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2008年6月9日のブックマーク (6件)

  • たけくまメモ : マンガ界崩壊を止めるためには(1)

    マンガ家・雷句誠氏が6日に小学館を提訴してから3日が経過しました。その間、この問題はネット中を駆け回り、今さら何かを書こうにもすっかり出遅れた感じになってしまいました。もちろん俺も何か書こうとは思っていたのですが、この件に関しては、現時点では雷句氏側の見解(訴状と陳述書)しか公になっていないので、なんとも言えなかったというのが正直なところです。 http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html ↑雷句誠の今日このごろ。「(株)小学館を提訴」 新聞報道を読んでも、雷句誠氏が小学館に原稿を紛失されて損害賠償を提訴したという事実関係以外は、まだ何も書かれていません。小学館としては「訴状が届いていないのでコメントできない」の一点張りで、問題が公になったのは金曜日でしたから、訴状が届かないのは仕方がないです。それで、明けて月曜夕方になるまで様子を

    surumeno13
    surumeno13 2008/06/09
    ここからどう「止めるためには」に繋がるのかと思ってしまうほど暗い現実
  • http://www.fukushima-fa.com/tennouhai/08tennouhai,ken,kumiawase%203.pdf

    surumeno13
    surumeno13 2008/06/09
    夏に二連戦が二つとか・・・ありえない。
  • 円谷幸吉 - Wikipedia

    円谷 幸吉(つぶらや こうきち、名:つむらや こうきち[1][注 1]、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日[注 2])は、日の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。 福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身。中央大学経済学部卒業。自衛隊体育学校所属。最終階級は2等陸尉。第一級防衛功労章、勲六等瑞宝章受章[3]。 5000m・10000m・20000mで日記録を樹立し、1964年東京オリンピックのマラソンで3位入賞、10000m走で6位入賞を果たした。しかし、オリンピックから約3年後の1968年1月に自殺を遂げ、当時の日の社会に大きな影響を与えた。 生涯[編集] 生い立ち[編集] 1940年(昭和15年)5月13日、福島県岩瀬郡須賀川町に生まれる[4]。7人きょうだいの末っ子(上に兄5人、姉1人)で、生家は田畑や山を持つ農家だった[4]

    円谷幸吉 - Wikipedia
    surumeno13
    surumeno13 2008/06/09
    オリンピックの光がもたらした影の暗さによって命を奪われた選手。
  • 君原健二 - Wikipedia

    君原 健二(きみはら けんじ、1941年3月20日 - )は、日の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。1960年代から1970年代前半の戦後日の男子マラソン第1次黄金時代に活躍したランナーである。また、オリンピックには3大会連続で男子マラソン日本代表として出場した。福岡県北九州市出身。 人物・来歴[編集] 学生時代~初マラソン挑戦[編集] 1955年 1964年 ドキュメンタリー映画『あるマラソンランナーの記録』(1964年、監督:黒木和雄) 出生当時、実家は小倉市(現・北九州市小倉北区)で小間物屋を営んでいた。5人兄弟の3番目で、姉、兄、弟2人がいる[1]。中学時代、友人から駅伝クラブに入るよう勧められ、断り切れずに陸上を始める。福岡県立戸畑中央高等学校(現・福岡県立ひびき高等学校)時代はインターハイでも予選落ちを経験するなどとりわけ目立った選手ではなく、高校を卒業後の就職活動も

    君原健二 - Wikipedia
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    surumeno13 2008/06/09
    「1960年~1970代前半の日本の男子マラソン第1次黄金時代に活躍した、日本が誇る名ランナー」
  • 「心のタスキをつないで」 佐藤敦之

    特別寄稿 「心のタスキをつないで」 佐藤敦之 ※佐藤敦之選手人が、学生に、また、頑張っている人に、自分想いを伝えることで、エールにしたい・・・と、執筆してくださっています。 第1回 プロローグ 〜 心のタスキをつないで 〜 第2回 私に、エースとは何かを教えてくれたひと 第3回 ならぬことはならぬ 第4回 夏の思い出 第5回 感謝 第6回 屈辱は己を変える最大の好機(チャンス) 第7回 determination(決意) 第8回 意識がひとを動かす 第9回 最終学年の想い・・・ 第10回 あまり・・完璧だと疲れます・・。 箱根駅伝って…俺にとってなんだったのだろう…? 風が冷たく感じるこの季節になると、ふと考えてしまう。正直言っていい思い出はあまりない。むしろ箱根を早く忘れたい時期があった。箱根を恨んだ時期があった。人はやはり弱いもので都合の悪いことは後回しに

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    surumeno13 2008/06/09
    佐藤敦之選手による後輩に向けた特別寄稿。とても会津人らしいひとだなぁ、と。
  • まゆたんブログ:思うこと。

    最近、雷句先生の訴訟問題で、編集者と漫画家の問題が浮上していますが 新條もフリーになったいきさつで思うところがあって 普段はこういう話をブログでは絶対にしないようにと思っているのですが 一言、書こうと思います。(一言じゃないですが・・・むしろ長いです。) やはり、編集者と漫画家は対等な立場でありたいと思っています。 気持ち的には、漫画家は編集者に対して「お仕事をもらっている」と思っていたいし、 編集者は漫画家に対して「漫画を描いてくれている」と思っていてもらいたい。 そんな気持ちでずっとお仕事をさせていただいていました。 どんなに忙しくても、「この雑誌に描いてほしい」と言われれば寝ないで描いていました。 「こういうものを描いてほしい」と言われれば、出来る範囲で描ける漫画を。 新條が漫画というお仕事でご飯をべていけるようになったのは 育ててくれた編集者のおかげだし、掲載してくれる雑誌のおか

    surumeno13
    surumeno13 2008/06/09
    問題についてとても伝わってきた文章。/自分の好きな漫画家さんは集英社から小学館に移籍したんだけど、今回の件をどう見ているのかな。