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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (29)

  • 佐々木力 - jun-jun1965の日記

    http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110809 佐々木力『東京大学学問論』をちらちら読んだ。余計な部分が多い。これは、セクハラで停職処分になった元東大教授・佐々木力が、冤罪を主張したである。この件については、ウィキペディアで編集合戦になり、ついに佐々木力の項目を立てられない完全削除状態になってしまった、ということで記憶している。同じことは大澤真幸の場合にも起きているが、完全削除まではされていない。一体何者が、佐々木力のセクハラによる処分を不都合だと感じて介入したのか、ということも気になる。 佐々木は、東大科学史科学哲学の教授で、私が阪大にいた頃、『学問論 ポストモダニズムに抗して』というを生協で見つけて買ったことがある。ところが、中身は左翼的なもので、しかも非科学的なパラダイム論の信奉者だから、期待したのとは違っていたので、売ってしまった。 どうや

    佐々木力 - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2020/12/15
    「東大の科学哲学といえば、中山茂に冷や飯を食わせ続けたことでも悪名高い」あ、そうだった(・o・;) 中山茂の本は一度読んでおもしろかったなぁ。自伝は本になったんだっけか。
  • 年譜の盛衰 - jun-jun1965の日記

    文学者の年譜というものがある。以前は「日文学全集」の類に年譜はつきものだった。あと初期の講談社文庫はたいていの著者の年譜がついていたが、80年代からなくなった。国文学雑誌や『現代詩手帖』などでその文学者の特集が組まれると年譜がついた。江藤淳のように文藝雑誌の追悼特集に年譜がつくこともある。もちろん、その文学者の全集や選集にはたいてい年譜がつく。 ところがこの20年ばかり、けっこう網羅的な「日文学全集」はなく、国文学雑誌はなくなり、全集や選集もめったに出なくなった。存命の文学者でふんだんに年譜があるのは、石原慎太郎、大江健三郎、蓮實重彦、柄谷行人、村上春樹、村上龍くらいだろう。 これを補うものとして、講談社文芸文庫にはしばしば年譜がつく。あと前世紀末に出た角川の「女性作家シリーズ」に年譜がついた。河出書房の『文藝』が作家特集でやっていた時にも年譜がついた。鼎書房で出している女性作家研究シ

    年譜の盛衰 - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2020/07/23
    「講談社文芸文庫にはしばしば年譜がつく。あと前世紀末に出た角川の「女性作家シリーズ」に〜。河出書房の『文藝』が作家特集でやっていた時にも〜。鼎書房で出している女性作家研究シリーズにも」年譜勉強ぢゃの
  • 関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記

    李建志君は、私の後輩である。中央大学を出て東大比較に来た。在日である。ちょうど私が阪大へ赴任する時に修士課程を終えたのだが、私と、つくば国際大学に就職する加藤百合さんの歓送会が平川先生宅であって、その時李君が、「日文化なんてのはみんな朝鮮から来たんですよ」とべらべらしゃべっていて、みな「?」と思いつつ、黙っていたということがあった。 その後、京都ノートルダム女子大学へ赴任したが、いつもジーパンを履いていて、何だか駅前のバンドで演奏でもしているような風体で、もてないもてないと言っていた。 2005年3月、東大の大澤吉博教授が急死した葬儀の時で、帰りに延広先生と三人で事をして、李君が落語に詳しいことを知った。私はそのころ、川柳川柳が好きだったのだが、「ガーコン」といえば川柳で、しかし李君は、古今亭右朝もやる、と言った。へえと思って、しかし右朝が先にやったと聞き違えて、その頃『文學界』に連

    関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2014/05/24
    大学は頭がよくて上品な人ばかり…というわけでもないわけで。まあそれはどこでも同じとしても。。。
  • 二人の金子武雄 - jun-jun1965の日記

    同名異人については、もうだいぶ前のことだが、「松井みどり」について書いて、それが「朝日新聞」のネタになったことがあった。 さてここに、金子武雄という国文学者がいる。私は以前、この人が晩年に書いた随筆集を二冊読んでたいへん面白かったので、書いておいた。 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130127 古事記から平安朝文学まで、教科書まで含めて著作が多く、国会図書館では「金子, 武雄, 1906-1984」で54冊があがっている。なお国会図書館は、教科書には著者標目をつけない。 ところが、日外アソシエーツの『人物物故大年表』を見ていたら、この金子武雄が、どうやら二人いるらしいことに気づいたのである。なぜならそこには、 金子武雄(1905年‐1984年11月22日)立教大学名誉教授 金子武雄(1906年‐1983年3月24日)日史研究者 の二人がいたからで

    二人の金子武雄 - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2014/03/21
    どのやうな人事制度でやっとるかの差が出たといふべきか、国会のはうハここ十四五年情報の質が落ちとると思ふが具体的な指摘はあんまなかったことぢゃった(σ・∀・)σ
  • 祭りと柳田國男 - jun-jun1965の日記

    私が大学生のころ、越谷市の商店街で夏祭りがあって、遊びに来た後藤と一緒に出かけたことがあった。しかし大変な人ごみで、暑いし、帰ってきてぶつぶつ言っていると、母が、私は祭とか好きなんだと思っていた、と言ったのである。いや全然、と答えたのだが、なんで私が祭が好きだなどと思ったのか。当時は単に言葉の勢いで言っただけだと思っていたし、実際そうなのかもしれないが、歌舞伎が好きだったから、民俗藝能とかにも関心があると思ったのかもしれないし、柳田國男的な関心があると思ったのかもしれない。だがのちに私は大の柳田嫌いになるのである。 柳田には明らかにオリエンタリズムがあって、自分は兄弟に井上通泰、松岡映丘のような大物を持ち、自身は東大卒の官僚であるから、庶民というものを自分とは別種の生物のように観察できたのだ。私は庶民の出だから、そんなものに関心を持ったらそこへ自分自身が転げ落ちるような気がするのである。大

    祭りと柳田國男 - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2013/07/18
    [][]国会図書館の郵送複写係と電話でやりあった」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    国会図書館へ行ったが、デジタル化というのがとんでもないしろものであるということが分かった。何しろ今日は、『文藝春秋』に載っている文春講演会の広告を調べに行ったのである。冊子なら、ぱらぱらとめくれば広告は紙が違うからすぐ分かる。デジタルではそうはいかない、プチ、プチとめくっていかなければならない。いわんや、昔の雑誌とはこういうものである、という教育にも使えない。

    ■ - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2012/12/26
    実は同感である(。・_・。)ノ
  • 「金鶴泳」の読み方・その2 - jun-jun1965の日記

    『金鶴泳作品集成』が、奥付で著者名に「きんかくえい」とルビを振っているのに、国会図書館で「キムハギョンサクヒンシュウセイ」としている件、返事は、 当館の運用といたしまして、 タイトルの読みにつきまして、 「書誌作成対象資料から判明した読み」よりも 「当館典拠の標目形の読み」を優先して付与しているため、 典拠の標目の読みの訂正を行った場合は、 併せて当該語句を含む書誌データのタイトルの読みも 訂正することとしております。 というもので、その規定は http://www.ndl.go.jp/jp/library/data/yomi.html なのだが、よく見ると「1〜3」を優先する、と書いてはあるが、「3」より「2」を優先するとは書いていない。そこでさらに質問すると、 はい、ご指摘の通り、わかりにくい表現で 申し訳ございません。 当館オリジナルで書誌データを作成しているものに つきましては、1

    「金鶴泳」の読み方・その2 - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2012/12/19
    その2
  • 「金鶴泳」の読み方 - jun-jun1965の日記

    1985年に自殺した作家・金鶴泳を私は「きんかくえい」と読んできたが、先日、国会図書館で「キム・ハギョン」になっているのに気付いた。「直木賞のすべて」でもそうなっている。自殺した時の新聞記事は「きんかくえい」だった。いったいいつ変ったのかと思い、没後の『金鶴泳作品集成』(作品社)を見たら、奥付に「きんかくえい」とある。ところが国会図書館はこの題名に「キムハギョンサクヒンシュウセイ」とルビを振っている。書誌の作成において誤っているのでこれは問い合わせ中である。2010年にシングルカットから出た『土の哀しみ』も「きんかくえい」である。国会図書館の著者標目のデータを見ると、2005年に「きんかくえい」から「キムハギョン」に変えているが、これも何でか問い合わせ中である。怪しいのは2006年に出た『在日文学全集』の金鶴泳だが、これは現物を見ていない。何にせよ、こんなことは人の意思が最優先であろう。

    「金鶴泳」の読み方 - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2012/12/17
    へぇ、こんなことがあったんだぁ。。。
  • 国会図書館再び - jun-jun1965の日記

    国会図書館OPACは、思っていたよりひどいことになっている。「川」を題名に含んだ文学作品を探すべく、タイトルに「川」と入れ、分類記号を「913.6」として検索した。以前はそれで良かったのだ。ところが、「川」というタイトルのものを含むしか出てこない。つまり自動的に完全一致検索になっているのだ。これでは、すべてが台無しと言っても過言ではない。

    国会図書館再び - jun-jun1965の日記
  • 国会図書館OPACの壊滅状態 - jun-jun1965の日記

    国会図書館は年末年始にOPACの入れ替えをやった。その結果、ひどいことになった。 図書から雑誌記事まで全部検索するのがデフォルトなので、いちいち全解除しなければならない。それはまだよろしいが、スラッシュを入れての検索ができなくなったのである。 たとえば「文学」という雑誌を検索しようとして、普通に「文学」と入れたら、膨大な「文学時代」や「文學界」まで全部出てくるから、以前は「/文学/」とすればよかったのに、その機能が消えてしまったのだ。これはとんでもないことである。 電話して訊いたが、どうやらこの重大事態を全然理解していないらしく、私が「たとえば林秀雄という人を検索しようとすると、小林秀雄まで引っかかってくるわけでしょう」と言うと、「それはnot検索をすれば」と言う。分かっていないのである。そこで、「じゃあ林光って人はどうするんですか。小林光雄とかそういうのがみんな引っかかってくるんですよ」

    国会図書館OPACの壊滅状態 - jun-jun1965の日記
  • 久米正雄伝補遺 - jun-jun1965の日記

    『久米正雄伝』で、見つからないとしておいた、『現代文藝』昭和2年3月号が、昭和女子大にあるというオタどんの指摘で、ようやくコピーしてきた。 「文壇近頃のこと(二)久米正雄氏剽窃事件批判」として、出席者は安藤盛・松清太郎・鳴海四郎・金兒農夫雄の四人である。 http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20110809/p1 鳴海四郎は、アメリカ演劇の研究者かと思ったが、1917年生まれなのでこの時は十歳、同名異人である。しかしそうなると正体探索は困難であるから、オタどんに任せる。(付記:すぐ分かった。http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20110826 さすがオタどんである)。金児は見ての通り素人社社長、松は、大正12-13年にあった聚芳閣『文學界』の編集者らしい。 これによると、安藤が久米を訪ねたのは1月26日で、朝日新聞の記事が出てから五日後だ。朝

    久米正雄伝補遺 - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2011/08/25
    「昭和女子大にあるというオタどんの指摘」 さすがだっちo(^-^)o
  • 樺俊雄の謎  - jun-jun1965の日記

    佐藤春夫というのも、ちゃんとした伝記のない文学者だ。あまりに作品量が膨大で、『定佐藤春夫全集』は36巻別巻2、おのおの450p以上ある。研究している人はいるが、まとまらない。 で、佐藤の弟子だった竹内良男の『華麗なる生涯‐佐藤春夫とその周辺』(1970)を読んでみたが、予想以上にダメだった。もちろんざっと佐藤の生涯は描いてあるが、著者が直接知っていることが妙に多い。 - 山田昭全『文覚』(吉川弘文館・人物叢書、2010)のまえがきを見たら、この執筆は人物叢書がスタートした頃に約束したものだとあった。人物叢書のスタートは1958年である。もしかしたら、新装版スタートの1985年のことかもしれないが、山田は1929年生なので、前者もありえないことではない。まあ1960年頃約束したとして、半世紀かかったわけだ。 ところでこのには「保元の乱の勝ち組」という表現が出てくる。ああ、80歳の人がそん

    樺俊雄の謎  - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2011/05/23
    「なんで高円寺と杉並近辺で別居する必要があるのか。ノンフィクションとしては、一番の突っ込みどころである。そりゃ、両親が不仲だったとか、俊雄に愛人がいたとかしか考えられないではないか。」
  • 大逆事件の二つの見方 - 猫を償うに猫をもってせよ

    (承前) 今年は大逆事件の百周年だったが、この事件に対する二つの見方の対決は、遂に行われないままだった。というのは、 1、山県有朋によるフレームアップである。管野スガ、宮下太吉ら四人以外は冤罪である。けしからん。 というのと、 2、天皇暗殺を計画した管野スガらは、素晴らしい(ないしそのこと自体を評価すべき)革命家である。 という二つの立場である。 絲屋寿雄は、それまで「1」ばかりが目立ったことに抵抗して、「2」の立場で『管野すが』を書いたのである。しかし黒岩さんは、1970年のこのと、1987年の、および清水卯之助の『管野須賀子の生涯』(2002)を読むと、まったく印象が違う、と言う(*)。しかしそれなら、やはり70年に出た瀬戸内晴美の伝記小説『遠い声』も参照してほしかった。 ところが、ではそれらののどこがどう違うのかを説明しないまま、黒岩さんは、いきなり絲屋著を攻撃するのである。こ

    大逆事件の二つの見方 - 猫を償うに猫をもってせよ
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2010/12/08
    これは至言なり。「スガは笑顔が魅力的だった、という言を引くのだが、魅力的だからこそ、恋愛遍歴の女になるのであって、それは同じことの表と裏でしかない」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    国会図書館のデジタル化作業のおかげで仕事に支障が出ている。ああこの資料だ、と思って辿って行くと「作業中」と出る。修士論文とか書いている人はえらい迷惑しているのではないか。

    ■ - jun-jun1965の日記
  • 王様の耳はロバの耳 - jun-jun1965の日記

    子供の頃、劇団四季のこどもミュージカルで「王様の耳はロバの耳」をやっていたのをテレビで観た。もちろん原作とは違って、最後は王様と、真実を求める民衆との戦いになり、歌合戦になって王が謝る。王をやっていたのは滝田栄。 耳がロバの耳になった王は、「耳」「ロバ」という言葉を禁じる。媚びへつらう家臣が、「おふろば」というのも禁じました、などと言う。「ロバとか耳とか言うやつは、すべてまとめて牢獄へ、ぶちこめ〜ぶちこめ〜」と歌うのである。 腹が立ったので後半は見ていなかった禁断のゲラを、ふと見たら「昔は精神分裂病といった統合失調症は」というところに「わざわざ言うことはないのでは?」というようなコメントがあって、さらに激怒を誘う。おいどこの誰だか知らないが校閲よ、お前がやっているのはこのバカな王様と同じなんだよ。言葉を消せば何かがなくなるとでも思っているのか。いずれ十年もたてば、統合失調症もどうせ「差別的

    王様の耳はロバの耳 - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2010/09/07
    「統合失調症もどうせ「差別的な含みが出てきた」とか言って言いかえることになる」んだろうなぁ。星新一の「セ」の話を思い出す(*゜-゜) あるいは呉智英先生の「地震を禁止する」話(。・_・。)ノ
  • 紅野謙介の偉業を読む - jun-jun1965の日記

    前からオタどんに教えられていた『週刊読書人』の、紅野謙介による川西政明『新・日文壇史2』の書評をようやく読んできた。紅野は、川西を「百年後のパパラッチ」と呼び、その男女愛慾のさまをいかにもも見てきたように描くやり方を何とも巧みに揶揄描写していて、なかなかの偉業である。有島武郎と波多野秋子の心中に際しても、「もちろん、その前夜二人は姦通した」とあるのを、こういう「姦通」の使い方は昨今珍しいとし、谷崎潤一郎が、千代の妹を「強姦」したという記述を紹介する。もちろん、強姦したなどという証拠はどこにもないのである。 人は川西が『渡辺淳一の世界』の著者であると知ったら納得するであろうか。 - ネットユーザーですら、品切れ・絶版のの見方や入手法をあまり把握していないようだ。 私はまず、著作であればNDLOPACでどの辺が新しいかを確認する。続いて近い図書館を検索、アマゾンと「日の古屋」を見て、

    紅野謙介の偉業を読む - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2010/09/07
    「雑誌論文は、NDLに雑誌があって、掲載年月日が分かっていれば、何も雑誌論文一覧になくたって郵送複写依頼はできる」って、どこに書いてあるのかなぁ。ああ、「利用の手引き」に隠されていた(σ^~^)
  • そして新書が一冊没になった - jun-jun1965の日記

    その新書の原稿は春ごろには完成していたが、十月刊行予定とのことでだいぶ待たされた。東大卒、20代、男の編集者Kは、『大河ドラマ入門』でひどい仕事をした奴で、その時『小説宝石』で宮崎哲弥氏と対談した際も、再校ゲラで宮崎氏の直しが反映されていないなど、この社の質の低下ぶりを窺わせるものがあったが、もう一回つきあったのである。 時間があるからブラッシュアップしましょうなどと言って、Kは、テクスト形式のままいくつか直しを提案したが、存外マイナーな修正しかなかった。 そして八月末になって、いよいよやるというのでゲラにして、校閲に見せるというので、私は用意しておいた「校正に関する覚書」を送った。以下のごときものである。 一、みだりに語の統一をしない。「とき」と「時」、「ころ」と「頃」などは、文脈に応じ、その周辺の漢字の量などを勘案して使い分ける。 二、差別語のむやみな規制はしない。「シナ」「看護婦」「

    そして新書が一冊没になった - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2010/09/05
    こんなアホな校正者がいるとは(×o×)編集者もトーダイなのにバカ…なんのための税金か。しかし、若い世代がおしなべて質的な判断より形式的判断を優先させる傾向はここでも強まってんのか。こまったこと。
  • 都市伝説再び - jun-jun1965の日記

    坪内逍遥が『小説神髄』で勧善懲悪を否定したとか言っている奴がいるが、ほとんど都市伝説で、そういうことを言う奴は『小説神髄』をちゃんと読んでいないのだ。いまちょうど岩波文庫で復刊して書店にあるから、ちゃんと買ってきて当該個所だけでも読むこと。逍遥はそんなこと言ってません。 - http://www.ghibli.jp/10info/ なんか非常に不快なニュースである。なぜって、企業・団体等というけれど、この場合、「原発」だからに決まっているのであって、このようなニュースが流れること自体、原発で働く人たちを差別することにつながるのは明らかだからである。おそらくJT生命館の中にこの店があったとしたら、嫌煙運動家らが騒いで、やはり同じことになるだろう。こういうのはファシズムだと思う。 - http://www.kishimoto-fan.com/blog/ 岸さん、「コマ」の使い方が違っています

    都市伝説再び - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2010/08/21
    「夏目漱石のおかげでのし上がった出版社のくせに、人の後ろからついてきて探偵するとはいい度胸だ。」これは漱石をふまえている?(σ・∀・)
  • ■ - jun-jun1965の日記

    今東光(1898-1976)は晩年、『週刊プレイボーイ』で「極道辻説法」という人生相談をやっていた。例のべらんめえ口調なのだが、考えてみたら今は関西人である。 その中で、小島政二郎の『芥川龍之介』がウソだらけだと書いたら、読者から、どこがどうウソなのか教えてほしいと言ってきた。すると東光は、小島は菊池寛とか芥川とか、死んで反論ができなくなってから好き勝手なことを書くから、俺も小島が死んだら書いてやると返事をした。 しかし東光はその前にガンになって、手術せずに丸山ワクチンで治ったと思っていて、読者にも丸山ワクチンを勧めていたのだが、結局治っていないで死んでしまった。 小島政二郎より長生きするというのは、仮にもう少し東光が長生きしても難しかっただろう。何しろ東光より四つ年上の小島は、1994年、百歳まで生きたからである。 実に東光らしくない話で、死ぬまで待つなんてことは、だから注意したほうがい

    ■ - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2010/06/14
    ヒョエー(×o×)アブナイ(σ^~^) 本は書庫から出したてで冷たいことはあっても熱いことはないはずだから…(σ・∀・)
  • ■ - jun-jun1965の日記

    ヨコタ村上孝之は、私の先輩に当たる。同僚でもあった。しかし今では、絶縁状態であり、犬猿の仲である。その理由を説明しよう。 ヨコタ村上孝之は、もと村上孝之だった。年齢は私より三つ上、大学院で五つ先輩で、つまり私が入学した時は、博士課程の五年目になっていた。背は私と同じくらいだが、宮亜門のような顔で、女たらしだという噂だった。私が入学して一年で、大阪大学へロシヤ語教師として赴任したのだが、後で聞いたところでは、阪大のトロツキストのロシヤ語教授(藤和貴夫)が「酒の飲めるおもしろい奴はいないか」と訊いてきて推薦されたという。これはまあ冗談半分としても、酒癖の悪い人であることは、後に分かる。語学の才能があり、ロシヤ語、英語その他いくつかの言語を自在に操っていた。赴任する前に、後にミス大阪になったという、自分より背の高い女性と結婚し、「今までつきあった女の子全部と取り替えてもいい」と言っていたそう

    ■ - jun-jun1965の日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2010/05/10
    「彼にはまじめに議論をする気がないのだから、勝てるはずがないのである。恐るべし。」