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人間関係に関するsoleil266564のブックマーク (65)

  • 私が「オンラインコミュニティ」をマネジメントする上で意識して取り組んでいること。

    オンラインコミュニティは、現代の私たちにとって、自己成長やつながりを深めるための重要な場所になっていると思います。 つい最近まで「先送りせずにすぐやる人に変わる 100日チャレンジ第九期」のコミュニティマネージャーを務めていて、このことをあらためて強く感じました…. 一人で解決できることもありますし、今では生成AIに頼ることで解決できることも沢山あるでしょう。 でも、コミュニティの力を借りるからこそ解決できる悩みというのも確実にあって、それはどんなにテクノロジーが発達しようとそうそう変わらないのではないかと思う次第です。 先日、100日チャレンジ第九期が卒業式を迎え一区切りついたのでこのあたりで一旦、私がオンラインコミュニティを運営する際に特に意識している点を備忘も含めてまとめておきたいと思います。 100日チャレンジ第九期以外のコミュニティでの経験もふまえていますので、良かったら参考にし

    私が「オンラインコミュニティ」をマネジメントする上で意識して取り組んでいること。
    soleil266564
    soleil266564 2024/10/16
    オンラインコミュニティをマネジメントする上で意識していることについてまとめ的な記事を書きました。
  • プレゼンをする際には、なるべく手を動かすようになった話。

    昨年の自分と今年の自分を比較した時に、大きく変わった点があるとすれば「プレゼンをする際には、なるべく手足を動かすようになった」ということです。 今回はこの変化について備忘も兼ねて思うところを書きます。 たくさん手を動かし、楽しそうにプレゼンをする この私的な変化の端緒となったのは、今私が大変お世話になっているTaskChute Cloud 2の開発者で、タスクシュート協会の理事でもあるjMatsuzakiさんと出会ったことでしょう。 そこそこ借金して「俺が考える最強のタスク管理・時間管理サービス」作った。どうか使ってみてほしいhttps://t.co/SXatmd9fHf — jMatsuzaki🔥2/24 処女作「先送り0」出版! (@jmatsuzaki) August 17, 2024 タスクシュート認定トレーナーになるための養成講座を今からちょうど1年前に受講し、その時にはじめて

    プレゼンをする際には、なるべく手を動かすようになった話。
    soleil266564
    soleil266564 2024/09/25
    昨年の自分と今年の自分を比較した時に、大きく変わった点があるとすれば「プレゼンをする際には、なるべく手足を動かすようになった」ということです。
  • 「相手を変えてしまう自分をもう少し控える、特に悪い方向に相手を変えてしまうことを控える」とたいていの関係は良好になる、という話。

    「相手を変えてしまう自分をもう少し控える、特に悪い方向に相手を変えてしまうことを控える」とたいていの関係は良好になる、という話。 少し前に「Todoリストは捨てていい」というの中から「相手の「ニード」を「ニーズ」に変える」という考え方について、思うところを書きました。 相手の「ニード」を「ニーズ」に変える、という考え方に鮮烈な印象を覚えた話。 今回もそんな書の中から一つ、個人的に強く印象に残った部分を一つご紹介してみたいと思います。 早速、該当の箇所を引用します。 「相手を変えようとしない」というよりも「相手を変えてしまう自分をもう少し控える」のが消耗しない人間関係のコツです。 とくに「悪い方向に相手を変えてしまう」のをやめるだけで、たいていの関係は良好になります。 さて、いかがでしょうか? この箇所を読んだ時、自分自身のこれまでの経験とリンクして私は大きく膝を打ってしまったのです。

    「相手を変えてしまう自分をもう少し控える、特に悪い方向に相手を変えてしまうことを控える」とたいていの関係は良好になる、という話。
    soleil266564
    soleil266564 2024/09/18
    「Todoリストは捨てていい」という本が私にとりわけ刺さっているのは「人間関係」について書かれた部分が多くあるからだと思ってます。人間関係での消耗がなくなれば、どんな仕事はかなり捗ると思っている派です。
  • あらためて、自分が間違っていると思った場合には、きちんと「ごめんなさい」が言える人でありたいと強く思った話。

    あらためて、自分が間違っていると思った場合には、きちんと「ごめんなさい」が言える人でありたいと強く思った話。 この季節になるとSNS(私の観測範囲では特にX)上に「新入社員の方々に向けた投稿」が雨後の筍のように登場する。 このミームのようなものが私は結構好きだ。 2年前のこの時期に書いた以下の記事はそんな流れに乗って書いた。 社会人になったばかりの頃、悪くもないのに「すみません」と言わないこと、と教わった。 知りもしない方々から様々なことを言われて、新入社員の方からすれば「寄ってたかって、うっせーよ」「余計なお世話だよ」なのかもしれないが・・・・ 今年私が見かけた投稿の中で強く印象に残ったものがあった。 それがこちらである。 私の好きな『諸君!この人生大変なんだ』の一節。4月になるといつも思い出す。 「ごめんなさい」がきちんと言える人、もっと言うと立場にかかわらず訂正できる人が一番強い。

    あらためて、自分が間違っていると思った場合には、きちんと「ごめんなさい」が言える人でありたいと強く思った話。
  • 「合理的」によって封印されてきた「情緒」を育む方法

    最近、ある人からこんなことを言われた。 「佐々木さんは確かに人に対して興味があるんでしょうけど、それは個々人それぞれに興味があるというわけではないですよね? 興味があるのはひとりひとりではなくて、人間というものの汎用的なセオリー、あるいはしくみの方ですよね。 だから、人が他人から訊かれてイヤーなところまで絶妙に深入りせずに相手が話していい範囲のところを上手く引き出せると思うんですよね。」 これは、たぶんお褒め?の言葉だったのだろう。 でも私は、そうは言ってもらったものの、深入りして不快にしてしまったこれまでの数々の記憶を思い出して、何ともバツが悪い感じになった。 褒められると自分の中でその逆の自分の悪いところが浮き上がってきてしまう。 残念ながらこれはよくあることだ。 ともかくそれでも、そのバツの悪さと同時に「セオリー、しくみ」に興味がある、という見立てに、私は確かにそうかも・・・という直

    「合理的」によって封印されてきた「情緒」を育む方法
    soleil266564
    soleil266564 2024/02/21
    新しい記事が掲載されました。(著者:RYO SASAKI)
  • 「ついでに〜する」という行為は、できるだけ取りたくないという話。

    時折「このためだけに来たんですか?」と聞かれることがある。 今年に入ってからもすでに3度あった。 どういうシチュエーションかもう少し詳しく書きたい。 私が住んでいるところは狭山茶発祥の地で知られる地域で、まあまあ交通の便が悪い。 最寄りの駅までは一番近いところで車で10分〜15分(数が少ない)、よく使う駅までは車で25分〜30分。 そんな場所から新宿や渋谷などの都心部に出ようと思うと、賞味、往復3時間〜3.5時間くらいかかる。 ゆえにお会いした人が「このためだけに来たんですか?」と聞くのだろう。 これに対して「そうです」と私が答えるとたいていの場合で驚かれる。 その方の頭の中に「きっと他の予定や用事と組み合わせて来ているのだろう」という想定があるからなのかもしれない。 しかし、このためだけに来ている私からすれば「そうです」と答える他に選択肢はないのだ。 そして、この一般的には非効率的と思

    「ついでに〜する」という行為は、できるだけ取りたくないという話。
  • 大人の学問を考える~解放学のおすすめ~

    今回のタイトルは「大人の学問を考える」。 そのキッカケになったのは、意外にもカラオケスナックだった。 一人の男性が我々の後から入店して、隣のテーブルに座った。 しばらく経過するも、その男性はずーっと歌わずに呑むだけで、こちらのテーブルばかりが歌っていたので、気になって「歌ってください」と声をかけてみたところ・・・ 「いや、私は(人の歌を)聞くのが好きなんでお気遣いなく・・・。」 と返ってきた。 昔の私だったら、礼儀を示したということにして、これで終わっていたのだと思う。 ところが・・・。 私はいつからお節介オジサンになってしまったのだろうか? 私の中には、 (いや、そんなはずはあるまい、一人でカラオケスナックにやって来る人が歌を歌いたくないわけがない。) そんな興味が湧いてしまったようで、 「なんでですか?歌ってくださいよ~。」 ともう一歩踏み込んでしまった。 「私は下手なんで・・・」 か

    大人の学問を考える~解放学のおすすめ~
  • コミュ障もあがり症も人見知りも当然!?コミュニケーションとはまことに難しいものだ。

    新しい学校のリーダーズというダンスボーカルユニットが今年大ブレイクした。 「首振りダンス」が流行語大賞のトップ10にもランキングした。 海外人気もすごいらしくて、来年は単独武道館ライブも決定したらしい。 そんな彼女らの海外ライブのMCに、目が留まるシーンがあった。 自らを『青春日本代表』と呼んでる彼女らの観客との掛け合いでのこと。 リーダーズ:「Do You Know Seisyun? ドゥユーノーセイシュン?」 海外の観客:(ファンは良く知っていて)「Youth!ユース!」 リーダーズ:「Seisyun mean “enjoy every moment be yourself”」 (青春とは、「一瞬一瞬を自分らしく愉しむ」という意味としています!) ※青春日本代表を自称しているのには、青春とは学生だけのものでもなくて、いくつになっても青春していこう、というメッセージがある。 このやりとり

    コミュ障もあがり症も人見知りも当然!?コミュニケーションとはまことに難しいものだ。
  • 「大人が孤独感を感じてしまう構造」と「守護神」という役割の必要性について。

    もう随分前のことですが、こんな投稿をしたことがありました。(当時のTwitterに) 歳を重ねれば重ねるほど「人を好きになること」って大事になるんだな、とふと思いました。 若い時は誰でも自分に優しくしてくれます。 赤ちゃんや子供をイメージすれば分かるかと。 しかしながら、歳を重ねれば重ねるほど「価値」か「好意」のどちらかを相手に示さないかぎり、どんどん「孤独感」を感じてしまいます。 「価値」は相手によって見出されたり見出されなかったり、そして上下するものなので自分でコントロールできない場合がほとんどです。 一方で「好意」に関しては自分でコントロールすることが可能だと思います。 シンプルに自分が好きな気持ちを持てばいいわけだから。 だからこそ、孤独感を感じたくないと思うなら、歳を重ねれば重ねるほど「人を好きになること」が大切になってくると思うわけです。 ちなみに、孤独感と孤独は非なる概念なの

    「大人が孤独感を感じてしまう構造」と「守護神」という役割の必要性について。
  • 「周りとは違う経験」に私が見出している価値について。

    先日、RANGERで記事を書いてくださっている佐々木さんの記事を読みました。 それは平均を求めてきた反動か?私は個店に導かれる~個性を存分に味わう時代の到来~ 物凄く乱暴に掻い摘んで言うと、何かの力によって今「個店」に導かれている、という話です。 この記事を私は大変興味深く読ませてもらいました。 というのは、何を隠そう私も今日までの人生において「個店」に魅力を感じてきたからに他ならないからだと思います。 例えば、外する場合、飲チェーンに行くことはごく稀でできる限り個店に行くようにしてきたなどです。 あらためて「個店」の魅力について、他者の目を通して考える、自分にとっては大切な時間となった記事でした。 そして実は、この記事を通してもう一つ気付かされたというか、思い至った事柄があります。 それが稿のタイトルにもある、 「周りとは違う経験」に私が見出している価値について というものです。

    「周りとは違う経験」に私が見出している価値について。
  • 自慢話をうざいと思われたくないなら、相手が自分に関心を持っているかを気にすること。

    この記事で書きたいことは、大筋下記のようなことです。 ・「自慢話」と「実績アピール」は、コンテンツとしてはそれほど変わらないような気がする ・ただの大げさな「自慢話」であっても、興味がある対象による自慢話であればコンテンツとして面白い ・求められない状態・場面で話してもウザいだけ、という点ではどちらも同じ ・重要なのは「相手は自分に関心を持っているか」の把握 ・自慢話でウザいと思われたくない人は、まず相手の中に「自分に対する関心」を育てた方が良い ・「私はあなたに興味があります」というやり取りで少しずつお互いの許容範囲を広げていくのがその一つの方法 以上です。よろしくお願いします。 さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。 先日、雨宮紫苑さんのこちらの記事を拝読しました。 「実績紹介」と「ただの自慢話」を混同している人、多くないですか? 大変僭越な

    自慢話をうざいと思われたくないなら、相手が自分に関心を持っているかを気にすること。
    soleil266564
    soleil266564 2023/08/28
    欲しいという感情が起こる前に売り込みにかかるととたんに「買いたくない」という不買心理が起こる。でも欲しいという感情が起こった後なら何でも親切に教えてくれる人になれる。この話と同じ構造だと思う。
  • 私の琴線に触れた「俺はお前の居場所になんてものになれやしないけど、お前の居場所には俺がいつだって行ってやれるよ」という考え方。

    私の琴線に触れた「俺はお前の居場所になんてものになれやしないけど、お前の居場所には俺がいつだって行ってやれるよ」という考え方。 先日コミュニティを運営していく上で極めて重要だと思える「考え方」に出会いました。 記事はその考え方について思うところを書いたものです。 書きたいことを最初にまとめてしまうと以下のようなものになります。 ・今絶賛放送中の土曜ドラマ「最高の教師」は強くオススメしたいドラマ ・「最高の教師」第4話の視聴中に琴線に触れる考え方に出会った ・その考え方は、俳優の窪塚洋介さんの息子・窪塚愛流さん演じる楢原という高校生のもので「俺はお前の居場所になんてものになれやしないけど、お前の居場所には俺がいつだって行ってやれるよ」というもの ・ある人が自分の居場所を実感するために最も重要な要素は「相手の居るところまで行って、相手の存在を認めてあげられる人の存在」 ・「相手の居場所に行く

    私の琴線に触れた「俺はお前の居場所になんてものになれやしないけど、お前の居場所には俺がいつだって行ってやれるよ」という考え方。
  • 欲の循環をキッカケにして、自分のワガママへの向き合い方が刷新された。RANGER

    前回の記事には、好み(欲)の循環の話を書いた。 夏にまたビールが飲みたくなる、といったごく普通の季節循環だったり、健康法について久しぶりに急に興味を持ち出したりするなどと・・・。 間もなくして、この”循環”という言葉を今度はお会いした方からたまたま聴くことになった。 それは少し面白い場所でのこと。 今回もこのたまたまをキッカケにして、また”循環”という言葉から思ったことをツラツラと書いてみたい。 それは、予想できなかった結末、自分の「ワガママとの向き合い方」にまで発展してしまった。汗。 ワインのペアリングの会 何回か参加させていただいている『ワインのペアリング(相性のいいワインと料理を合わせる)の会』なるものがある。 このペアリングの会が少し変わっている。 まずは、開催される場所が自然派ワイン(農薬等の薬品を極力使わないワイン)を中心に販売している酒屋さんの店内であるということ。 次に、外

    欲の循環をキッカケにして、自分のワガママへの向き合い方が刷新された。RANGER
  • 「待つ」という状況に対しての、考え方と対応について。

    先日「待てない人が増えているのでは?」という話で、知り合いのポッドキャスターさんと意見交換をする機会がありました。 言わんとしていることに納得がいったのは、なんだかんだ自分も「待つ」について考えたり向き合ったりをしてきたからなのかなと。 当然ながら、その時間で私の考えていることを全て共有するには無理があったため、折角なのでここで今時点の考えをまとめておこうという思いです。 この記事で言いたいことはざっくり以下のようなものになります。 ・人間をはじめとした動物という生き物は「待つ」ことが嫌い ・待つことが嫌いな人間が作る社会が人間社会なのだから、この社会は待たなくて済む方向にどんどん進んでいる ・しかし、それでも待つことを強いられる場合あるので、そんな時は ①自助努力で回避できる「待つ」は全力で回避する ②「他のことをやる」&「自分も待たせることがあるからお互い様」という状況を排除しない、と

    「待つ」という状況に対しての、考え方と対応について。
  • 「距離感」を変えれば「何か」が変わるという話。

    今回は「距離感」を変えれば「何か」が変わる、という話を幾つかの例を示しながらしてみたい。 まずは3年以上前の話から。 「サッカー」への関心が薄い方には申し訳ないのだが、2020年1月13日(月)に行われた高校サッカー選手の試合「静岡学園vs青森山田」、時代が変わった令和初の決勝戦の話である。 私は高校サッカー選手権を観るのが好きで毎年必ずウォッチしているのだが、この年の決勝戦は間違いなく歴史に残る名勝負だった。 決勝戦前半の静岡学園にはほとんどいいところがなく、前年優勝の青森山田の強度のあるプレッシャーの前に、持ち前の攻撃スタイルをまったく示すことができていなかった。 得意のドリブルを仕掛けてもすぐに引っかけられ、縦パスを入れてもあっさりとカットされてしまう状況。 頼みの綱の(現)J1鹿島アントラーズの松村優太も青森山田の厳しいチェックを受けて完全に沈黙してしまっていた。 その上、警戒して

    「距離感」を変えれば「何か」が変わるという話。
  • 今週もまた自分の間違いの発見を喜んでみよう!~合理性の落とし穴?~RANGER

    先週「自分の間違いの発見を楽しんで生きる。」という記事を書いた。 当にそんなことができるのだろうか? やはりこれも数をこなして習慣化する必要があるだろうと思ったりもする。 そんなことで今回は、大げさではあるが、そのトレーニングの第一弾とでも言ってみようか・・・。 ちなみに、この間違いについては少し幅広く捉えたいと思うところがある。 何か間違いが現象面にトラブルとして現れたもののほかに、この先にトラブルになりうる間違い予備軍と言われるようなものを加えたいのだ。 トラブルとして現象に現れる前につぶしておく、それに越したことはないだろう。 現象として現れる現れないに関わらず、トラブルの原因となる「無知」を筆頭として、それ以外にも注意不足、思慮不足、配慮不足などを発見していくことにしようと思う。 更には注意不足、思慮不足、配慮不足の原因になる固定観念も発見して喜んでみようと思うのだ。 さて、今週

    今週もまた自分の間違いの発見を喜んでみよう!~合理性の落とし穴?~RANGER
  • 自分の間違いの発見を楽しんで生きる。RANGER

    タモリさんの名言に「人間にとって一番恥ずかしいことは立派になること」というものがある。 最近耳に残った言葉だ。 この言葉の意味を理解できたわけではないのに、なぜ、耳に残ったのだろうか? 私は確か、私という人間を立派だと思ったことはないと記憶している。 そうだから、”私にできない立派”を揶揄してくれたことが心地よかったのかもしれない。 あるいは、ここのところずーっと常識を疑ってきたから、立派というみんなが認めていて、あこがれている言葉をまた疑いたくなったのかもしれない。 ずいぶん前に、パンツ一丁でテーブルの上に乗っかって、イグアナのマネをしているタモリさんを見たことを思い出す。 その時は、タモリさんを恥ずかしい人だと思った記憶がある。 今ではブラタモリタモリさんの番組)のファンでもあって、タモリさんの知性、知的好奇心、力の入らなさなどに感銘を受けている者のひとりだ。 恥ずかしいとはどういう

    自分の間違いの発見を楽しんで生きる。RANGER
  • 価値観や方向性の共有に向いているオススメの「コミュニケーション環境」の話。

    チームで仕事を進めていく場合において、メンバー間の「価値観や方向性を共有していくこと」は極めて重要だ。 価値観や方向性が完全に一致することはないにせよ(少なくとも私は人間とはそういうものだと捉えている)、大きくズレてしまっていると仕事が上手く進むことはない上に、修正に膨大な手間を要するからだ。 最初の擦り合わせは当然のことながら、進行途中でも丁寧に共有していくのが望ましい。 では、この価値観や方向性を共有していくためには一体何が必要なのだろうか? 私が思うにそれは大きく二つある。 一つは「時間」だ。 時間は、当然ながら長ければ長いほど価値観や方向性の共有をすることができる。 会議室で20分話すのと、居酒屋で1対1で2〜3時間話すのとでは大きく違う。 そして二つ目に必要なのが共有する際の「環境」だ。 会議室がいいのか、居酒屋がいいのか、はたまたランチがいいのか、サウナがいいのか、といった話だ

    価値観や方向性の共有に向いているオススメの「コミュニケーション環境」の話。
  • 「呪い」ではなく「祝い」や「祈り」の言葉をかけていきたいという話。

    最近、独立研究家の山口周さんが有料noteをはじめられた。 以前からその考え方には学びが多いと感じていたため今課金購読をしている。 ハイクオリティで新しい視点を与えてくれる記事が毎日投稿されてくるのに月額1,000円。 自己投資として考えれば俄然安い。 多くの方にオススメしたい有料noteだ。 そんな山口さんが4月末頃に以下のような記事を書かれていた。 なぜインターネットは「呪い」に満ちてしまうのか? これまでに投稿された記事で個人的なランキングを作るとすれば、確実に5位以内に入ってくる。そんなお気に入りの記事である。 無料で読める部分に限るがポイントを幾つか抽出してみたい。 ・これほどまでに社会が「呪い」に満ち、多くの人が呪いにかかって人生に閉塞感を覚えている時代はかつてなかった。 ・呪いとは「人から選択肢を奪う言葉」のこと。ある種の言葉を人からかけられる、あるいは自分でかけることによっ

    「呪い」ではなく「祝い」や「祈り」の言葉をかけていきたいという話。
  • 多様性社会のためにできることは、少しずつ自分のキャパを広げていくことだ。幅を愉しむWebメディア RANGER

    最近の仕事のやりとりから、数年前に北海道に行ったことを思い出した。 その時には、「べてるの家」というところに訪問した。 こちらは、幻覚や幻聴などの精神障害のある人が100名以上暮らしている施設だ。 さまざまな症状を無理に直そうとするのではなくて、受け入れていこうという方針が、ここの他と大きく違うところ。 ミーティング中、大声を上げている人がいても、いつものことで周りの誰もが放置している。 また、当事者研究と言って、どんな時にどんな幻覚が起こるか?なぜそうなるのか?当事者が自身で分析し発表するというユニークな方法がずーっと継続して行われている。 幻覚があることを自他ともに個性として認めているのだ。 大いに刺激のある訪問だった。 そもそも、この訪問には、多様性社会について学ぼう、というねらいがあった。 私は、少し前にも「自分の取説作成のすすめ~メタ認知は多様性社会への第一歩なのだ~」という記事

    多様性社会のためにできることは、少しずつ自分のキャパを広げていくことだ。幅を愉しむWebメディア RANGER