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ブックマーク / www.10plus1.jp (3)

  • 【追悼】ザハ・ハディド──透視図法の解体からコンピュータの時代へ

    3月31日、インドネシアの空港で、ザハ・ハディドが急逝したという第一報が入り、衝撃のデビューを思い出した。1980年代の後半に筆者は学部生だったから、彼女が華々しく登場したことを覚えている。香港の「ザ・ピーク」のコンペ(1983)で優勝し、彼女は一躍建築界の注目を集めた。このとき審査員を務めた磯崎新が、一度は落選案に分類されたプロジェクトの山から彼女を発掘したことはよく知られていよう。また歴史的な展覧会となったニューヨーク近代美術館の「デコンストラクティヴィスト・アーキテクチチャー」展(1988)でも、安定感がある構成を脱臼させる新しいデザインの傾向として、レム・コールハース、ベルナール・チュミ、ピーター・アイゼンマン、フランク・ゲーリー、ダニエル・リベスキンドらとともに紹介されたが、彼女は最年少だった。しかし、1983年のデビューから10年ほどは、実作に恵まれなかった。筆者も当時、あまり

    【追悼】ザハ・ハディド──透視図法の解体からコンピュータの時代へ
  • takram Dialogue 05:山中俊治 × 田川欣哉 × 緒方壽人

    『takram design engineering|デザイン・イノベーションの振り子』(現代建築家コンセプト・シリーズ No.18、LIXIL出版)刊行にあわせ、デザインエンジニアであり東京大学生産技術研究所教授でもある山中俊治氏をお招きして、ブックレヴューから「デザインエンジニア」という新しい職能、そしてこれからの「ものづくり」の意味をお話しいただきました。 左から山中俊治氏、田川欣哉氏(takram design engineering)、 緒方壽人氏(同) 「デザインエンジニア」誕生前夜 田川欣哉──今日は僕たちtakram design engineeringの『デザイン・イノベーションの振り子』の刊行記念という意味もありまして、僕らにとても縁の深いプロダクト・デザイナーの山中俊治さんにお越しいただきました。「デザインエンジニアの起源」と題して「デザインエンジニア」という考え方が

    takram Dialogue 05:山中俊治 × 田川欣哉 × 緒方壽人
  • 東京で一番住みたい街、吉祥寺──街の魅力とジェントリフィケーションをめぐって

    「住みたい街」としての吉祥寺 新──吉祥寺は久しぶりに歩きました。さすが「住みたい街」ナンバー1になるだけのことがあるな、と感じ入りました。今日は、笠置さんと5,6時間ほど吉祥寺を歩きましたが、多くの人は、特定のお店に行くという目的だけで歩いているわけではないようです。ゆっくりと風景を楽しむように歩いている姿を見て、来街者が吉祥寺を楽しみたい気持ちを見てとることができました。 では、吉祥寺と他の街は何が異なるのでしょうか。まずは緑が多いことがあげられます。吉祥寺のように人が多いといくぶん気疲れしがちなのですが、一休みすることができるスペースがあって、そのスペースが緑に囲まれている。井の頭公園の存在が大きいとは思いますが、それだけでなく、路面店が散らばっている吉祥寺北口の西側の奥には吉祥寺西公園と中道公園があります。吉祥寺西公園は、まだしっかり育っていませんが芝生がひろがっていて、多くの人が

    東京で一番住みたい街、吉祥寺──街の魅力とジェントリフィケーションをめぐって
    sig
    sig 2014/06/08
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