3月31日、インドネシアの空港で、ザハ・ハディドが急逝したという第一報が入り、衝撃のデビューを思い出した。1980年代の後半に筆者は学部生だったから、彼女が華々しく登場したことを覚えている。香港の「ザ・ピーク」のコンペ(1983)で優勝し、彼女は一躍建築界の注目を集めた。このとき審査員を務めた磯崎新が、一度は落選案に分類されたプロジェクトの山から彼女を発掘したことはよく知られていよう。また歴史的な展覧会となったニューヨーク近代美術館の「デコンストラクティヴィスト・アーキテクチチャー」展(1988)でも、安定感がある構成を脱臼させる新しいデザインの傾向として、レム・コールハース、ベルナール・チュミ、ピーター・アイゼンマン、フランク・ゲーリー、ダニエル・リベスキンドらとともに紹介されたが、彼女は最年少だった。しかし、1983年のデビューから10年ほどは、実作に恵まれなかった。筆者も当時、あまり