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ブックマーク / tu-ta.seesaa.net (14)

  • 「母よ!殺すな そして、母を殺すな!」

    「母よ!殺すな そして、母を殺すな」というタイトルはインパクトがあるんじゃないかと思って書いてみた。しかし、よく考えたら、ジェンダー的にはかなり問題がありそうだ。どうして母だけが俎上にあげられなければならなかったのか。日における母子関係の特殊性という問題なのか、それとも国境を越えた問題なのか。「母よ!殺すな」は復刻されるほど話題のなので誰かが、あるいは著者自身がなにか書いているかもしれない。買ったまま積んでいるこのをそろそろ読んでもいい頃だ。

  • ナチスによる精神障害者や知的障害者などの虐殺(「安楽死」)犠牲者の「記念と情報の場所」除幕(一部変更

    最近知り合ったドイツの追悼施設に詳しい米沢薫さんからの情報です。米沢さん、忙しい中、ありがとうございました。推敲してもらって、文章が変わっています。引用されるかたは新しいバージョンを使ってください。 ~~~~ 9月2日、ベルリン・フィルハーモニーのロビーで、ナチスによる精神障害者、精神病者、知的障害者の虐殺の犠牲者「記念と情報の場所」除幕式が行われました。戦後、このオーケストラのホールが建てられた敷地の一部はかつて、ナチスが「安楽死」と名付けた(ギリシャ語のEuthanasie、原義は、楽な死、美しい死の意)障害者抹殺政策「アクションT4」が計画、管理された建物のあった場所でした。「T4」という名称はその建物の住所、Tiergarten 4 (ティアーガルテン4番)の頭文字に由来します。 1980年代になってから詳しい調査が進められて来ましたが、約30万人がその犠牲となったことが明らかにな

    ナチスによる精神障害者や知的障害者などの虐殺(「安楽死」)犠牲者の「記念と情報の場所」除幕(一部変更
  • 「資本主義の終焉と歴史の危機」メモ(8/13追記アリ)

    「資主義の終演と歴史の危機」メモ 水野和夫著 2014年3月の初版で7月に9刷 10万部突破とのこと この手のとしては、すごく異例なことじゃないだろうか。 PP研を会場に行っている脱成長研究会の題材として読んだ。 脱成長の必要、必然性がとてもスマートにまとめられている。 フランスの脱成長派の人たちにも紹介したいような気がする。できないけど。 結論は、おぼろげに考えたり、言ったりしてきたことだが、それが16世紀の歴史と連関して語られるところがすごく興味深い。 新書なのに深い。 すごくいいだと思う。 ただ、農業、あるいは都市の肥大化についての言及がほとんどないかったことが、少し残念な感じもある。家族農業をどう安定的に再興するか、そして、この都市への集中をどのように考えるか、という視点が加わると、もっと叙述に厚みがでたのではないかと思う。とはいうものの、それは無い物ねだりで、このからの示

  • 『生活保護から考える (岩波新書)』読書メモ

    読書メーターに書き始めたメモからの転載を中心にっていうか、全部それだ。ほんの少しだけ加筆してある。 考えるべき論点がかなり的確に整理されています。いいだと思います。 ただ、ぼくの立場からは「働く権利」という観点からの考察がもう少しあってもいいかなぁと思いました。それを強調することが微妙な情勢ではあるのですが。 12月23日 61pの生活保護に関する時代区分も面白い。 1980年代から2005年ごろまでが「裏システム」(法律に違反しているために公には明言できない手法を現場の職員が用いることを推奨したり、黙認したりすることで、違法な対応を温存させる組織体質や組織体制のこと)が前面に出てきた時代 12/30 07:23 2006年から数年間は貧困の広がりを批判する社会運動とそれを支持する世論の動きに押されて、厚労省が来の法律に基づく「表のシステム」を強調せざるを得なかった時間 12/30 0

  • 無宗教の人間としての信仰

    数日前からUさんに言われていて、ばっちり準備してこようと思ってはいたんですが、結局、昨夜、あわてて書こうと思ったら、ポメラの電池が切れて、車を借りて、あわてて夜中にコンビニまで行って、昨夜から今朝にかけて準備しました。っていうか、ついさっきまで書き直してました。

  • 「『この世界の片隅に』(こうの史代) メモ」について

    「『この世界の片隅に』(こうの史代) メモ」について こうの史代さんからファンクラブの掲示板でレスポンスをもらったので、前にどこかに記載したと思っていたのだけれども、忘れたので、再び記載。 最近出かけてばかりだ 投稿者:こうの史代 投稿日:2010年 3月14日(日)13時19分24秒 X047192.ppp.dion.ne.jp から、該当部分のみ引用 ==== tu-taさん。書評当に有難く拝読しました! 実は「この世界の片隅で」は、機会が無くて、わたしはまだ読んでいないのです! ただその存在と、「原爆に生きて」の内容と被っているらしいという事を知っていた程度なのでした。というわけで、「この世界の片隅に」とは無関係なのでした。ごめんなさい! 勿論山代巴には大変な敬意を抱いていて、この人のおかげで原爆文学は大きな広がりと奥行きを持った事は疑いようがない事実ですが、わたしに許されるやり

  • 『この世界の片隅に』(こうの史代) メモ

    この漫画、知人の激賞を聞いて、読もうと思って大田区の図書館でまず探した。すると、『この世界の片隅で』という山代巴さんが編集した1965年の岩波新書がでてきた。山代さんのは数人の人が、戦後、被爆者が生きてきたことのルポルタージュ。 この読書メモは https://tu-ta.seesaa.net/article/201002article_14.html に書いた。 そして、この2冊ののタイトルの類似について、こうの史代ファンクラブの掲示板 http://6404.teacup.com/kouno/bbs で質問したら、以下のような答えがnatunohi69さんから返ってきた。そこから該当部分抜粋 === 『夕凪の街 桜の国』の巻末、<おもな参考資料>として17項目があげられている内の最初の1項目が大田洋子の『夕凪の街と人と』『屍の街』です。 そして2項目めが山代巴ほか編の『原爆に生

  • 54回目の誕生日に

    FBに書いたもの、こっちにも残しておきます。 ~~~~ すごくたくさんの人に誕生日を祝ってもらいました。ありがとうございます。(家ではほとんどスルーでしたが(笑) なんか日社会の誕生日文化SNSの普及で変わってきてるのかなぁ、と実感しました。 ラルシュという知的障害者を中心に生活するコミュニティが世界各地にあるのですが、そこでは誕生日をとても大切にします。ぼくはフィリピンのラルシュとインドの4箇所のラルシュにしばらく居候していた時期があります。(もう15年以上前の話ですが)そして日のラルシュ・かなの家にも少しおじゃましました。 とりわけ、カルカッタ(いまはコルカタと呼ぶらしい)のラルシュの誕生日はすごかったです。ちょっと広めのバルコニーをすごくいっぱいの小さな花を束ねたもので飾って、祝われる人は、当のお誕生日席のような玉座のようなところに座ってお祝いをしていました。 最後はその花を

  • はたして、ほんとうにそうか。

    障害学会のアナウンスを見て、気になった発表。 http://www.arsvi.com/ds/jsds2009.htm 9月27日(日)□1300~1440 一般報告(演壇)(4報告・1報告25分→100分) ==== ■S14 野崎 泰伸(立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー) 「ディアスポラとしての障害――障害はないにこしたことはないか、への1つの視座」 第1希望:A 第2希望:B 何らかの特定の社会的属性を――それが明示的でも暗示的でも――称揚することによって、人間の存在を肯定しようとする立場がある。この立場を属性主義と呼ぶことにしよう。私は発表において、この属性主義は不要であり、個人の存在、その人が在ることを肯定すればよいことを主張する。私の議論においては、その人の社会的属性は否定されないが、属性主義は否定されるのである。 「その人が在ることを肯定する」ということは

  • 野崎さんの報告について 追記

    野崎さんの報告要旨を読んで、触発されるものがあったので、あわてて忘れないようにメモを書いたのが 「はたして、ほんとうにそうか。」 https://tu-ta.seesaa.net/article/200908article_18.html なんだけど、確かにあわてて書いたメモだけのことはあり、あまりにも穴が多いような気がしたので、少し補足追記。 野崎さんは称揚されることを否定しているわけではない。そのことによって、人間の存在を肯定しようとする立場=属性主義を否定している。 「属性を、属性主義とは無縁なものに転轍する必要がある」という。 その人が何か出来るとかいうことで、その人の存在の価値が語られるというようなことはある。 まず、「存在を肯定する」とかいうのが、何か「上から目線」で気分悪い感じがないわけじゃない。「勝手に『肯定する』とか言うな」って言いたい気分はある。 野崎さんは書く。 ==

  • 「生きていることの肯定」

    障害学から環境問題を見ることで、現れてくるものについてのラフスケッチを試みる。最初に障害学の視点とは何かを示し、環境問題で障害者がマイナスイメージの象徴として使われる問題を考察する。次に「生きていることの肯定」を提起し、そこからサブシステンスと障害学の視点の連関について述べる。 障害学が登場するまで、障害にかかわる「学」といえば、福祉、リハビリ、障害児教育などに限定されていた。障害学は福祉やリハビリなどを通してしか障害者が語られないこと(それを「医療モデル」「個人モデル」での障害の把握と呼ぶ)を批判し、「障害を作り出しているのは社会だ」という言説を「社会モデル」という名前で、まず明確に提示した。最初にその主張に触れたとき、そこに突き抜けるものを感じた。障害学はそこから始まり、「医療モデル」「個人モデル」を越えるさまざまな視点を提示してきた。 駅のホームに階段しかなく、車いす利用者が駅を使え

  • チョムスキー・インタビューの「反グローバル化」批判について

    日刊ベリタの有料記事 == メディアによる「同意の製造」を乗り越えるために ノーム・チョムスキー氏に聞く == http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200709061439244 ここで彼は、「反グローバリゼーション」という名称を問題にしている。こっちは有料記事なので、どこまで引用していいかわからない。 しかし、益岡賢さんのページ http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/ に翻訳が掲載されているインタビューでも同様のことをチョムスキーは繰り返ししゃべっている。こっちは引用しても問題ななそうなので引用する。 戦争のない世界 ノーム・チョムスキー 2002年5月29日 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/persons/chomwsf2.html ==部分的に引用== ここ「アンチ・フォーラム」

  • 移植医療・パレスチナ・イスラエル

    いくつかのMLに今日、AJF事務局の斉藤さんの障害学MLへの投稿を許可をもらって転載した。 複雑に入り組んだ問題群がここにあるようにも思えるし、侵略者と植民地のいびつな関係が温存されているだけじゃないかとも読める。ぼくはここに提示してある問題群はそんなに単純ではないように思える。 以下、MLに投稿したものの転載。 ==== 臓器移植の問題、それを必要としている人が身近にいれば、ほとんどの人が「それで助かるならなんとかして欲しい」と思うのだと思います。 しかし、臓器を提供する人の心臓が止まっていない場合が多いようです。 止まっていない心臓を取り出す行為といのちの軽重という問題も重ねて考える必要があるのだと思います。 他者の動いている心臓を取り出すことを待たなければならない医療行為です。 また、この例で出されているイスラエル兵に撃たれ脳死状態の12歳のパレスチナ人少年がイスラエルの人に臓器を提

  • 原発事故と障害者 (3/31と4/4夕方追記)

    原発事故に関連して「障害者を産みたくない」というような言説について ちゃんと書いて、まとめたいと思っていたが、なかなかまとめられないので、ツイートしたものをトゥギャッターでをまとめてみました。 http://togetter.com/li/117250 自分で加えることができないひとは、こんな発言があったというのをURLをつけて教えてもらえたら、できるだけ選ばずに、でも、ぼくの趣味で加えます。また、ツイッターをやってない人で、コメントしたい人はここでコメントしてもらえたら同上。 こっちもできるだけ順次加えるようにします。 以下、togetterから転載 duruta 原発事故と障害についての、ツイートをまとめました。誰でも編集できるようにしてありますから、ツイートした人は加えてください。できれば、古いものから新しいものへの順番で 2011-03-29 05:23:13 duruta 堤 愛

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