被爆はしなかったけれど、生きることが出来なかった子どもたちが、2000人近くいた。 本当の戦争の姿を知ってもらいたくて、語り部をしようと思いました。 今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。 両親や兄弟を原爆で亡くし、原爆孤児として生きてきた川本省三さん(83)。 路上生活をしていた子どもたちと過ごした日々や、賭け事と喧嘩を繰り返した青年期、母の言葉を思い出して更生するまでのお話を伺いました。
原爆被爆者で、何十年も被爆者の地位向上などのため活動し、 署名活動をしたり、デモに参加したという祖母。 滅多に他人の批判や悪口を言わなかったけれど、そんな祖母が生前に一度だけ、 明確に「許せなかった」話をしてくれたことがあった。 テレビで被爆者のドキュメンタリー映像を見ていた時のこと。 なんとなく、「やっぱり被爆者手帳って嘘ついて持ってる人結構いるの?」と聞いてみた。 原爆被爆者に対する補助はかなり手厚く、年金ならぬ被爆者に対する援助のために 死にかけの親を何とか生かしてくれと頼む家族もいるくらいの代物である。 祖母はあっさりと、「そりゃそうよ」と言った。 「あの人原爆に遭うてないよねって人もおったよ。でも証人がおれば手帳貰えたからね」 「なんという税金泥棒。そういう人ムカついたりせんかった?」 「そりゃ良い気分はしなかったけど、でもねえ、もっと許せん人がおったけえね」 おばあちゃんでも許
1945年から1962年にかけてアメリカが実施してきた核実験の様子を高速度撮影で収めたフィルムが、55年ぶりにアメリカ政府の機密解除を受けて一部が公開されました。年月を経て劣化が進んだフィルムは復元作業が行われ、スキャンしてデジタルデータ化した後に一部がYouTubeで公開されています。 Physicist declassifies rescued nuclear test films | Lawrence Livermore National Laboratory https://www.llnl.gov/news/physicist-declassifies-rescued-nuclear-test-films Hundreds of films of nuclear bomb blasts films declassified, uploaded - Business Insider
津原泰水(やすみ) @tsuharayasumi 『この世界の片隅に』が情報量情報量と騒がれているのを、曼荼羅めいた構造に気付かなかった俺は馬鹿、との心地好い劣等感交じりに眺めてきた。「細部にいちいち資料の裏付けがある」という意味らしいと分かってきて、落胆した。そういう観方をしてしまったら想像力で埋められた部分は悉く瑕疵となる。 2016-12-08 07:19:56 津原泰水(やすみ) @tsuharayasumi この人は何を云っているのだ? 焦土に身内と似た背恰好を見掛け、あの黒焦げは別人だった、こっちに生きていた、と希望をいだくのが「失認」? 諦めなかった人たちだけが再会を果たし、それでも残り時間は僅かな事が多かった地獄で。何にでも手持ちのレッテルを貼り付ければいいってもんじゃない。 twitter.com/pentaxxx/statu… 2016-12-08 14:01:58
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。 そして当時中学生だった祖父は、6日から1週間の内に広島市へ入市した。 これは父から聞いた話であり、私が祖父から直接聞いたのは「広島の原爆で二次被曝したから手帳を持ってるよ」だけだった。 多分子供に話す内容ではないと思ったのだろうが、祖父の死後、やはりどうだったのか気になった私は父親に聞いた。 1945年8月6日、広島県にある祖父の通っていた中学校(中心部のでは無いらしいが調べてみても分からなかった)の校長・教職員・生徒は、 陸軍学校の掃除という事で集合し、広島の中心地へ向かった。だが、9人だけは違った。 そこには祖父も含まれていた。祖父はその時、何らかの事情で行く事が出来なかった。 他にもスイカを食べ過ぎてお腹を壊した生徒や、寝坊した生徒など祖父を含めて9人が行かなければいけない大切な仕事を休んでしまった。学校側もお怒りだったらしい。 だが
十六時間前、米国航空機一機が日本陸軍の重要基地である広島に爆弾一発を投下した。その爆弾は、TNT火薬二万トン以上の威力をもつものであった。それは戦争史上これまでに使用された爆弾のなかでも最も大型である、英国のグランド・スラムの爆発力の二千倍を超えるものであった。 日本は、パールハーバーで空から戦争を開始した。そして彼らは何倍もの報復をこうむった。にもかかわらず、決着はついていない。この爆弾によって、今やわれわれは新たな革命的破壊力を加え、わが軍隊の戦力をさらにいっそう増強した。同じタイプの爆弾が今生産されており、もっとはるかに強力なものも開発されつつある。 それは原子爆弾である。宇宙に存在する基本的な力を利用したものである。太陽のエネルギー源になっている力が、極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれたのである。 (中略)七月二十六日付最後通告がポツダムで出されたのは、全面的破滅から日本国
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