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ブックマーク / www.cyzo.com (5)

  • 伝説の男・松田優作は今も生きている 20回忌ドキュメント『SOUL RED』

    1989年11月9日に亡くなった松田優作、享年40歳。浅野忠信、アンディ・ガルシア、 森田芳光監督、さらに松田龍平、松田翔太らが”優作伝説”を語る。 (C)2009 SOUL RED Film Partners 11月6日は松田優作の命日だ。ハリウッド進出作『ブラック・レイン』(89)が10月に日で公開された直後の1989年11月6日午後6時45分に亡くなり、今年は20回忌となる。身内の冠婚葬祭のことはうっかり忘れても、松田優作の命日と聞くと身を正して、自然と背筋が伸びる。多分、『太陽にほえろ!』(日テレビ系)のジーパン刑事なり、『探偵物語』(日テレビ系)の工藤ちゃんなり、彼の出演作に一度でも触れた人間なら共通することだろう。「2009年は、優作の20回忌なのよね」という松田美由紀夫人の言葉に端を発し、松田優作の姿を映像に収めたフィルムメーカーたち、その存在に多大な影響を直接的、間接

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  • みんなで叫ぼう「おっぱいパンツ!?」各社アニメ宣伝マンが苦渋の日々を大告白!

    アニメメーカーの現役プロモーターが一堂に介する「アニメメーカー横断宣伝マンブログ」(http://playlog.jp/sendenman/blog/)をご存じだろうか? このブログに参加するプロモーターが、学生の求めに応じ、法政大学でその名も「アニメメーカー横断宣伝マン生ブログ!!」と題したトークライブを行うという。さっそく足を運んでみた。 自主法政祭で賑わう11月2日、法政大学College Life Clubの呼びかけにより、関係各社から論客が集合。開演前に聴衆から集めた個々の質問に、1時間30分かけてひたすら答えていくというやり方でイベントは進行した。開始前に登壇者同士で話し合い、「クビにならないぐらいギリギリまで攻めよう」(MCを務めたアニプレックスの高橋祐馬氏)と決意しただけに、一般のファンには知り得ない業界事情を次々に開陳。熱心なアニメファンや、アニメメーカーへの就職を希望す

    みんなで叫ぼう「おっぱいパンツ!?」各社アニメ宣伝マンが苦渋の日々を大告白!
  • “データベース”と”地域ブランディング”に見るアニメ産業の「未来」と「リアル」

    協会会員、つまりアニメ制作会社の売り上げは、2006年をピークとして右肩上がりの成長を続けてきた。しかし以降は漸減している。 この全体的な傾向を細分化すると、以下の事実が判明する。 ・1985年にOVAが始まり、テレビアニメのタイトルが一時的に減少。その分が、テレビ東京の深夜アニメ枠開放とともに、テレビに戻ってくる。 ・95年に『エヴァンゲリオン』、97年に『ポケットモンスター』『もののけ姫』がヒット。さらにアニメの制作工程がデジタル化したことで期待感が高まり、アニメへ投資しようという動きが強まった。 ・1998年からテレビアニメの新作が増加。原因はDVD販売を前提とした深夜アニメの発生。 ・21世紀に入り、全日帯の子供向けアニメが減る。 ・アニメのタイトルが増えすぎ、1タイトルあたりの売り上げが減少、または頭打ち。アニメファン全体の財布には上限があり、ファンがすべてのDVDを買うことがで

    “データベース”と”地域ブランディング”に見るアニメ産業の「未来」と「リアル」
  • 進まぬ日本の医療IT化 阻むは医療関係者のウェブ嫌い

    「PHR? EMR? EHR? それって何!?」 なんて、言ってる場合じゃないんですよ、 センセイ!(イラスト=黒田知希) 現在、アメリカで導入が進んでいる医療のソーシャルメディア化。PHRと呼ばれるこのシステムは、医師・患者・患者の家族の3者それぞれに利益をもたらすものだが、日ではまだ導入される気配もない。日の医療界のIT化の現状は惨憺たるもので──。 PHR(Personal Health Record)という言葉をご存じだろうか? ITを使って医療をソーシャルメディア化していこうという試みがいまアメリカで進んでいる。さまざまな病院に保存されている電子カルテや処方箋、それに自分自身が自宅で計測した体脂肪率や血圧、万歩計などの数字をすべて統合してデータベース化し、これを患者や患者の家族も自由に閲覧して、自分自身の健康管理システムを作っていこうという考え方だ。 アメリカは、マイケル・ム

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  • 純・木造駅舎の記憶と記録とノスタルジー 消えゆく鉄道遺産『木造駅舎の旅』

    草深く生い茂る山奥、単線の鉄道が田んぼの中を走る。1時間に1しか電車が通らないような線路の横に、無人の木造駅舎がひっそりとたたずんでいる。明治5年に新橋~横浜間に鉄道が開通してから137年、当時6駅だった日の駅も、現在は9,700駅を超えている。その大部分が改装されて、開業時の姿を留めているものも少なくなっている。 この『木造駅舎の旅』は、全国から板壁が無塗装の駅舎88駅を選び、撮影した写真集だ。ほとんどが地方の無人駅で、中には風雨に晒され傷んだものも見受けられるが、それがかえって程よい風合いを醸し出している。それぞれ歴史と風格があり、行ったこともないのに懐かしい気分に誘われる。 北は北海道稚内付近の宗谷線、雄信内(おのっぷない)駅から、南は九州薩摩・肥薩線、築後100年を超える嘉例川(かれいがわ)駅と、実に幅広い。北海道の駅は、扉が風雪に耐えられるように頑丈に造られていて、決まっ

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