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メディア論に関するshota_fのブックマーク (9)

  • Voices of Aliveness

    Please enable JavaScript in your browser to experience "View in 3D". "Voices of Aliveness" first edition, short version. Recorded and edited in May 2012. Music/sound: Yasuaki Shimizu Technical support: Takeshi Kawashima Copyright Masaki Fujihata Produced by Esba, Nantes, France

  • 第1回 参考2 「メディア・情報・身体 ―― メディア論の射程」

    第1回講義 参考2 例えば、最近刊行された(1998年3月)岩波の『哲学・思想辞典』では、社会学に身を置いている大澤真幸氏(これまで千葉大学でしたが、最近、京都大学大学院に移ったようだ)が「メディア論」の項目(下を参照)を担当しているが、「社会学で「メディア論」といった場合には」と断った上で、1.マクルーハンらのメディア論の流れ(これについては、おそらく次回取り上げます)と、2.パーソンズ、ルーマンの機能主義的社会理論におけるメディア論という、社会学における二つの系統の議論の伝統についてのみ触れている。これはもちろん、辞典という性格によるところが大きいと思われ、大澤氏の実際の著作(『意味と他者性』、勁草書房、1994;『電子メディア論』、新曜社、1995;(共著)『岩波講 座 現代社会学』岩波書店、1995~など)では、関心ははるかに多様なところへと広がっている。とはいえ基的には、社会学

  • Edwynn Houk Gallery - August Sander

  • 第8回 インターネット講座

    1998年度 インターネット講座 メディア・情報・身体 ―― メディア論の射程 第8回 メディアと身体 (2) 文字における「イマジネーション」 (99/01/02 更新) 音声言語と身体性 前回は、メディアと身体の接続に際してどのようなことが起こっているか、論議となる点を全般的に概観してみました。これから、それぞれのメディアの段階ごとにもう少し詳しく見ていきたいと思います。ここでメディアの段階と呼んでいるものは、これまでもそれにしたがって話を進めてきたような「音声言語」を中心とする感覚的直接性の段階、「文字言語」の段階、そして電気/デジタルメディアの段階です。 最初の「音声言語」を中心とする段階は、これまでも述べてきたように、単に音声言語だけが問題となるのではなく、五感によって世界を統合的に感じ取る状態にあると考えてきました。その性格として「直接的」という言葉を何度も用いてきましたが、こ

  • 写真論基本文献

    『観察者の系譜』(十月社) 写真についてはほとんど述べられていない。しかしカメラオブスクラという形象をつうじて19世紀前半に起きた地殻変動をおさえる。 「        」(『視覚論』(勁草書房)所収) 『Suspensions of Perception』MIT

  • 山口裕之 インターネット講座

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  • Socius_ソキウス(野村一夫)

    ソキウスは社会学専門の個人サイトです。私(野村一夫)の守備範囲を中心に、これまで書きためたものを学習用に公開展示しています。また、現在進行形の仕事場(アトリエ)として、研究成果や構想を書き込んでいきます。 [1995年8月公開開始、2002年XHTML版としてsocius.jpに再構築] →ソキウスとは何か

  • 写真と記号 - Art&Photo/Critic&Clinic

    記号とは何か? 「いかにイメージは作動しているのか」という問いを立てたとき、おそらく記号論が最も有効なアプローチとなるかもしれません。ということで、今回は記号の話を中心に進めます。 記号とは何か? ひとまずは何かを代替・代理したもの、印、表現と定義しておきましょう。身振り、動作、音声から、映像、言葉、サインまで、すべて記号と見なすことができます。記号の最小の構成要素は、《意味されるもの(シニフィエ)》と《意味するもの(シニフィオン)》です。《意味されるもの》は前述した「何か」にあたり、とりあえずは“現実の対象に関わること”(素材、内容)とみなすことができます。《意味するもの》は記号そのもの、表現するもの、印そのものとなります。 さて、私たち人類にとって、表現(記号)の基盤を成しているのが言葉です。身振りや動作、音楽、映像さえも言葉に還元されることによって、《意味されるもの》となります。した

    写真と記号 - Art&Photo/Critic&Clinic
  • メディアとしての写真論 ―想像のモビリティによる現代空間の変容に着目した― « 地理学者のほし

    地理学者のほし 「花のことは書かないんだ」  地理学者が言う。 「なんで? 一番きれいなのに!」 「花は儚(はかな)いものだからだ」 Abstract 写真とは何か。この問いについて我々は様々な問いかけを行い、そして幾多もの書物が出された。それらは間違いなく写真という”芸術”の面をとらえている。しかしデジタルコンテンツが犇めき、サイバーネットワークがその存在を強めている現代において、その見方はもはや多面的な写真という”メディア”[1]を捉えるために十分なものとなってはいない。 稿では現代のサイバーネットワークを介して、写真が社会的にあるいは地理的に、きわめて強い影響を与えうるということについての論拠を過去の論説を中心に記述する。まず従来までの写真に関する言説をレビューし、その功績および問題点について指摘する。その後主にジョン・アーリ(John Urry)、ジョナス・ラーセン(Jonas

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