玉置山と玉置神社があります。 玉置神社は日最古の神社の一つとされるが、調べても創建時期は分からない。 独自に考察した結論としては崇神天皇在位の310年頃ではないかと検討をつけました。 根拠としては崇神天皇が創建した最初期の神社の一つで、三輪山の大神神社より後である点です。 神社という画一的施設が建てられたのは、ヤマト国家がある程度大きくなってからの事で、弥生時代には存在しません。 奈良県に都が置かれた後、巨大前方後円墳が量産された時期でもあり、それらの年代が西暦300年頃なのです。 可能性として最初の前方後円墳や最初の神社が西暦200年代だったかも知れないが、それ以前では在り得ない。 この事は記紀でも示唆されていて、神武天皇が都を開いたときに神社はなく、第10代崇

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  • 十津川村をゆく 過疎化で人口5分の1に減少 - ミトラのブログ 秘境と異世界

    旧平谷小学校、十津川村だけで33の小学校が廃校になった 十津川村の今 十津川村は現在中心部の役場や道の駅がある辺りに機能を集中させようとしている。 小学校を見ると1960年代から2017年までなんと33もの小学校が廃校になっている(ウィキペディアより) このブログでまわるような小さな集落にもかつては小学校があり、数十人の生徒が通っていた。 昔は2軒に1人は子供が居たので、戸数200軒もあれば生徒数100人規模の小学校を維持できたようです。 だが林業の荒廃で若者が町に出ていき、少子化も進んだので戸数は1割に減り、しかもどこにも子供は居ない。 十津川村役場がある小原という地域と、温泉や観光地がある平谷にそれぞれ、十津川第一小学校と第二小学校がある。 第一小学校の生徒数は48人、第二小学校の生徒数は52人で、全生徒数100人(2017年度)となっている。 十津川村の人口は昭和35年に1万5000

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  • 千日前以外の大阪処刑場、大阪ドームの南側に存在した - ミトラのブログ 秘境と異世界

    大阪ドームは左上の赤色辺り、左下が難波島で、その右が月正島 http://blog-imgs-41.fc2.com/a/t/a/atamatote/nanmashima_03.jpgより引用 大阪ドーム周辺が奉行所と処刑場だった 江戸時代に大阪最大の刑場だった千日前刑場については、かなり前に行って書きました。 それから時が流れて大阪には千日前以外にも複数の刑場が存在していたのを知りました。 ひとつは「難波島」という島に在り、現在の大阪ドームから徒歩15分くらい南側にあります。 大阪ドームの東側は木津川という川になっているが、川の十字路のようになっていて、江戸時代はもっと入り組んでいました。 江戸時代にはドームから500mほど南には木津川の両側に、西に難波島、東に月正島という中洲がありました。 木津川の西側は今の大正区ですが、当時は陸地とつながっていない状態で、船でしか行けませんでした。 大

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  • 十津川村の上流域は自然の宝庫 - ミトラのブログ 秘境と異世界

    十津川村南部の上流域へ進出 十津川村には何度か行きましたが、村役場や道の駅がある辺りまでが多かった。 地図を見ると道の駅 十津川郷は十津川村の中心部で、もう半分ほどの面積が広がっている。 十津川村は全国でもっとも広い村で東西南北にそれぞれ30キロ以上、奈良県の18%(6分の1以上)を占めている。 東西南北それぞれ33キロのほとんどは山岳地帯で、真っすぐな道はなく、つづら折れのように曲がりくねっている。 道が舗装されていればましな方で、未舗装であったり崖崩れでなくなっている場合がある。 都会では自然災害はすぐ復旧するが、大半は超限界集落なので崩れた道は数年間そのままだったりする。 大阪市からだと余裕をもって日帰りできるのが道の駅までなので、そこまでツーリングして引き返す人が多い。 休憩をはさんで片道3時間30分で往復7時間なので、朝7時に出て3時頃には帰り、それから一応仕事らしきこともできる

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