一本締めという日本の伝統芸を大いに発揮するべき 「これから開会式を始めます。皆さんお手を拝借。ぃよーぉ!」 「「パンッ」」
本当は勉強好きじゃないけど、必要に迫られて、このところ少しずつだけ勉強してる 勉強っていうもの自体がすごく久しぶりだ 昔から勉強好きじゃないのでいつも宿題とかギリギリまで溜めこんで、提出日の朝に学校でやるのもしょっちゅうだった 夏休みの最初には、親に言われて一応「1日○ページ!」みたいな目標立てるけど、守れたことなかった それがだよ!聞いてくれ! 今のところちゃんと計画通りに1日○ページできてるんだ それどころか、「今日は暇があるからもう2,3ページやっちゃおうかな」なんて日もある すごい 俺成長してる いつの間にこんなことできるようになったんだろう なあ俺すごいよな!ほめてくれ!
風呂掃除をしていてうっかりゾーンに入った。 タイルの目地を狂ったようにタワシで磨く行為を1時間程続けていたのだ。汗が眼に入った。脇から流れた汗がTシャツを通って腰に伝った。今日はよく晴れていて、風呂の窓からは蝉の声がシャーシャー聴こえてきた。頭の位置を変えたら酷い立ちくらみがして、大きく長い息を吐いた。 普段まったく家事をしない。必要に迫られないとしない。そして「必要に迫られている」と感じるのが人よりだいぶ遅いようで、自分でも呆れる位、家事をしない。 今日、年に何度か訪れるこのうっかりゾーンの最中、あることを思い出した。 以前、同居人がいた。2年と少しくらい一緒に暮らしていた。 同居人は家事全般、とりわけ料理が得意だった。事情があって一緒に暮らしはじめ、事情があって家事はあまり分担せず同居人が一手に引き受けていた。家事が好きだから、好きな方がやればいいじゃない、と同居人はよく言った。色んな
っていう記事を少し前にmixiで見かけたので、自分だったらどう書くかなと思ったのだが、正直なにも思いつかなかった。 つまり「どの時点のどういう状況の自分に対して、どういう助言を送ればどうなっていたのか」がまるで想像できなかった。 つまりこの「昔の自分に6文字だけメールできたとしたら」という仮定の話は、前提として自分で進路を選択可能な状況であり、 かつその選択で失敗した、と考えている(感じている)という事がなくてはならない。 自分の場合、常に選択肢で成功した訳ではなかった。というより、選択肢そのものがなかった。 そりゃ全くない訳はないんだけど、例えば「1万円拾うか、一万円捨てるか、どっちかを選べ」のような状況ばかりで 主観的には選びようもないような状況ばかりで、そして状況に流されてばっかりで、現在に至っている。 とはいえ、自分はそれほど大人しいわけでも流されやすいわけでもない。むしろ主張は強
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