そう,建築があらわしうるのは,新しさや偉大さだけにかぎらない.見てくれを否定するいさぎよさも,しめせるだろう.みすぼらしい外見をいとわない清貧ぶりも,建築をとおしてつたえうる.コレは別にそのような表現をせよ,っていう話ではなくて,そのように捉えられるような事例があったのだという話.この引用が出てくる前の章まで,イタリア/ムソリーニと建築,ドイツ/ヒトラーと建築,ソビエト/スターリンと建築,というような話が展開されてきた.政権の新しさを示すために,モダン・デザインが用いられたことがあったり,政権の偉大さを表すため壮大な都市・建築が計画されたり.権力者によって/人々に対して,建築を通して何かが表現されてきたのだってことが強調して書かれている.しかし「新しさや偉大さ」ならわかるけど,「見てくれを否定するいさぎよさ」とか「清貧ぶり」なんてものが建築を通して表現できるのか? 日本ではそのように解釈で