1990年代から2000年代中盤のオタク文化を牽引したのが、美少女ゲームである。その影響力の大きさは、凄まじいものがあった。『Kanon』や『AIR』のように当初は成人向けとして発売された作品が後に京都アニメーションからアニメ化されて一大ブームとなったり、脚本家や原画家の中から国民的ライトノベルに関わるクリエイターが輩出されるに至っている。 2000年代のライトノベルを代表する『涼宮ハルヒの憂鬱』の挿絵を手掛けたいとうのいぢも、美少女ゲームの原画家であった。『ゼロの使い魔』の作者のヤマグチノボル、挿絵の兎塚エイジもそうだし、『魔法少女まどかマギカ』の脚本家・虚淵玄も美少女ゲーム業界出身だ。麻枝准のように、オリコンのヒットチャートにランクインする曲を生み出した作曲家もいる。こうした事例は枚挙にいとまがない。 なぜ、美少女ゲーム業界に、後の出版業界を担う優れた才能をもつクリエイターが集っていた
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