タグ

ブックマーク / mubou.seesaa.net (4)

  • 自分が思った通りに自分の言葉が伝わるというのは、とても幸福な偶然なんだと思う: 不倒城

    テーマはタイトルだけで、文は殆ど、補足。 ちょっと、とあるTwitterの発言を見て思ったこと。といっても、発言自体はトリガーであって、内容については私の意見はないのだけど。 言葉って伝わらないですね。津波警報と電車の運休をイコールで結んでいいのかという疑問を呈したのです。安全第一というのは当然ですが、運行責任、経済的な責任も片方にあるはずで、そういうルールが不完全と言いたかったのです。tomtsubo氏のPOSTより引用 津波の話は一旦忘れて頂きたい。実際のところ、坪田先生のこの前後の発言が批判されるべき発言なのか、妥当な発言なのか、そういう点について私の意見はない。興味もあんまりない。 「言葉って伝わらないですね」というのは、言わずもがなというか、端的にいって当然の前提だと思う。言葉を使って生活されている方がご存知ない訳はないので、ただの感慨なのだとは思うけど。 言葉は伝わらない。そ

    spica
    spica 2010/03/03
    その幸福な偶然さえ、思い込みである可能性を乗り越えて、「そのほんの僅かな隙間の先にある幸福を求めて、我々は必死に『少しでも理解してもらえる言葉』を捜そうとしてあがくべき」に同意する事を忘れずにいたい。
  • ある漫画雑誌編集者さんから愚痴を聞いた話。: 不倒城

    ちょっと気になることがあったので、許可を受けてメモ書きする。 以下、とある少年漫画雑誌の編集者さんの愚痴。 漫画の展開に関する「企画書」が送られてくることは結構頻繁にある、という。読者からである。 企画書というのは読んで字の如くで。通常のアンケートの様な内容を遥かに越えて、「○○はどうすれば面白くなる」「こういう展開にすると面白い」といった「企画」を、編集部に送りつけてくる読者さんがしばしばいる、という話なのである。 単なる他愛ない中二病かというと、まあ99.4%くらいはそうなんだろうと思う。とはいえレベルは案外天から地まであり、どこからどう見てもノートの裏表紙の落書き、というレベルのものもあれば、実はよその出版社の編集者なんじゃねえか、と思うくらい体裁の整ったものも稀にあるという。 どんなものであれ、殆どはその作品への愛から書かれたものだろうし、参考になることも(極めて稀に)あるので、基

    spica
    spica 2008/03/06
    「『このキャラを殺すと面白くなる』という『企画』をすげー勢いで送りつけてくる読者さん」。自アン辺りで「このキャラを殺すと面白くなるコン」とかやったら確かに面白そうだが、二次創作の範囲内で留まるべきか。
  • 人は何故、体験談や経験談に「釣り」「ネタ」と指摘せずにはいられないのか。: 不倒城

    あなたは、あるいは私は、何の為に「釣り乙」「ネタ乙」というコメントを書き込むのだろうか。放流される予定の魚に、「お前は釣られたんだぞ」と言い含めてやる理由は何だろう? はてな匿名ダイアリーであるとか、2ちゃんであるとか。 主に匿名畑の掲示板でよく見るのだが、何か体験談、経験談っぽいものが書き込まれ、それにある程度以上の反響や共感が集まった場合、その中には「釣り」「ネタ」と指摘する声が割とある。結構ある。大体ある。 「釣り」「ネタ」というのは、この場合は「実話ではない、創作・妄想」という様な意味になると思う。体験談・経験談に対して「実話じゃないでしょ」「(釣り|想像|妄想)でしょ」と指摘する・あるいは野次る声をしばしば見る、という話である。 その「声」には、きちんとした根拠と説得力を備えたものもあれば、そうでもないものもある。 考えたいことは、大きく分けて二つある。 ・釣りを指摘する効果につ

    spica
    spica 2007/12/07
    ネット等の体験談に、「釣り(=反応目当てのフィクション)」であると指摘する行為の意味&効果。「その手の話題が持て囃される世間が自分に取って好ましくない」ので「ささやかな世直し」、という動機もあり得る。
  • 許せないブロガーと、怒れないブロガー。: 不倒城

    あんまポジティブな話じゃないが。 随分昔、「書く」ことでっていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。 何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている。 文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。 「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。 を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。 一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的に

  • 1