私も回答としては①だと思います。 フッサールの場合、主観性の分析のために相互主観性を導入したのであって逆ではないし、言語学や社会学が強調する他者によって自己が成立する構造とは厳密には区別されるべき、質問者さんが拘っているように飽くまで現象学において主観性の問題を掘り下げることで見出されたものだと思いますものの、東京都立大の田島先生も「相互主観性の発生論的解明は、ついに課題に留まって、本格的に手がけられるには到らなかったように見える」(『フッサール』人類の知的遺産シリーズ、のち講談社学術文庫)と述べています。 他方で、②については相互主観性がさらに主観性に包含されているかたちの問いですが、それは貼り紙禁止の貼り紙を引きちぎって貼り紙を貼った者や、貼り紙禁止と書いた者に問い質すようなものですが、これは生活世界や日常の感覚からすれば屁理屈というものでしょう。ラッセルのクラス論のようなことを持ち出
米球界挑み数奇な半生 この本は、僕みたいな“プロ野球大好き人間”だけではなく、普通の人とは違う決断をし、数奇とでも言うべき人生を歩み続ける男を愛する読者には、うってつけです。 一九三九年(昭和十四年)に熊本で生まれたハイディ古賀こと古賀英彦は、熊本工業から近畿大学と野球選手としてのエリートコースを進み、六二年に川上監督率いるジャイアンツに入団しました。と、こう書けば、とても順調だったように思えるのですが、実はそうではありません。入学させてくれると信じていた慶應大学に入学試験で落とされたハイディは、秋葉原でホームレスと一緒に野宿したり、「キャバレーうるわし」でボーイをしたりと、他の野球少年のしない苦労をしてから、御縁に恵まれて近畿大学野球部に拾われました。 そして、当時は大金だった七百万円の契約金を貰(もら)って入団したジャイアンツも、同期の柴田勲はレギュラーポジションを獲(と)りまし
人に道を尋ねながら自力で目的地まで行くことができるロボットをドイツの科学者らの研究チームが開発し、将来、人の生活に溶け込んで高齢者の生活支援などに役立つのではないかと期待されています。 このロボットは、ドイツ、スイス、オーストリアの、大学の科学者らが共同で開発し、「IURO」(イウロ)と名付けられました。 人や物を感知したり音声などを認識したりするセンサーを複数内蔵していて、障害物を避けながら街中を進み、出会った人に道を尋ねます。 そして、「真っ直ぐ」や「左に曲がる」などの答えに従って目的地を目指す仕組みで、人に親切に答えてもらうため、大きな目でまばたきをしたり、眉や口を動かしたりする工夫もこらされています。 また、教えてもらった進み方が元の場所に戻りかねないような場合には、自分で間違っていると判断する機能も備えているということです。 ロボットは、目的地に到着するとその場にいる人にきちんと
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