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2018年5月6日のブックマーク (12件)

  • ゲームボーイを開発した伝説の技術者・横井軍平「私はなぜ任天堂を辞めたか」 | 文春アーカイブス | 文春オンライン

    さる8月15日、30年以上勤めた任天堂を退社しました。大学を出てからずうっと任天堂で玩具作りにかかわってきたのですが、55歳を区切りに自分のアイデアをもっと自由にいかせる仕事をしようと考えたのです。 もっとも、新しい門出に、いきなり洪水のような報道が襲ってきました。 退社する前日に、『日経済新聞』が私のことを大々的に報じたのです。 いわく「ゲームボーイを開発した功労者が退社した。鳴り物入りで宣伝した『バーチャルボーイ』失敗の責任をとったものだ」 いわく「『NINTENDO64』が予想以上に売れていないため、任天堂の利益が大幅に減っている」 二つの「事実」を並べて読むと、読者には任天堂が大変な苦境に陥り、まるで内紛でも起こっているかのように思えるでしょう。 実際には、私は「『バーチャルボーイ』失敗の責任をとって」辞めたわけではありません。 前々から、55歳になったら、独立したいと考えていま

    ゲームボーイを開発した伝説の技術者・横井軍平「私はなぜ任天堂を辞めたか」 | 文春アーカイブス | 文春オンライン
  • 高木浩光@自宅の日記 - 優良誤認表示の「通信の最適化」(間引きデータ通信)は著作権侵害&通信の秘密侵害、公正表示義務を

    ■ 優良誤認表示の「通信の最適化」(間引きデータ通信)は著作権侵害&通信の秘密侵害、公正表示義務を まえがき 3年前、「通信の最適化」でついに事故が発生し、炎上したことがあった。しかし、当時はまだこの問題への世間の理解が浅く、問題提起しても、天才プログラマの清水亮から「ピュアオーディオを有難がる宗教法人と大差ない」とか「トラブルはアプリ書いた人の能力の問題」などと小馬鹿にされる始末だった。川上量生は「どこが通信の秘密なんだよ」とひたすら独り言を続けていたし、ガラケー全盛期に名を馳せたケータイジャーナリストの面々もろくに動く様子がなかった。 ハッハッ、見ろ!第1種電気通信事業がゴミのようだ!! #通信の最適化(), 2015年6月 「通信の最適化」に関する高木浩光氏の見解, 2015年7月 kadongo38氏「日の通信事業者よりAppleやFacebook, Google の方が問題」,

  • 「命の危険感じる」近隣住民襲う竹林 相続の80代、資金が底…管理に限界 放棄は法で認められず | 西日本新聞me

    「命の危険感じる」近隣住民襲う竹林 相続の80代、資金が底…管理に限界 放棄は法で認められず 2018/5/4 6:00 (2022/12/8 12:12 更新) [有料会員限定記事]

    「命の危険感じる」近隣住民襲う竹林 相続の80代、資金が底…管理に限界 放棄は法で認められず | 西日本新聞me
  • 「ひきこもり」の高年齢化 40~60歳の初調査へ 内閣府 | NHKニュース

    学校や職場になじめず長期間自宅に閉じこもる、いわゆる「ひきこもり」の高年齢化が指摘される中、内閣府は実態を把握するため、40歳から60歳ごろまでを対象とした初めての調査を行うことになりました。 内閣府は、これまで2回、ひきこもりに関する全国的なアンケート調査を行いましたが、いじめや不登校をきっかけとした若い世代の問題と位置づけて15歳から39歳までを対象としたことなどから、中高年層の詳しい実態がわかっていませんでした。 このため、内閣府は、実態の把握に向けて、ことし秋をめどに40歳から60歳ごろまでを対象とした初めてのアンケート調査を行うことになりました。 内閣府は、全国の5000世帯程度を対象に、人や家族から調査票を回収する方式で調査を行う予定で、自宅に閉じこもるようになったきっかけやその期間などについて質問し、調査結果を今後の支援策の策定に役立てることにしています。

    「ひきこもり」の高年齢化 40~60歳の初調査へ 内閣府 | NHKニュース
  • かわいいだけじゃない、セントポールプラザ書籍店の看板猫の貪欲 | 文春オンライン

    屋さんに行くと、フリーペーパーが気になる。「週末の旅は屋さん」でも、大盛堂書店の「大盛堂書店2F通信」、TSUTAYA寝屋川駅前店の「ぶんこでいず」、丸善津田沼店でゲットした「晴読雨読(はれどく)」などを紹介してきた。 最近、あちこちの屋で、「屋でんすけ にゃわら版」というフリーペーパーを見かけるようになってきた(進駸堂中久喜店)。店名も作り手の名前も書いていないが、気合いの入ったイラストと手描き文字の、ていねいな作り、中身も、パンのレシピから政治学、外国文学まで幅広い。伝手をたどっていくと、立教大学池袋キャンパス内の書店員さんが作っているという。連絡を取ってみると、お名前も年齢・性別も非公開なら、という条件付きで取材OKが出たため、セントポールプラザ書籍店にペンネーム「でんすけのかいぬし」さん(「でんすけ」はフリーペーパーに登場するキャラクターの名前)を訪ねた。

    かわいいだけじゃない、セントポールプラザ書籍店の看板猫の貪欲 | 文春オンライン
  • ひとつの本屋で起きたこと。

    ご存知の方もいらっしゃると思いますが、2018年3月31日で10年務めた丸善キャンパスショップを退職しました。

    ひとつの本屋で起きたこと。
  • とある講師の「いじめっ子がいじめられっ子に報復されて社会復帰できなくなった。ネットリテラシーは大事」に対して「メシウマだ」「因果応報」の声多数 「私刑は良くない」の声も

    七神 あきら @nanakamiakira @plus_minus_13 外から失礼します。 「ネットリテラシーやフィルタリングは大切なんです」←だからこそ安易にいじめっこになると後で自分が社会にいじめられるよ?っていう講師のアドバイスですね?|ω・´)キリッ 2018-05-04 23:02:25 まさと @kinmoza0gochius @plus_minus_13 初めまして。いじめっ子など全世界に晒して良い。逮捕されないだけ有り難いと思って貰わないと。苛めるならそれなりの覚悟をしてやるんだな。小学生でも道端で尻を結構強く蹴ってるのがいて、注意したかった(仕事中で運転中だったからしなかったが)。 2018-05-04 23:12:03

    とある講師の「いじめっ子がいじめられっ子に報復されて社会復帰できなくなった。ネットリテラシーは大事」に対して「メシウマだ」「因果応報」の声多数 「私刑は良くない」の声も
  • 公正世界信念、「別の誰かが知っている」ということ

    こんな文章がありました。 地震と津波:人々は,どのような場合に被災者を責めるようになる? – 東日大震災を乗り越えるために:社会心理学からの提言と情報 短いので全文引用させて頂きます。 災害時には、不謹慎ともとれるジョークを発してしまい、あとで謝罪に追われる人々が必ずと言っていいほど出てきます。こうした人々の行動を説明するのは,「公正世界信念(the belief in a just world)」と呼ばれる社会心理学の理論です。この理論の基的な考え方は,「世界は公正にできており,努力した者は報われ,努力しない者は報われない」ということです。つまり,「良いことをした人には良いことが,悪いことをした人には悪いことが起こる」という信念です。 この公正世界信念は,思いやりのある行動を促進するでしょう。なぜなら,(例えば)他者に良くすることで,自分がほめられることが期待できるからです。しかし,

    公正世界信念、「別の誰かが知っている」ということ
  • 羊は迷うのか

    羊とは縁が深いですが、「迷える子羊」というのは、キリスト教文脈でよく使われるイメージです。 とりわけ、99匹の羊のお話が好きです。これはマタイとルカの福音書にあるもので、新共同訳だとこうなっています。 18:10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。 18:11:<底に節が欠けている個所の異による訳文>人の子は、失われたものを救うために来た。 18:12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。 18:13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。 18:14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなた

    羊は迷うのか
  • 死の経験

    わたしたちは死を経験するのだろうか。 勿論、死を経験した者は、地上のわたしたちの中にはない。そうではなく、当に死を迎えた時にすら、死の経験、あるいはまた死に付随する経験をも、経験しないのかもしれない。 別れを告げるどころか、死んだことにすら気づかず死ぬかもしれない。 わたしたちは死についてあれこれ想像するが、多くの場合、死に際して何かを言い残したり、あるいは十分に苦しんだりするように、考えている。 苦しむ間もなく死ぬなら、それは割合に「良い死」かもしれない。1 だが死を経験することすらない、というのは、恐ろしい想像でもある。 死に付随する経験ではなく、死の経験というなら、そもそもがそれは、不可能な経験なのだ。生きているわたしたちも、死んだ者たちも、死など知らない。 だから、死が近づいてから悔い改めよう、などというのでは遅すぎる。 今この瞬間、正しく生き、祈りを欠かさないようにしなければな

    死の経験
  • 胡散臭い覚醒

    宗教臭い文脈では「覚醒」という言い回しが使われることがしばしばありますが、これが陶しくて仕方ありません。 覚醒。実に胡散臭いです。一昔前のSF小説で超能力か何かに目覚める話のようです。 大体、覚醒だの目覚めだの言って突然狂ったように動き出す人間は、ロクなことをやりません。恒久平和とか祖先の供養とか言いながら、浄水器でも売り歩いたりするのが関の山です。覚醒したいならシャブでも打って好きなだけ一人で目を覚まして頂きたい。 覚醒なんかより、普通のことを普通に粛々とこなしていく方が、ずっと立派で難しいです。少なくともわたしにとって、イスラームは非常に「普通」なもので、変な石を有難がっても何もありませんよ、スペシャルなことは基ありませんよ、淡々とやれ、というのが大事だと思っているので、覚醒だの何だの言われると、どうにも違和感があります。 どちらかというと、正しい眠り方を教えてくれるものとして、信

    胡散臭い覚醒
  • 一つの多神教という日本的ファンタジー

    『原理主義から世界の動きが見える』の中で、手島勲矢氏が、「一神教」と「多神教」についてハッとさせられることを書かれています。「一神教」「多神教」という構図をこれほど多用し社会現象に援用するのは特殊日的であり、その背景には「一つの(日的)多神教」という暗黙的な了解があるのではないか、という指摘です。 ちょっと長くなりますが引用しておきます。 (・・・)高度な抽象概念「一神教」「多神教」を、堂々と形而下の生々しい国際紛争と結びつけてしまう――こういう発想は、欧米の学者からは出てこない。彼らにとって、「一神教」「多神教」の区別は、あまりにも学術的な区別であって、それらを具象的な現象に援用するのは宜しくないのだ。しかし日では、識者だけでなく一般人も、この区別を違和感なくすんなり受け入れている印象がある。 この理解のギャップから私が思うのは、日人の論じる「一神教」「多神教」という区別は、欧米