たとえば山本太郎みたいなのを見て思うのですが、単に自分が「正しい」と考えていることを実行するだけで正義と信念の人と呼べるのあれば、在特会などのレイシスト連中の大半もまた正義と信念の人と呼ばねばならないことになります。その人が「善」あるいは「悪」と考えている対象は異なれど、自らの奉じる「正しさ」のために真剣に活動している、自分が害悪と信じるものから諸々を守るために身を捧げているという点では、何ら変わるものではありませんから。 排外主義者に対しては良識家ぶって眉をひそめてみせる人でも、しばしば排外主義者と似たような考え方をしているケースは困ったことに少なくないように思います。ある種の反原発論者とレイシストの類似に関しては、この1年で繰り返し触れてきたことですけれど、同様の例は他でも挙げられるわけです。たとえば排外主義者の中には外国人を悪し様に罵る一方で、そうした「悪質な」外国人のせいで「真面目