現象学の「間主観」「相互主観」とは何か? その前に、一般的な意味での相対主義について。 (内容的には、懐疑主義、ニヒリズムも同じ構図である) 相対主義は、人の「絶対的」「普遍真理的」「説教的」な物言いの怪しさ、押しつけがましさから、人にはいろいろな考えがあり、文化も環境も異なるのだから「様々な見方」を許容しようという発想が一つにあると思われる。これは「ごく自然な考え」である。 ただ、一般に相対主義は、あまり詰められたものでないがゆえに、「本来の意図」とは逆の思想になりがちである。 相対主義は、一方で、自説は「正当」と述べているが、他方で、他者の説は「相対的であり正しいとはいえない」(ここで自説が「正しいとはいえない」ことは問わない)というダブルスタンダードな状況にある。 つまり、自説は「正当」、自説の「相対化は問わなく」、他説だけ「相対化する」。 そうすると「相対主義は絶対である」となる。
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