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ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (6)

  • 反原発を 分断する優生思想。 - hituziのブログじゃがー

    反原発運動の なかでの「優生思想」の問題が、以前から指摘されてきました。たとえば、2011年2月には つぎのような記事が問題になりました。 上関原発、強行工事!! - ゆいわのきほくのわ この記事には、たとえば つぎのような文章があります。 日の原発は、たくさん放射能が漏れています。ごまかして隠してますが、原発地帯の子供達は奇形児や白血病が多いのです。 みなさんの子どもが、原発地域で育った女の子と結婚したいと言ったらどうしますか? 年頃の女の子は、奇形児を産む可能性が高いから結婚できないのです。 このひとは、結婚差別を 批判することなく、むしろ利用し、そして「奇形」を さけるべきものと規定しています。上関(かみのせき)に原発をつくるなと主張するために、このような論理は必要なのでしょうか。むしろ、反原発運動に差別を とりこむことによって、運動を 分断することになるのでは ないでしょうか。

    反原発を 分断する優生思想。 - hituziのブログじゃがー
    surumeno13
    surumeno13 2012/03/08
    事故後からこっち、正義っぽい言動の裏にある無意識の優生思想がずっとこわかったです。
  • 原発の立地(「事故が おきたら賠償が たいへんだから」)。 - hituziのブログじゃがー

    武田徹(たけだ・とおる)『「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ』中公文庫(追記:このは『私たちはこうして「原発大国」を選んだ―増補版「核」論』中公新書ラクレとして復刊されました。) いっきに よんだ。参考になった。印象的だった部分は たくさんある。たくさん ありすぎるので、あまり要約したくない。ぜひ よんでみてください。 「1947年論 電源三法交付金―過疎と過密と原発と」(130-152ページ) この章で、武田は1961年の「原子力損害賠償法」の成立について紹介している。この法律をつくるとき、参考にしたのがアメリカの「プライス・アンダーソン法」(原発事故による賠償方法をさだめる法律)だったという。 原発事故による被害が あまりにも ひどい場合には、国が賠償するという、そういう きまりですね。 武田は、1964年に原子力委員会が つくった「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめ

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    surumeno13
    surumeno13 2011/04/16
    「これは、しかし、原子力発電所の運転継続を国が望む場合、その地域は過疎であり続けなければならないことにもなる。」
  • 介護職とボランティア。 - hituziのブログじゃがー

    http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20101022/1287712210 社会貢献活動というと、たいていある種のボランティア活動を指す。たとえば介護ボランティアなんかがあるが、これが素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかりというのはよく聞く話である。介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ。 んー。介護職が適切にアドバイスしたうえで、できることを してもらえば だいじょうぶだと おもいますね。「素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかり」というのは、責任を ボランティア側だけに おしつけてしまっている。そういうのは、うけいれる側(介護職)の問題でもあるでしょう。共同作業ですからね。 人間って おかしなもので、「介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ」などと いわれると、そんなことないよと いいたくなる。いっぽう

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    surumeno13
    surumeno13 2010/10/23
    ボランティアをしたことも、本職でボランティアの方といっしょにしたこともありますが、じつにその通りだと思いました。
  • わかちあうことが できたら。 - hituziのブログじゃがー

    わたしのことじゃないけどさ。おもいを はせてみる。 みんな 平気な かおをしていて、ひきずっているのは じぶんだけのように 感じてしまう。そうして、だれにも いえずに、ただ、じぶんだけで うけとめつづけてしまう。それでは、どうしても つらい。はきだしたいのに、はきだせないまま、ただ もやもやしている。首の うしろが あつくなって、あたまを あげることもできずに、ただ うなだれてしまう。大声で さけぶことが できたら。らくになるかもしれない。けれども、そうすることも できずに いる。 いろいろとアドバイスを もらっても、どれも これも「ごもっともな はなし」ばかりで、よけいに つらくなる。たしかに そうなんだけど…。わたしだけでも ないのだけれど…。わすれられない。くるしい記憶として、おもいだしてしまう。どうすれば いいのだろう。 すごく まわり道を して、とおまわしな いいかたで、そっと

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  • 多数派には名前がない(多数派の「オフサイド トラップ」)。 - hituziのブログじゃがー

    少数派には名前がある(ベジタリアンをめぐって)。の続編と いいますか。逆の視点から おなじことを かきます。 多数派って、なあに。えーっと、社会のなかで 多数をしめる ひとたち? この社会に いっぱい いるひとたちのこと? 「ちょっと ずれたひとたち」以外ってこと? 自分が「ふつう」だと おもってしまえる ひとたちのこと? わたしが おもうに、多数派と少数派は、名前の あるなしで区別できる。少数派には名前がある。多数派には名前がない。これを ずばりと指摘したのが、アイデンティティの政治性を くわしく論じている 石川准(いしかわ・じゅん)さんだ。 障害者は、障害者というアイデンティティとか立場を引き受けるにせよ拒絶するにせよ、つねに「障害者」として振る舞わなければなりません。障害者というアイデンティティや立場から自由になろうとしても、それもまた障害者としての一つの「政治的な意味を帯びた」選択

    多数派には名前がない(多数派の「オフサイド トラップ」)。 - hituziのブログじゃがー
    surumeno13
    surumeno13 2008/08/26
    ラインの駆け引きや、駆け引きの裏をかくところなんかもサッカーでは面白い所だったりすることと考え合わせてみたりした
  • 少数派には名前がある(ベジタリアンをめぐって)。 - hituziのブログじゃがー

    matsuiism(マツイイズム)さんの奇妙なベジタリアンたち - heuristic waysという記事について、ちょっと感じたことを かきます。 マツイイズムさんは鶴田静(つるた・しずか)さんの『ベジタリアンの世界-肉を超えた人々』を よまれたそうだ。 ベジタリアンの発想はしばしば奇妙に思えるし、時には滑稽にすら感じられる。また、人自身いろいろ試行錯誤を試みたり、失敗したりしているため、一貫性や持続性がないようにも思える。私自身は今のところベジタリアンになるつもりはまったくないが、ただ、面白いのは、ベジタリアンは「べてよいもの」と「べてはいけないもの」との区別を新たに設定し直すことによって、自分の生活とこの世界のあり方について、「自明性をカッコに入れる」現象学的還元を実践してしまうということ、そして肉の罪を自覚し、自分の欲望に「制限」や「限界」を設けることによって、謙虚になる

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    surumeno13
    surumeno13 2008/07/12
    名乗ること、名づけられる事
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