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文学に関するsmartbearのブックマーク (55)

  • おれの、1Q84 - 未来の蛮族

    1Q84に第三部があってくれてよかった。ほんとうによかった。こう思っている人間は、僕のほかにいったいどれくらいいるのだろう。あれほどのベストセラーなのだから、きっと数え切れないほどの人間が、僕と同じような気持ちでいるのだと思う。あ、上の写真は、1Q84にも登場する千倉海岸です。いくら僕だって、いつもいつも脈絡の無い写真ばかりを貼り付けているわけではないのだ。 で、何で千倉海岸まで足を運んだかって話なんだけども……それは、1Q84の謎を解き明かすため、というわけではもちろんなかったのだけど、結局のところ、僕は荒れ狂う海を見つめながら、ずっと1Q84のことを考えてしまっていた。漂流物集めに興じる仲間たちを尻目に、僕はひとり、天吾と青豆、ふかえりと綿谷りさのことを考えてしまっていたのだ。 僕は、こう見えても、はじめてのオナペットは『ノルウェイの森』の緑、というほどの益荒男、すなわちどこに出しても

    おれの、1Q84 - 未来の蛮族
    smartbear
    smartbear 2009/10/03
    緑はエロいよね / 『たとえそれが真実であったとしても、受け入れてはいけないものがあるのではないだろうか』
  • 村上春樹氏:「1Q84」を語る 単独インタビュー(1) 「来夏めどに第3部」 - 毎日jp(毎日新聞)

    5月に出した長編小説『1Q84』(第1、2部、新潮社・各1890円)が大きな話題となっている作家、村上春樹さんがこのほど、毎日新聞のインタビューに応じた。1980年代の日を舞台に「個人とシステムの対立」を描いた重層的な物語だが、村上さんはさらに第3部を執筆中であることを初めて明らかにした。新作に込めた思いを聞いた。【構成・大井浩一】 ■最初は『1985』 --『1Q84』は現在、2巻とも18刷を重ね、「BOOK1」が123万部、「BOOK2」が100万部と、ミリオンセラーを記録。複数の研究が出版されるなど、驚異的な反響を巻き起こした。 「僕の固定読者は、長編で約15万~20万人いると自分では考えています。それくらいだと、自分の発信したものがそれなりに受け止められているという手応えがある。50万、100万となっちゃうと、どんな人が読んで、どんな感想を持っているかはなかなか見えないですよ

    smartbear
    smartbear 2009/09/17
    やっぱり出るんか! / “物語の持つ善き力”
  • 日本、大人になる:村上龍がNYタイムズに寄稿した文章

    、大人になる 先週、民主党が、半世紀近くもずっと政権を握っていた自民党を政権から追いやったとき、一部報道機関は革命であると評した。 古い人たちはいなくなり、新鮮な風が吹き込んだ。 でもどうして人々は嬉しそうに見えないのか? どんな政府あっても彼らの問題を解決してくれないことを、日人は認識しつつあるからだ。 しかし、これはいいことである。日はついに成長しているのだ。 メディアは街頭にレポーターを派遣して、新しい政権に何を期待するか聞いている。 人々はマイクに近づき、「景気をよくしてほしい」「社会保障を充実させてほしい」「失業問題を解決して欲しい」などと率直に述べる。 しかし彼らの表情は憂そうで、これらの意見にどこか偽りがあるような感じがする。 昔は、政府が私たちの問題を解決することができた。戦後、日の成長の大部分は政府主導であった。 国民は、政府が道路や病院を作り、商売を守り雇用

    日本、大人になる:村上龍がNYタイムズに寄稿した文章
  • 村上春樹がぜんぜん卵寄りじゃない件について

    村上春樹は壁とそこにぶつかる卵があったら、自分は常に卵の側でありたいとスピーチしたそうだけど、奴の作品は全然卵寄りじゃないよね? 早ければ中学程度、遅くとも大学頃までにはセックスを経験できるような主人公の話ばかり書いて、それのどこが卵なんだ? 完全に壁寄りじゃねえか。 俺たち非モテがセックスを経験できるまでどれだけ大変だと思ってるんだ。 そりゃあもうモテと言う圧倒的な壁が立ちはだかってる感じですよ。 容姿で圏外になって、枕を塗らす日々を送ってる非モテ達が卵じゃなくて何が卵だバーロー。 もう少し現実的に、大学卒業するまで誰とも付き合ったこともセックスできたためしもないけど別に変な奴じゃないような人を主人公にした作品を書いてから、そういうことを言いやがれってんだちくしょーめ。 http://anond.hatelabo.jp/20090218005155

    村上春樹がぜんぜん卵寄りじゃない件について
  • セカイ、蛮族、ぼく。 伊藤計劃 - randam_butter blog

  • tigerbutter | 石川啄木と借金

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  • 小泉喜美子 - Wikipedia

    東京都築地生まれ。 東京都立三田高等学校卒業後、英語力を活かしてジャパンタイムズに勤務。田村隆一の下訳を手がけ、早川書房に出入りし、当時同社の編集者(『ミステリマガジン』編集部)だった1歳上の小泉太郎(生島治郎)と知り合い、交際を経て25歳で結婚した。同年(1959年)には「我が盲目の君」を第1回EQMM短篇コンテストに応募し、準佳作に入選する。 職場で大量の原稿を読み、かつ帰宅後は自らの原稿を書かなければならなかった生島から「家の中で原稿を書かれると自分(生島)の神経が参ってしまう」という理由により原稿の執筆を禁じられていたが、約束を破って『弁護側の証人』を書き上げ、『オール讀物』ミステリ新人賞に応募したところ、入選は逸したものの選考委員の一人高木彬光の激賞により文藝春秋から単行となった。 1972年に生島と離婚し、翌年に『ダイナマイト円舞曲』で再デビューしアーウィン・ショーなど重要な

  • 【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(上) : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    村上春樹氏(60)が作家生活30年を経て発表した長編『1Q84』(新潮社)は、現実から少しだけねじれた世界で進む物語だ。どのように発想され、どんなテーマが込められたのだろう。(尾崎真理子) 村上(以下M) G・オーウェルの未来小説『1984』を土台に、近い過去を小説にしたいと以前から思っていた。もう一つ、オウム真理教事件がある。僕は地下鉄サリン事件の被害者60人以上から話を聞いて『アンダーグラウンド』にまとめ、続いてオウムの信者8人に聞いた話を『約束された場所で』に書いた。その後もできる限り東京地裁、東京高裁へ裁判の傍聴に通った。 事件への憤りは消えないが、地下鉄サリン事件で一番多い8人を殺し逃亡した、林泰男死刑囚のことをもっと多く知りたいと思った。彼はふとした成り行きでオウムに入って、洗脳を受け殺人を犯した。日の量刑、遺族の怒りや悲しみを考えれば死刑は妥当なのだろうと思うが、基的に僕

  • 新作「1Q84」オウム裁判が出発点…村上春樹さん語る : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    7年ぶりに新作長編「1Q84」を発表、話題を呼んでいる作家の村上春樹氏(60)が今月上旬、読売新聞の取材に東京都内で応じ、「オウム裁判の傍聴に10年以上通い、死刑囚になった元信者の心境を想像し続けた。 それが作品の出発点になった」などの思いを明かした。今回の小説を刊行後、村上氏がインタビューに答えたのは初めて。 オウム事件について村上氏は、「現代社会における『倫理』とは何かという、大きな問題をわれわれに突きつけた」とし、この事件にかかわることは、犯罪の被害者と加害者という「両サイドの視点から現代の状況を洗い直すことでもあった」と語った。また、「僕らの世代が1960年代後半以降、どのような道をたどってきたか。同時代の精神史を書き残す意図もあった」と述べた。 こうした社会的な問題意識を背景とする作は、長い年月、互いに思い続ける30歳の男女を軸にした大胆なストーリー展開で読者を引きつけ、1巻が

  • 本谷有希子 - Wikipedia

    谷 有希子(もとや ゆきこ、1979年(昭和54年)7月14日 - )は、日の劇作家、小説家、演出家、女優、声優。石川県白山市出身。「劇団、谷有希子」主宰。夫は詩人・作詞家の御徒町凧。 項では、谷が自ら主宰する劇団「劇団、谷有希子」についても触れる。 経歴[編集] 1979年、石川県松任市(当時)に生まれる。松任市立松任中学校[1] 在学時代はソフトテニス部に所属し部長を務める。石川県立金沢錦丘高等学校時代に演劇部に所属。上京後、ENBUゼミナール演劇科に入学し、松尾スズキのクラスに在籍する。在学中から主に舞台において女優活動を開始。 1998年、アニメ『彼氏彼女の事情』で声優デビュー。ENBUゼミを見学に来ていた監督の庵野秀明が、庵野を見て騒ぐ生徒たちの中で一人我関せずの態度を取っていた谷を気に入ったためのオファーであった。このときの役は、「文化祭で上演する劇の台を書く」

  • 1Q84 読書中 - 内田樹の研究室

    『1Q84』読書中。 もったいないのでちびちび読んでいる。 何誌からか書評を頼まれたが、最初に『週刊文春』の山ちゃんからを送ってもらってしまったので、渡世の仁義上、あとはお断りする。 ぜんぶにそれぞれ違う内容の書評を書くというのも考えてみると楽しそうであるが、遊んでいる暇がない。 まだメディアでは書評が出ている様子がないけれど、みんなどうしているのだろう。 私はひたすら「ゆっくり」読んでいるので、今 Book 2 の中程である。あと4分の1しか残っていない。 子供の頃には、面白いを読んでいて、残り頁がだんだん減ってくると「ああ、楽しい時間もあとわずかだなあ」と悲しくなった。 どこか「ダレ場」が来たら、そこで読むスピードを落とそうとするのだが、それがないのが「面白い」の面白い所以であって、結局、「あああ」と言っているうちに最後まで一気に読んでしまうのである。 そういう残り頁数が減ってく

  • ミラン・クンデラ - Wikipedia

    1929年4月1日、モラヴィアのブルノ生まれ。父親のルドヴィーク(fr)は著名なピアニストで、レオシュ・ヤナーチェクに師事し、後にヤナーチェク音楽院(英語版)院長を務めた経歴をもつ。そのためクンデラ自身も幼少時から音楽教育を受け、小説の文体や構成に音楽的素養が反映されている。プラハの音楽芸術大学 (AMU) 卒業。 1963年、短編集『微笑を誘う愛の物語』を発表し、格的な創作活動に入る。 1967年、共産党体制下の閉塞した生活を描いた長編小説『冗談』を発表、チェコスロバキアを代表する作家となり、当時進行していた非スターリン化の中で言論・表現の自由を求めるなど、政治にも積極的にかかわるようになった。 1968年、「プラハの春」では、改革への支持を表明したことによって、ワルシャワ条約機構軍による軍事介入の後、チェコスロバキアにおいて次第に創作活動の場を失い、著作は発禁処分となった。 1975

    ミラン・クンデラ - Wikipedia
  • 作家、栗本薫さんが死去(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    ミステリーや時代小説などで知られた作家の栗薫(くりもと・かおる)さんが死去したことが27日わかった。56歳。評論家として中島梓(なかじま・あずさ)の名前でも活躍した。 平成19年に膵臓がんがわかり、闘病していた。 昭和53年、「ぼくらの時代」で江戸川乱歩賞受賞。54年に発表した「グイン・サーガ」が100巻を超すロングセラーになった。

  • 「爆発音がした」まとめ 上

    2009.05.08 長すぎて1つの記事では全てを表示できないようなので、2分割しました。 「爆発音がした」まとめ 下 - http://anond.hatelabo.jp/20090508095607 小説「後ろで大きな爆発音がした。俺は驚いて振り返った。」 ケータイ小説「ドカーン!俺は振り返った。」 ライトノベル「背後から強烈な爆発音がしたので、俺はまためんどうなことになったなぁ、とかそういや昼飯もっていないなぁとか色々な思いを巡らせつつも振り返ることにしたのである。」 作家石田衣良「ふー、びっくりした」 「サイレントマジョリティーを考慮に入れて振り返るかどうか決めさせていただきます」 宇能鴻一郎「あたしの後ろで、大きな音がしたんです。あたし、もう、ビックリしちゃって、振り向いた。」 「あたし,ムッチリとした女子高生なんですけど,後ろですっごく大きくて背筋がぞっとしちゃうような爆発音

    「爆発音がした」まとめ 上
  • 圧縮ドグラマグラ

    …………ブウウ——————ンンン——————ンンンン………………。 するとお八代さんが「仙五郎に会いなすったか」……と不意に妙な事を云うかと思えば……早う気を取り直した様子で……この頃一郎が、何か余程大切な事を尋ねながら、寝床の中に持って行こうとしているところで御座いますから…… 空を踏んで、全身が軽々とモンドリを打った……ように思う。満腹したせいか、全身の毛穴の一ツ一ツから、骨の髄まで滲み透るほど感銘させられた。 モウ一度聞かして……聞かしてエッ………… こゝに此因果を観じて如是末の理趣を究竟し、根元を断証して菩提心に転じ、一宇の伽藍を起して仏智慧を荘儼し奉り、一念称名、人天咸供敬の浄道場となせる事あり……チャカポコチャカポコ……その縁起を源ぬるに、慶安の頃ほひ、東天漸く紅ならむとする折しもあれ、後の方に身体を縮めて前屈みになったらしく、無理に振り切って行こうとしては何という貧弱なもの

  • 村上春樹の最新長編小説『1Q84』、5月29日発売!|新潮社

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  • 活字中毒R。―村上春樹「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」

    『文藝春秋』2009年4月号の村上春樹さんへの独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」より。 (2009年2月15日にイスラエルでエルサレム賞を受賞され、「壁と卵」のスピーチをされた村上春樹さんへの独占インタビューへの一部です。引用部はすべて村上さんの発言) 【ネット上では、僕が英語で行ったスピーチを、いろんな人が自分なりの日語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんな僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的

  • asahi.com(朝日新聞社):村上春樹さんがエルサレムに行った理由 誌上で告白 - 文化

    村上春樹さん  2月15日に開かれたエルサレム賞授賞式のスピーチで、イスラエルのガザ攻撃を批判して話題になった作家村上春樹さん(60)のインタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」が、受賞スピーチ「壁と卵」(全文)とともに、10日発売の「文芸春秋」4月号に掲載される。昨年11月の授賞の打診、発表前のガザ攻撃で悩んだ経過やペレス大統領の表情、スピーチで明かした昨年90歳で亡くなった父親の戦争体験などを率直に話している。  村上さんは、国ではなくブックフェアの賞であることや、過去の受賞者のパレスチナ政策批判スピーチも内容が公開されていることから、授賞式で話すという「ポジティブなメッセージ」を選んだ。  授賞式にはペレス大統領も出席。式の前に「僕は14年前に『ノルウェイの森』を読んだ」と言われた。しかし、「スピーチの途中から最前列に座っている大統領の表情がこわばってきました」。終わると、多くの

  • 壁と卵(つづき) - 内田樹の研究室

    村上春樹のエルサレム・スピーチについて二件の電話取材を受けたと書いた。 電話取材というのはむずかしい。 30分ほどしゃべったことを5行くらいにまとめられているコメントの場合には、「言いたいこと」が活字になっているということはほとんどない。 私が「言いたいこと」というよりは記者が「理解できたこと」が書いてある。 場合によっては記者が「言いたいこと」が私の名前で書いてあるということもある。 たぶん読む方もそれくらいに割り引いて読んでくれるだろうから、あまり硬いことは言わないつもりである。 それでも、わずかな字数では意を尽くせないことがある。 私がそのとき言いたかったことをここに書きとめておきたい。 それは「壁」というメタファーについてである。 もっとも一般的な解釈は「壁」を政治的な暴力装置、「卵」をその犠牲者と見立てることである。 もちろん、村上春樹自身もその解釈を否定しているわけではない。

  • 日経春秋 春秋(2/19) 秋 - finalventの日記

    熟慮の末の決断だったに違いない。辞任したどこかの大臣ではなく、世界中にファンを持つ作家、村上春樹さんの話である。イスラエルのエルサレムで文学賞の授賞式に臨んだ彼はガザ地区への攻撃を周到に、そして手厳しく批判した。 ▼その講演は体制を高く固い壁に、それにぶつかって壊れる個人の精神を卵にたとえている。「私たちを守るはずの体制が私たちを殺したり、私たちに他人を冷酷に効果的に組織的に殺させたりする」。少しばかり難しい言い回しだが趣旨は明快だ。「壁と卵の間で、私はいつも卵の側に立つ」とも作家は宣言した。 悪いコラムではないし、まあ、ちょっとこういうのもなんだけど、その程度に読まれるのはしかたないなと思うけれど、春樹さんがあのスピーチで言いたかったことは、イスラエル対ハマスではないのですよ。もちろん、今回のイスラエルの対応は非難されるべきであることは普通に国連の動向からしても明白。そしてその明白な批判

    日経春秋 春秋(2/19) 秋 - finalventの日記