新型コロナ 仙台市で新たに2人確認 青葉区一番町のパブで秋田の感染者に接触か 仙台市は29日、いずれも市内在住で、外国籍の30代私立学校女性教諭と日本人の30代男性会社員が新型コロナウイルスに感染したと発表した。市内で確認された感染者は計3人、宮城県内では計4人となった。 市によると、2人は20日午後7~11時ごろ、青葉区一番町の英国風パブ「HUB仙台一番町四丁目店」で飲食。27日に感染が確認された由利本荘市に住む外国人指導助手(ALT)2人を含む8人のグループと5分程度立ち話をした。 女性は21日午後9時から22日午前1時にも、ALTらと同店で飲食をした。市は感染拡大防止の観点から、同店に営業休止を依頼している。
「廃業した街中のホテルが20年も放置されている。景観を悪くし、放火される危険もあるのに、なぜそのままにしているのか」 仙台市の男性会社員(61)から「読者とともに 特別報道室」に疑問の声が届いた。建物が長年手付かずだった理由を探ると、意外な事情が見えてきた。 対象の建物は青葉区木町通2丁目の「ホテル木町」。JR仙台駅から北西約2キロのビル街の一角に立つ。7階建てで本来は白い壁が黒ずみ、ベランダの欄干のさびが目立つ。 はす向かいにある木町通小に長女(8)を通わせる薬剤師の女性(37)は「前を通るたびに怖くて娘が心配になる。夫には近づくなと言われている」と話す。 ホテル木町は1977年4月開業。109室あり、経営した会社が破産する99年1月まで営業した。 「ホテルと名が付くが実態は分譲マンション。各部屋に今も持ち主が存在する」。所有者の一人、片倉英則さん(57)=青葉区=が教えてくれた。 経営
老朽化に伴う改築のため、JR東北線東仙台駅(仙台市宮城野区)の木造駅舎が、74年間に及んだ改札業務などの営業利用を終えた。近く解体工事が始まり、来年1月末にも鉄筋コンクリートの新駅舎に生まれ変わる。 仙台駅から1駅目の東仙台駅は、1909年開設の苦竹信号所(停車場)が前身で、32年に駅として開業した。現駅舎は41年3月建築の木造平屋で、延べ床面積196平方メートル。老朽化が進み、耐震補強が必要だとして改築が決まり、5日に業務を終えた。現在は、隣接するプレハブの仮設駅舎で対応している。 近くに住む熊谷和江さん(79)は「昔は駅員さんがたくさんいて、家に遊びに来た。近所の人たちと汽車で旅行に出掛けたり、娘が高校に通ったりしたのが懐かしい」と、慣れ親しんだ駅舎との別れを惜しむ。 JR東日本仙台支社によると、東仙台駅の改築で、仙台市内の木造駅舎は29年完成の北仙台と愛子、2008年に改築され
<甲子園>東北勢なぜ優勝できないのか 宮城・仙台育英は第97回全国高校野球選手権大会の決勝で敗れ、東北勢初優勝を逃した。東北勢は春の選抜大会を含めて11回決勝に進んだが、いずれも敗退し、優勝旗の「白河越え」を果たせないでいる。なぜ優勝できない? 高校野球に詳しい各界の5人に聞いた。 <正しい練習重ねて/田尾安志さん(61)=東北楽天初代監督> 決勝はどっちに転んでもおかしくない好試合で、勝敗は少しの運の差が出ただけだ。仙台育英は決勝まで進み、むしろ運があったとも言える。決勝相手との比較では投手の選手層が薄かったぐらい。東北の人はこれまで優勝できていないから意識するのかもしれないが、全国的に見て実力はひけを取らないし、誰も弱小とは思っていない。高校3年間と言っても競技期間は2年半に満たない。運を信じ、この限られた期間正しい練習を重ねるしかない。 <最後のピース不足/芳賀崇さん(32)=01
<乗り降りゼロ> 車体をきしませて停留所にバスが止まる。乗り降りはゼロ。そもそも車内には乗客そのものがいない。傍らを自家用車が追い抜いていく。 牡鹿半島にある石巻市の鮎川港とJR石巻駅を結ぶ「鮎川線」。宮城交通(仙台市)の子会社が運行する。ある平日の午後、最初の客が乗り込んできたのは港を出て1時間が過ぎたころだった。 鉄路がない半島で、バスは唯一の公共交通機関だ。2010年度の利用者は9万人を超えたが、東日本大震災後の13年度は4割落ちた。1日7往復しているから1便平均10人程度にとどまる。 地方の路線バスはどこも苦戦気味とはいえ、東北の沿岸部では退潮が際立つ。震災で地域社会そのものが壊滅的な被害を受けたのが響いている。 <「通院できず」> 鮎川港がある旧牡鹿町の場合、14年末の人口は3196人。震災直前の約4500人から大きく減少した。転出届を出さないまま域外に避難しているケー
JR東日本が、2015年6月までに目指す仙石線の全線運転再開に合わせた東北線への乗り入れで、使用する接続線のレール敷設が17日までに完了した。今後、信号機の設置や運用テスト、線路周辺の電気工事などに入る。 同社東北工事事務所は同日、河北新報社に現地を公開した。接続線は、仙石線松島海岸-高城町駅と東北線塩釜-松島駅で両線が近接する区間に約300メートル敷設する。昨年9月に着工し、ことし1~6月に分岐器(ポイント)を設置。8月末にレールの敷設を終えた。 接続線を走る「仙石東北ライン」は仙台-石巻駅を約1時間で結び、東日本大震災による被災前より10分程度短縮する。運行本数は未定。花田正喜仙台工事区長は「スケジュール通りに工事が進み、一安心。一日も早い完成を目指す」と話した。 2014年09月18日木曜日
仙台市青葉区中央のジュンク堂書店仙台ロフト店が31日に閉店する。最後のフェアとして、伊坂幸太郎さんら地元の作家や出版社のメッセージと本を紹介する「本当は返したくないけど、返さなきゃいけない本」を開催中だ。作家の名を冠した書棚などの企画で親しまれた書店は、惜しまれつつ姿を消す。 フェアは同店店員の寺田麻里絵さん(27)が企画した。出版社の担当者と閉店に伴う本の返品を話す中で「本当は返したくないけれど、返品しなければいけない」と打ち明けたところ「その気持ちのままのフェアをやったら」と提案された。 寺田さんらの呼び掛けに、作家の伊坂さんと瀬名秀明さん、漫画家いがらしみきおさん、筋ジストロフィーを抱えながら五行歌を作る詩人岩崎航さんの4人と、夏葉社(東京)をはじめ出版社5社からメッセージが寄せられた。メッセージは同店の元店員でイラストレーターの佐藤純子さんが代筆し、1枚ずつポップを作った。
ももクロ、宮城・女川町訪問 災害FMにサプライズ出演 女川さいがいFMの生放送にゲスト出演するももクロのメンバーら 少女5人の人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」(ももクロ)が15日、東日本大震災の被災者を元気づけようと、宮城県女川町を訪れた。臨時災害放送局「女川さいがいFM」にゲスト出演し、女川小ではミニライブを開いた。 女川さいがいFMを題材にしたテレビドラマなどを見たメンバーが、自分たちと同世代の高校生がパーソナリティーとして活動していることを知り、支援を申し出たのがきっかけという。 生放送の番組に出演したメンバーは「テレビでしか見たことがなかった被災した町の様子を自分の目で見て、思うところがあった。来ることができてよかった」「きょうから女川町の皆さんは私たちの大親友です」などと話した。 女川小では「サラバ、愛しき悲しみたちよ」など3曲を熱唱。ももクロの来訪を知らされて
「大草原の小さな家」作者 ローラさんの手紙公開 ローラさんが佐藤さんに宛てた手紙 米西部開拓時代の家族愛を描いた自伝的小説「大草原の小さな家」の作者ローラ・インガルス・ワイルダーさん(1867~1957年)の直筆の手紙が、岩手県盛岡市のアイーナで公開されている。岩手県爾薩体(にさったい)村(現二戸市)の中学生だった佐藤吉彦さんが60年以上前に文通していた。日本に残るローラさんの手紙はこれだけという。 文通のきっかけとなったのは、日本で初めて翻訳されたシリーズ作品「長い冬」。爾薩体中2年だった佐藤さんは寒さに耐えて生きる家族の物語に感銘を受け、本にあった住所に英語で手紙を書いた。85歳だったローラさんから3通の手紙を受け取った。 1952年1月18日付の最初の手紙は「素晴らしいお手紙をありがとうございました。英語がとてもお上手ですね」と、花模様の便箋に美しい筆記体で書かれている。どの手紙
ヒーロー復活 石巻・石ノ森萬画館再開 多くの来場者が詰め掛けた「サイボーグ009」の展示室 東日本大震災で被災し休館していた宮城県石巻市の石ノ森萬画館は17日、約1年8カ月ぶりに再オープンし、現地で記念式典があった。故石ノ森章太郎さん(宮城県登米市出身)の作品の世界を再現した萬画館の再開は、石巻地域の被災した主要な観光・文化施設の中では初めてとなった。 式典には、市関係者や漫画家ら約170人が出席。亀山紘市長は「萬画館を復興のシンボルとして、被災地の経済復興につなげていきたい」とあいさつ。「仮面ライダー1号」や最新のライダー「ウィザード」らも登場し、萬画館の新たな船出に花を添えた。 指定管理会社「街づくりまんぼう」の西條允敏社長は「ヒーローたちと共に、子どもに笑顔を、まちには元気を届け、市街地の活性化に取り組んでいく」と話した。 萬画館は来年2月12日から、「サイボーグ009」などの
十和田湖から旧陸軍機 青森県航空協が引き揚げ 引き揚げられた旧陸軍機の胴体と主翼部分 青森、秋田両県にまたがる十和田湖で5日、戦時中に湖底に沈んだ旧陸軍の「一式双発高等練習機」が引き揚げられた。冷たい淡水の中にあったため、墜落から69年がたってもあまり腐食していない。同機の機体は現存しないとみられ、貴重な史料となりそうだ。 引き揚げた青森県航空協会によると、練習機は全長12メートル、全幅18メートル。戦時中に訓練や輸送などに使われた。 秋田県能代市から青森県八戸市に移動中の1機が1943年9月、エンジントラブルで不時着、沈没し、乗員4人のうち3人が犠牲となった。2010年の湖底調査で機体が発見され、同協会が引き揚げを決めた。 作業では車輪が湖底の泥に埋まっていたため、引き揚げの際に機体が機首、胴体、尾翼の三つの部分に分断されたが、全てを引き揚げることができた。 日の丸がついた胴体が
石ノ森萬画館、11月17日に再開 石巻 宮城県石巻市は3日、東日本大震災で被災し休館している「石ノ森萬画館」を11月17日に再開すると明らかにした。 旧北上川の中州に位置する萬画館は津波で1階が浸水した。6月末から進めていた展示施設や空調設備などの補修工事が、11月上旬に終了する見通しとなった。 故石ノ森章太郎さん(登米市出身)の人気作品の世界を再現した萬画館は石巻の観光拠点施設。全国の愛好家から復活を待ち望む声が寄せられていた。 石巻市商工観光課は「できるだけ早い時期に一つの復興の証しを示したかった。萬画館再開を足掛かりに市のイメージアップに努めたい」と話した。
リカちゃんで「制服」復活 旧宮城三女高同窓会企画 宮城三女高の制服を着たリカちゃん人形 2010年春に男女共学化で仙台三桜高となった宮城三女高(仙台市太白区)の制服が、「リカちゃん人形」の衣装で復活する。同校同窓会が、半世紀以上の歴史を持つ三女高の制服を思い出に残そうと企画した。限定生産の2000体の注文受け付けが始まっており、試作品は9月2日の同校文化祭で展示される。 男女共学化で制服デザインも一新される方向性が固まった09年、在校生の声を受けて同窓会が商品化を発案。全国で「制服リカちゃん」を手掛ける同窓会プロデュース会社、サラト(姫路市)を通じ製造元のタカラトミー(東京)と試作を重ねてきた。これまで全国14校の制服がリカちゃん人形になっているが、県内の高校は初めて。 人形は身長22センチで、着せ替え用の夏服や冬服などが付く。1951年から続いた紺色のブレザーや、「鉄紺トロピカル」色
名物「太白飴」さようなら 明治創業、仙台唯一の専業店閉店 取り壊される店の作業場に残る年代物の道具を見つめる兵藤さん 右側の建物が店舗兼作業場、左側が2階建ての自宅 仙台市内で唯一、あめの製造販売を専業としてきた「兵藤飴老舗(あめろうほ)」(青葉区広瀬町)が閉店し、間もなく店舗の解体が始まる。創業は1884(明治17)年。4代目夫婦が店ののれんを守ってきたが、東日本大震災で建物が半壊した上に体調不安なども加わり、128年の歴史に幕を引く。 店では、4代目の兵藤嘉夫さん(71)が主にあめ作りを、妻の〆(しめ)子さん(73)が接客や販売を担った。看板商品の仙台名物「太白飴」をはじめ、ニッキ味、しょうゆ味など、十数種類の手作りのあめを提供。優しい甘さと口溶けの軟らかさが特徴だった。 創業以前に建築された店舗は、震災で全体にゆがんだ。作業場の壁はずり落ち、壁に接していた作業台やあめを延ばす機械
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