私が大学生のころ、越谷市の商店街で夏祭りがあって、遊びに来た後藤と一緒に出かけたことがあった。しかし大変な人ごみで、暑いし、帰ってきてぶつぶつ言っていると、母が、私は祭とか好きなんだと思っていた、と言ったのである。いや全然、と答えたのだが、なんで私が祭が好きだなどと思ったのか。当時は単に言葉の勢いで言っただけだと思っていたし、実際そうなのかもしれないが、歌舞伎が好きだったから、民俗藝能とかにも関心があると思ったのかもしれないし、柳田國男的な関心があると思ったのかもしれない。だがのちに私は大の柳田嫌いになるのである。 柳田には明らかにオリエンタリズムがあって、自分は兄弟に井上通泰、松岡映丘のような大物を持ち、自身は東大卒の官僚であるから、庶民というものを自分とは別種の生物のように観察できたのだ。私は庶民の出だから、そんなものに関心を持ったらそこへ自分自身が転げ落ちるような気がするのである。大