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medtoolzとcommunicationに関するsmartbearのブックマーク (11)

  • 乱暴な言葉の使いかた - レジデント初期研修用資料

    状況に火がつくと、たいていの人は足がすくんで立ち止まる。不明の状況にあって、動くことを決断するのは大変で、止まるとたいてい、状況はもっと悪くなる。 最初に動いて、乱暴な言葉で大声を張り上げて、背中を押せる人が、だから必然的にリーダーになる。 「怒鳴りかた」にも文法があって、単に大声を出せる人と、大声で指示を出せる人とは異なってくる。 人望のあるイワシはいない イワシの群れのどこかにも「頭」に相当する個体がいる。「リーダーイワシ」は、人望があるとか、他の個体より頭がいいとか、リーダーシップにつながる何かを持っているわけではなくて、単に「一番最初に舵を切った」ということが、その個体を暫定的なリーダーに押し上げている。群れの生き死にがかかっている状況にあって、まわりの情報を把握できている個体がいないのならば、最初の判断を行った個体に、群れはそのままついていく。 選択枝を明らかにした上でお互いの落

  • 下段の間合いを削る人 - レジデント初期研修用資料

    誰かに病状説明をするときには、その人と自分との「間合い」に気をつけるようにしている。とても丁寧な応対を繰り返しつつ、間合いを削ってくる人と、間合いの全く変わらない人とがいて、間合いを削ってくる人には、企業を運営している人からラーメン屋さんまで、漠然と「自営」で生活している人たちが多い印象を持っている。 間合いを削る人 「自営」の人たちはみんな愛想がよくて、「どうぞ一つ、よろしくお願いします」なんて、笑顔で頭を下げる。空気は最後まで和やかなのに、話し合いの時間をかけて膝と膝との距離を詰められる気がする。何か脅すだとか、何かの取引を強要されるだとか、そうしたことは全くないのだけれど、何となく間合いが詰められた感覚を覚えて、あとからカルテを見直すと、漠然と「自営」圏の人であった、ということがけっこう多い。 仕事というものを、大ざっぱに「自営」と「非自営」とに分類すると、「非自営」圏の人企業に勤め

  • 見解の否定と見解の相違 - レジデント初期研修用資料

    同じ意見の対立であっても、相手の見解を否定することと、相手との「見解の相違」を表明することでは、 意味あいが全く異なってくる。 危機管理の側面からは、衝突は、常に「見解の相違」を取ることが望ましくて、恐らくは、 ある事例に対して、自らの見解を持って臨める人というのは、そんなに多くない。 事実と見解を分離する 患者さんとのトラブル事例において、「ご家族の見解が病院側に一方的に否定された」り、あるいは逆に、 「病院側の見解が、あたかも全ての事実であるかのように伝えられた」ことが、原因の根になっているのだと思う。 その時実際に起きたことと、その時お互いが感じたこと、「事実」と「見解」というものは、交渉の席に、 一緒に並べられないと、恐らくはトラブルを生む。 訴訟になるような事例では、ご家族はしばしば、「事実が知りたい」というコメントを発信する。 事実というのはしばしば、「ご家族がそう思いたかっ

  • 説得は半径1mから - レジデント初期研修用資料

    英国の元副首相にして運輸大臣でもあったジョン・プレスコットが、TopGear の対談コーナーに出演していた。 この政治家がどんな人であったのか、自分は何一つ知らないのだけれど、対談は素晴らしく面白かった。 対談 TopGear は人気の高い自動車番組で、政府に対してはたいてい批判的な立ち位置を取っていて、対談コーナーには政治家も時々呼ばれるけれど、いつも司会者からいろいろ突っ込まれる。司会者のジェレミークラークソンは、それでも相手に対する配慮が上手で、対談の相手に突っ込みつつ、笑いの落としどころは常に自分の側に持ってきて、最終的には、必ず対談の相手を立てる。 運輸大臣は、番組の中ではしばしば「無能の象徴」として叩かれていて、元運輸大臣でもあったプレスコットが出演したこの回にしても、司会者も、観客も、最初から「アウェイ」の空気だった。 プレスコットは司会者の突っ込みを切り返しつつ、議論はだん

  • 呼び出しの作法について - レジデント初期研修用資料

    もともと認知症があったりして、夜中に不穏になって、大声を出したり、点滴を引き抜いてしまったり、ひどいときには点滴棒を振り回したり、病棟の人員ではどうしても手に負えなくて、夜中にご家族をコールせざるを得ない機会が時々ある。 こんなときに、「○○さんの認知症が厳しすぎて病棟が大変なことになっています。今すぐ病院に来て、患者さんに付き添って下さい」という言葉で用件を伝えると、正しいことを言っているにもかかわらず、トラブルになる可能性が高くなってしまう。 目線が変わると見えかたは違う 白衣の威光効果はすごいから、たいていの場合は、ご家族の側から「迷惑をかけてすいません」なんて切り出されて、話は丸く収まるのだけれど、ご家族が実際に病院にやってきても、「ちゃんと話の分かる人ですから、よく言い聞かせれば大丈夫です」と怒られたり、あるいは「病棟が混乱しているのなら、専属のスタッフを誰か付ければそれでいいで

  • 名前が実体を作り出す - レジデント初期研修用資料

    「マナーを守りましょう」だとか、「患者さんに敬意を持って接しましょ う」だとか、理念を毎日唱えても、人の行動は変わらない。 何かを変えるときには、考えかたを改めて、結果として振るまいが変わっ ていくのが正いけれど、たいていそれは上手くいかない。 ある振るまいかたを外側から強制することで、たとえば特定の単語を使用 禁止にしたり、特別な会話のルールを作って、病棟にいるときにはそれを 守ってもらうようにすると、面白いことがおきる。 変更されたのは「外面」 だけなのに、それを続けて慣れてしまうと、その人の考えかたが、根から 書き換わってくる。 「言って」を「教えて」に言い換える 病棟では普段、患者さんに対して、「何かあったら言って下さい」という 言い回しを、当たり前のように使う。 たとえば「言って下さい」の代わりに、「教えて下さい」という言葉を使う というルール作ると、「言って」が染みついている

  • 接遇の交戦規定 - レジデント初期研修用資料

    対価をもらってあるサービスを提供する仕事において、危機管理のありかたとして、「平等である」というのは外せないし、平等を実現するためには、そもそも自分たちが提供しているサービスとは何なのか、それを文章化して、全ての職員で共有しておかないといけないのだと思う。 接遇の訓練は、危機管理の側面として学ばれる必要がある。「正しい接遇」というものは、お客さんのためというよりも、むしろ現場の職員を守るために、有事の際に、マネージャーに相当する人が、お客さんに「ここから出ていけ」というカードを切るために、欠かせないものになる。 良さの過剰は悪徳 特定のお客さんに不快感を与えた職員は、プロ失格なんて言われるけれど、特定のお客さんにだけ、想定していた以上の満足を与えてしまった職員もまた、同じようにプロ失格であって、その人の振る舞いは、見直されないといけないんだろうと思う。 「誠意を持って、丁寧に対応しましょう

  • 分業する人たち - レジデント初期研修用資料

    誰の胸にも自尊心があって、それを満たすには勝たないといけない。人が集まって、みんなが同じルールで勝ちを目指すと喧嘩になるから、個人が複数集まると、役割の分担が自然発生して、チームができる。 チーム内部での役割分担は、合議で決定されることもあるけれど、恐らくは役割分担というものは、場の自尊心を効率よく分けあうやりかたとして、半ば必然として自然発生するものなんだと思う。リーダー1人、あとは全員部下という形も多いけれど、みんなの自尊心を満たすなら、それぞれの得意分野に応じて、チームに複数の「専門家」を作ったほうが、効率がいい。 個人と個人でなく、「家族」みたいな複数の人たちと交渉に臨むときの考えかた。 ライフルマン チームに属する全ての人は、ライフルマンとなる。万能選手であると同時に、「状況」や「空気」で動く人たちでもある。特定の専門技能を持たないライフルマンが複数集まってチームを作ると、そこか

  • 謝罪に関する覚え書き - レジデント初期研修用資料

    そのうちまとめたいと思っているもの。ゴールでなく、手段としての謝罪について。 謝罪というものを、事実と感情とを切り分けるための手段である、道具であると考えることで、謝罪の使いかたが上手になるんだと思う 苦情の原因は、「相手の勘違い」などではなく、常に「こちらの配慮不足」であると考えないといけない。事実で妥協する必要はないけれど、印象には配慮しないといけない 「相手がバカだから」「いちゃもんをつけられた」なら、それは馬鹿な相手を想定した対応を用意できなかった自分の非であって、だからこそ、謝らないといけない。謝罪という局面で大切なのは感情であって、事実は関係ない 「謝罪というのは弱さの現れ」であるという文化は止めたほうがいいんだと思う。「謝れる人は強い」という意見も同じぐらいに有害。謝罪は単なる手段であって、交渉者は、謝罪という行為に対して中立でないといけない 謝罪は具体的でないといけない。相

  • 理解は押しつけから始まる - レジデント初期研修用資料

    理路整然と、病気のことを患者さんにしゃべり倒しても、「理解」を得るのは難しい。どれだけ詳しくしゃべっても、患者さんからは「お任せします」なんて終結宣言がでて、伝わっていると思ったことは、全然伝わっていなかったりする。 「それは要するに、こういうことなんですね」なんて、患者さんの口から発せられる「要するに」をお互いに共有する、理解の方法論。 誰も病気のことなんて知りたくない 主治医は病気の専門家だから、患者さんの状況に応じて、今どんなことが推定されて、それに対してどういう手段を考えているのか、教科書的に正しいことを、系統だって語ることができる。実はこれが「できる」人すら少ないのが問題といえば問題なんだけれど、一応できることになっている。 ところがたぶん、患者さんだとか、ご家族の多くは、「系統だった」話を聞いて、それを理解であると認識しない。知りたいことの重要度は、個人によってまちまちで、たと

  • 誠意は大切 - レジデント初期研修用資料

    処世術としての「誠実な会話」について。 何となく話そびれて、患者さんだとか、あるいはご家族から「話を聞かせて下さい」なんていわれたときの話しあいは、注意しないといけない。 これといった目的のない話しあいは、しばしば迷走して、収拾がつかなくなってしまうことがある。 最初に目的を宣言する 話しあいの前に、目標を宣言するのは大事なんだと思う。「今日は検査の報告だけさせていただきます」とか。「状態もだいぶ安定してきたので、退院の時期を相談したくて、今日来ていただきました」とか。 最初に医療者側から宣言をしておくと、話がぶれにくい。逆に「宣言」なしで、何となく話が進んで、ご家族の側から「宣言」を切り出されると、流れはご家族のものになる。流れを変えたり、あるいは「今日はこのへんで」なんて話を打ち切ると、それは「流れが着られた」という心証になって、どう言いつくろっても、いい結果を生まない。 「宣言」は単

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