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東京に関するsn_1054のブックマーク (69)

  • 【追記】いま一番熱い街は江東区木場

    文末に追記した。 =========== ・33歳 男 ・夫婦2人暮らし 今まで住んできたところはここ。 ・中学~高校:練馬区光が丘 ・大学:千葉県西千葉 ・社会人1年目:兵庫県深江 ・社会人2年目:埼玉県和光市 ・社会人2年~3年目:江東区東陽町 ・社会人4~6年目:新宿区早稲田 ・社会人7~9年目(ここで結婚):港区白金・広尾・恵比寿らへん ・社会人10~11年目:江東区木場 ・無職1年目:神奈川県鵠沼海岸(江の島あるとこ)←イマココ 色んなところ住んでみて一番良かった町は 江東区の木場。 野村不動産のタワマン(プラウドタワー)を買った人は当に勝ち組。今後20年は資産価値減らない、むしろ上がる。それくらい住む価値のある街。 木場はまず一番何がいいって言うとスーパーが最高(正確に言うと木場じゃなくて東陽町なんだけど自転車で行けるので…)。 イキイキ生鮮市場っていうスーパーがあるんだけど

    【追記】いま一番熱い街は江東区木場
  • ヨドバシ進出でこれまでの苦労が水の泡!? 豊島区長の反対表明、その切実な背景とは

    ヨドバシ進出でこれまでの苦労が水の泡!? 豊島区長の反対表明、その切実な背景とは:長浜淳之介のトレンドアンテナ(1/7 ページ) 西武池袋店にヨドバシが出店する計画が進んでおり、豊島区長が反対を表明したことが波紋を呼んでいる。豊島区が取り組んできたことを振り返り、発言の背景を考察すると……。 池袋の顔ともいえる西武池袋店(東京都豊島区)に、ヨドバシカメラが出店する計画が進んでいる件について、高野之夫豊島区長が反対を表明したことが波紋を呼んでいる。 高野区長によれば、「決して、ヨドバシの進出に異を唱えているわけではなく、今まで私たちが築いてきた、池袋全体のまちづくり構想を壊してほしくないというお願いである」としている。

    ヨドバシ進出でこれまでの苦労が水の泡!? 豊島区長の反対表明、その切実な背景とは
  • 好景気に沸いた70~80年代日本の夜、カナダ人写真家が撮影

    カナダの著名な写真家グレッグ・ジラード氏は1976年4月に東京に降り立った。東京にはほんの数日だけ滞在するつもりだった。当時、20代前半の「貧乏旅行者」だったジラード氏は、滞在コストの安い東南アジアの目的地に向かっていた。 ジラード氏は羽田空港で荷物を預け、泊まる場所もなく、東京での初日はカメラを片手に活気のある新宿の街を歩き回った。 「当時、西側諸国でこの近代都市(東京)をテレビなどで目にする機会は皆無だったため、見るもの全てに驚いた」 ジラード氏はビデオインタビューでそう振り返った。 西欧諸国の一般の人々がアジアの主要都市を知るきっかけとなったのはSF映画「ブレードランナー」や90年代のポップカルチャーだったが、ジラード氏が東京を訪れたのはそれよりもはるか前だったという。 「結局、東京に到着したまさにその日に、ここに滞在しようと決めた」(ジラード氏) ジラード氏の気まぐれで始まった東京

    好景気に沸いた70~80年代日本の夜、カナダ人写真家が撮影
  • 大阪の都市の特徴→御堂筋線、キタ・ミナミの概念、阪急のブランド力と東京には見られないものが様々ある

    pom@department_store @pomdepartments1 梅田阪急の祝祭広場を見た時に『これこそ日一の百貨店だ』と度肝を抜かれたのだが、南海難波駅もかなりいい線をいっている。正直舐めてた。 大阪駅や京都駅なんかもそうだが、関西の駅とか百貨店は空間の使い方が贅沢で良いな。東京負けてるぞ普通に。 pic.twitter.com/9iV7qdNNn9 2022-04-13 23:40:37 pom@department_store @pomdepartments1 大阪の線的な都市形成。 東京の面的な都市形成とは対照的。 改めて見ても、御堂筋線の存在感は圧倒的だな。全ての大手私鉄が乗り入れていて、東京で言うところの山手線に当たるかと思う。 赤が御堂筋線、グレーがJR、その他が大手私鉄。山手線の池袋〜新宿〜品川までを切り取ったようなイメージ。 pic.twitter.com/g

    大阪の都市の特徴→御堂筋線、キタ・ミナミの概念、阪急のブランド力と東京には見られないものが様々ある
  • どこから来て迷い込んだ…?新宿駅構内にタヌキが闊歩していると目撃証言があがる

    これで金曜ロードショーが『平成狸合戦ぽんぽこ』だったら出来過ぎですが流石にるろうにでした。 まあある意味、流浪してるか。

    どこから来て迷い込んだ…?新宿駅構内にタヌキが闊歩していると目撃証言があがる
  • 東京の感染4000人台突入も…「コロナ収束待ってたら、学生生活終わっちゃう」原宿は人波が途切れず:東京新聞 TOKYO Web

    東京五輪で日選手の活躍が続く中、都内での新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。東京の新規感染者は31日、4058人で最多を更新。都は感染者の半数を占める20代や30代、重症者が多い50代を中心に外出自粛などの呼び掛けを強める。しかし、週末夜の新橋ではサラリーマンらが五輪中継を見ながらグラスにビールを注ぎ、休日の原宿は大勢の若者たちでにぎわっていた。(米田怜央、山口登史)

    東京の感染4000人台突入も…「コロナ収束待ってたら、学生生活終わっちゃう」原宿は人波が途切れず:東京新聞 TOKYO Web
  • 1990年代の東京をひたすら撮影 動画数百本を投稿したYouTubeチャンネルがすごい

    普段何げなく通り過ぎる街角も、数十年後には見たくても見られない特別な風景に変わっているかも……? YouTubeに投稿された、1990年代の東京街並みを撮影した動画がそんなことを思わせてくれます。 今では見ることができない風景 駅は今ではICカードでピッと入場できますが、自動改札が導入される前は駅員が手作業で切符を切っていました。1990年に撮影されたこの動画では、改札パンチ(正式名称:改札鋏)をカチカチカチカチ……と使い、通勤ラッシュを高速でさばく駅員さんの様子が確認できます。 動画を撮影したのは写真家・ビデオグラファーとして長年活動しているライル・ヒロシ・サクソンさん。1984年から東京に住んでいるというサクソンさんは、1990年ごろから独学で動画撮影や編集を開始。「Tokyo Video Project」と題し、東京の自然な街並みを撮影していきました。 サクソンさんのYouTubeチ

    1990年代の東京をひたすら撮影 動画数百本を投稿したYouTubeチャンネルがすごい
  • 髭男爵・山田ルイ53世さんの上京物語。ブレイクして初めて「東京に来た」感じがした - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 戸部田誠(てれびのスキマ) 写真:関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」にご登場いただくのは、お笑い芸人・髭男爵の山田ルイ53世さん。 成績優秀で「神童」と呼ばれ、地元・兵庫県で有数の進学校に合格しながらも、中学2年生から引きこもりに。大検を取り大学に通うも中退し、「逃げるように」上京したそうです。 短くない下積みを経て「ルネッサーンス!」のフレーズとワイングラスでの乾杯漫才で大ブレイクしましたが、その後、テレビ仕事は激減し「一発屋」と呼ばれるようになりました。現在は、執筆業で再び注目を浴びている山田さん。そんな激動の東京生活について伺いました。 6年

    髭男爵・山田ルイ53世さんの上京物語。ブレイクして初めて「東京に来た」感じがした - SUUMOタウン
    sn_1054
    sn_1054 2019/03/15
    “休日にボルダリングするような精神状態”
  • 【俳優・大泉洋さん】北海道で30年、東京で10年過ごして、いま一番住みたい街とは? - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) さまざまな方に「街」にまつわるエピソードについて伺うインタビュー企画。今回ご登場いただくのは2017年12月1日(金 ※映画の日)に、最新作「探偵はBARにいる3」の公開を控えている大泉洋さん。 北海道の人気タレントとして確固たる地位を築いていた大泉洋さんが、東京で暮らし始めたのは30歳を過ぎてから。俳優としての自分を磨くため、役者の仕事が集まる東京で勝負することを決めたといいます。それから10年。全国放送の連続ドラマや映画で経験を重ね、主演映画『探偵はBARにいる』(11)では第24回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞、第35回日アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞されました。 生まれ育った北海道での30年。俳優として大きな飛躍を果たした東京での10年。今では、どちらも大事なホームタウンになったと語る大泉さん。暮らして分かった東京の良さ、離れて

    【俳優・大泉洋さん】北海道で30年、東京で10年過ごして、いま一番住みたい街とは? - SUUMOタウン
  • 秋葉原 変容し続ける街で「なにもしなかった」オノデンが生き残った理由 | 文春オンライン

    1960年代前半、東京五輪に沸く首都を活写した開高健の『ずばり東京』で、開高が描かなかった街・秋葉原。いまやJR東日で9位の乗降客数を誇り、外国人観光客も多く呼び寄せる秋葉原は、どのように発展してきたのか。ノンフィクションライター・神田憲行氏が、その軌跡を辿る。 出典:「文藝春秋」2017年9月号・全3回 しかし開高の「ずばり」に、秋葉原という文字は一度も登場しない。これは今の感覚からするとけっこう不思議なことではないだろうか。 この連載が開高健の「ずばり東京」をモチーフにしていることは読者のみなさんもご存じだろう。1960年代前半、東京五輪開催直前の東京のあちこちを開高が歩き回った名作ルポである。 現在のJR秋葉原駅の1日の乗降客は24万6000人以上、JR東日管轄の駅の中では9位に入る。上野や有楽町などよりも多い(2016年度、JR東日調べ)。また「電気街」「アイドル」「アニメ」

    秋葉原 変容し続ける街で「なにもしなかった」オノデンが生き残った理由 | 文春オンライン
  • 何者にもなれない僕が「荻窪」にいた(寄稿:カツセマサヒコ) - SUUMOタウン

    著: カツセマサヒコ 東京と千葉を結ぶJR中央・総武線は、中野~吉祥寺間でカルチャー色が強くなり、そうした空気に憧れる若者もまた、多く住んでいる。当時の僕も、そのうちのひとりだった。 「中野ブロードウェイ」をランドマークに展開されるサブカルタウン・中野。 “東京のインド”と呼ぶ人もいたディープな街・高円寺。 アニメ制作会社やミニシアター、ギャラリーなどが点在する阿佐ヶ谷。 個性的かつ味も確かな個人飲店が並ぶ西荻窪。 ジブリ美術館をはじめアニメーションの聖地として知られる吉祥寺・三鷹。 いずれもいい意味でアクが強く、独特の空気と、ゆったりとした時間が流れている。その空気を吸って暮らせばそのうち自分も何者かになれるのではないかと、多くの若者同様に、当時の僕も錯覚していた。 僕は、東京都杉並区にうまれた。 実家から中央・総武線と東京メトロ丸ノ内線が走る「荻窪」までは自転車でも行ける距離で、幼少

    何者にもなれない僕が「荻窪」にいた(寄稿:カツセマサヒコ) - SUUMOタウン
  • 田舎高卒は自分が底辺ってことさえ知らない

    東京に生まれて中高一貫・大卒と田舎高卒ってその時点で生きてる世界が違うよな。 東京のやつは「いまどき大学行かない奴とかいるの?」とか、マジで言ってるし。 俺の出身中学(田舎)で大学まで進学しているのは10パーセントくらいだし、田舎じゃ高卒デキ婚が当たり前。 企業に就職してるやつよりもフリーターが多いし。 でも、東京で生まれ育って就職してる人はそんな底辺の世界なんて想像できないし、逆もまたしかりなんだろな。 むしろ、田舎高卒は東京育ち大卒の世界を知らないで、ずっとその地元で生きて死ぬのが幸福なのかもしれん。 東京大卒と田舎高卒の格差はめちゃくちゃ残酷。 で、そのことを一番実感できるのは、田舎の底辺から東京の大学とか大企業とかに行った奴。 東京でのうのうと育って暮らしてるやつは、底辺を見て「自己責任」とかのたまう権利はないと思う。 東京という場所と、理解と経済力のある両親のおかげで、人の努力

    田舎高卒は自分が底辺ってことさえ知らない
  • 今の東京は息苦しい。生活しづらい。いっそのこと階級社会になれ。

    大手の上場企業に勤めている。上位10%に入るタイプの人間だと思う。 だからといって、世間と隔絶した生活をしているわけじゃなく、コンビニで電池を買うし、チェーンの喫茶店にも行くし、そこら辺のカラオケに行ったりもする。 すると、底辺・底辺・底辺。そこで働いている人がみんな底辺で、気疲れしてしまう。給料が低いだろうし、ストレスも多くて、その水準から這い上がることもないんだろうな、と思う。良い会社は東京にあるが、東京で生活することは、あらゆるサービスを底辺に支えてもらうことだ。そのアンビバレンツに身が裂かれそうになる。 居酒屋もコンビニもファミレスも美容師もアパレル店員もみんな底辺。 夜中にファストフードで働いている人も底辺だし、底辺と接する機会が多すぎる。 飲み会で知り合う女の子も底辺だし、こちらのステータスにいついてくる姿もなんだか嫌になる。 仕事以外で、誰かと話すのが非常に気を使う。職業の

    今の東京は息苦しい。生活しづらい。いっそのこと階級社会になれ。
  • 都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」(寄稿:雨宮まみ) - SUUMOタウン

    著: 雨宮まみ 青春、という言葉は大嫌いだけど、自分のこれまでを振り返ってみて、いちばん青春っぽかったのは、西新宿で暮らした25歳~35歳の10年間だったのではないか、と思う。 西新宿に引越したのは、会社を辞めてフリーライターになるタイミングだった。とにかく貧乏になることは分かりきっていたし、出版関係は新宿での飲み会が多かったので、付き合いで行かなきゃいけないことを考えて「新宿からタクシーで千円ぐらいで帰れる距離で、家賃がなるべく安いところはありますか?」という、かなりアバウトな条件で物件を探した。「会社員」という肩書きがないと、家を借りるのは難しいと思っていたので、とにかく慌てて探していた。そして、「ここならなんとか住めるな」と思った西新宿の古いアパートの1階に引越した。 実際にタクシーを利用することはほとんどなかった。歩いて帰れたからだ。お金がなくて仕事がなくて時間だけがあり余っている

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  • 猪瀬直樹が語る「東京のガン」

    2016/7/13 明日14日、東京都知事選の告示日を迎える。7月31日に実施される選挙の争点は何か。現在の東京都の行政が抱える問題とは何か。次期都知事に求められる素養、リーダシップとは何か。元東京都知事の猪瀬直樹氏にじっくり話を聞いた。(聞き手:佐々木紀彦NewsPicks編集長) 内田氏を怒らせた事件 ──先日、都知事選に関連する猪瀬さんのNewsPicks上でのコメントが大きな話題になり、3000を超える「Like」が付きました。特に、都議会のドンとも言われる内田茂・自民党東京都連幹事長についてのコメントが痛烈でした。今回は、その内容をより詳しく聞いていきたいと思います。 最初に、私と都庁の関係を時系列に整理すると、2007年に副知事になったのが始まりです。 石原(慎太郎)さんに頭を下げられて「ぜひ副知事をやってくれ」と頼まれました。 あまり乗り気ではなかったですが、当時、地方分権改

    猪瀬直樹が語る「東京のガン」
  • 地方出身民は地方へ帰れ

    せめて3親等内が地方出身の奴は出身地方へ帰ってくれ〜 東京は混みすぎて交通機関は死んでるし、新しいスポットが東京にできるとウンヶ月待ち。 人が多すぎてお互いにストレスを抱えあうなんてアホらしい! 地方出身の奴が東京で地方創生に向けて働いてます!って何じゃそりゃ! 地元に、自身のルーツに愛着はないのか? 私は地元に愛着があるので、地元の東京が破綻しないように、 無駄に東京出てきただけの地方民は地元に帰って欲しいと思っています。

  • 「降りない都知事」の働かせ方(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

  • 【日本死ね】杉並区でも新たな保育所の建設で住民が激怒「全員が反対という意見」「別の場所に建てろ」…会議で涙目で発言した賛成派のカーチャンが袋叩きに:ハムスター速報

    TOP > ニュース > 【日死ね】杉並区でも新たな保育所の建設で住民が激怒「全員が反対という意見」「別の場所に建てろ」…会議で涙目で発言した賛成派のカーチャンが袋叩きに Tweet カテゴリニュース 0 :ハムスター速報 2016年5月31日 12:27 ID:hamusoku 待機児童が増え続けている東京・杉並区で29日、新たな保育所の建設に向けた説明会を開いたところ住民から反対意見が相次ぎ、5時間半にわたって紛糾しました。その主な原因は、保育所の建設予定地でした。 29日、東京・杉並区で開かれた住民説明会。区が保育所の建設計画を説明したところ、住民から反対の声が相次ぎ、説明会が紛糾したのです。 「2750名の(反対)署名が集まった。杉並区は重く受け止めてほしい」(反対派) 「不明なことが多いので、決める前にちゃんと調査をされたのかどうか、それをお答えいただきたい」(反対派) 「他の

    【日本死ね】杉並区でも新たな保育所の建設で住民が激怒「全員が反対という意見」「別の場所に建てろ」…会議で涙目で発言した賛成派のカーチャンが袋叩きに:ハムスター速報
  • 新宿の秘境を堪能する

    新宿駅はめちゃくちゃである。 記憶に残る限りずっと改築中だし、生き物のように通路や出口が変わる。ものすごく新しいビルができたと思えば、昔からかわらない景色もある。 めちゃくちゃでおもしろい。 新宿通を自負するふたりで新宿駅周辺のどうしてこうなったという場所を堪能してきた。

    新宿の秘境を堪能する
  • 新宿西口の高速バスターミナル、45年の歴史に幕:朝日新聞デジタル

    東京・新宿駅南口に1日約1600便が発着する日最大のバスターミナル「バスタ新宿」が4月に開業したことで、これまで、同駅周辺に点在していたバスの乗降場はその役目を終えることになった。 ヨドバシカメラ新宿西口店横にある「新宿高速バスターミナル」も8日、最終便となる午後10時25分発の松行き臨時便の出発で45年の歴史に幕を下ろした。 同ターミナルは1971年に開業。「バスタ新宿」が出来るまでは、長野県松市や甲府市などに向かうバス約300便が連日、ここから出発した。特に、特急列車の直通運転がない長野県飯田市に向かう人にとっては東京の玄関口となってきた。 最終便の出発にはバスの愛好家や「バスタ新宿」の福島八束所長が駆けつけ、見送った。最終便の運転手に花束を渡した高速バスマーケティング研究所の成定竜一代表(44)は「ここでのアルバイトでバスと出会ったのが私の原点。そのバスターミナルが役目を終え

    新宿西口の高速バスターミナル、45年の歴史に幕:朝日新聞デジタル