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ブックマーク / vergil.hateblo.jp (5)

  • 独裁を完成させたら終わりだということを理解しない人たち - 読む・考える・書く

    憲法違反の秘密保護法、戦争法、共謀罪法をすべて強行採決で押し通し、さらに憲法改悪・緊急事態条項による独裁の完成へと暴走する極右安倍自民党政権。まさにこの国の未来を破滅へと導く国家的危機と言うべきなのだが、この事態に警鐘を鳴らす人々を訳知り顔で嘲笑する者たちがいる。 下のツイートなど、その典型だろう。 仕事でホテル暮らしが続いているのだが、昨日、ロビーで「安倍は独裁者」と騒いでいるおばちゃんたちがいた。サダム・フセイン時代のイラクを訪れたことがある私としては『当の独裁国ではそんなこと言えませんよ』と思う。安倍政権に自由を担保されている人たちが、安倍政権を独裁呼ばわりする喜劇。 — 早坂隆 (@dig_nonfiction) 2017年6月27日 「安倍政権に自由を担保されている」? この人にとって、自由とは権力者から恩恵として与えてもらうものなのか? 自由権は基的人権を支える要となる権利

    独裁を完成させたら終わりだということを理解しない人たち - 読む・考える・書く
    sutara_lumpur
    sutara_lumpur 2017/07/03
    「野党は無能」しか言えない皆さん、与党は有能ですか?すぐにバレる悪事しかできず、不誠実な対応と失言で自ら傷口を広げる無能な連中に、「多少強引でも日本を導いてくれ」と願いを託せるの?
  • 教育勅語「国民道徳協会訳」という悪質な嘘訳 - 読む・考える・書く

    なぜか「定訳」扱いのデタラメ「国民道徳協会訳」 「国民道徳協会訳」を逐条的に検証する 毒を糖衣で包んで現代日人に飲ませようとする「国民道徳協会訳」 なぜか「定訳」扱いのデタラメ「国民道徳協会訳」 作られてから既に120年以上も経つ教育勅語は、原文のままでは現代人には理解するのが難しい。そのため、つい現代語訳に頼りたくなるわけだが、教育勅語の現代語訳というと、なぜか「国民道徳協会訳」と称するものがまるで定訳であるかのように扱われている。例えば明治神宮のサイトで教育勅語の解説に使われているのもこれだ。 だが、実際に読んでみると、この「国民道徳協会訳」はデタラメもいいところで、明らかに勅語の印象を良くするよう意図的に内容が改変されている。正確な現代語訳とはかけ離れたものと言わざるを得ない。 以下、この訳のどこがどうおかしいのか、逐条的に見てみよう。 「国民道徳協会訳」を逐条的に検証する 原文

  • 日本国憲法:誰が誰に「押し付けた」のか - 読む・考える・書く

    実は戦争放棄の発案者が誰なのかは、あまり重要ではない 憲法9条の発案者はマッカーサーではなく幣原喜重郎であると主張する記事を二つも(記事1・記事2)書いておいて申し訳ないが、実は私は、戦争放棄を最初に言い出したのは誰なのか、といった問題は、あまり重要ではないと考えている。 改憲派は、日国憲法はGHQによって「押し付けられた」ものだからそれだけで悪であり、何としてもこれを「自主憲法」に変えなければならない、と主張する。そんな彼らにとって、憲法の平和主義の核心に位置する9条が日側から提案されていたのでは都合が悪いのだろう。しかし、当時の日人は、GHQの「押し付け」であることなど百も承知で新憲法を支持したのだ。 そもそも当時の日は米軍による占領下にあり、GHQの同意なしに政府が何事も成し得ないことは誰の目にも明らかだった。そして、毎日新聞のスクープ(1946年2月1日)によって明治憲法と

    日本国憲法:誰が誰に「押し付けた」のか - 読む・考える・書く
  • 臣民根性の行き着く果て―「戦時犬猫供出」 - 読む・考える・書く

    先の大戦時の嫌な話の一つに、犬の供出というのがある。 例によって記録がほとんど残っていない(恐らく敗戦時に廃棄された)ため事件の全体像がはっきりしないのだが、時系列を辿ってみると次のようになる。 日中戦争時からあった予兆 1942年夏の悲劇 犬供出の格化 犬の撲殺をさせられた少年 毛皮は有効に利用されたのか? 日中戦争時からあった予兆 まず、この事件の予兆を示すような出来事として、1940(昭和15)年2月、帝国議会で次のようなやりとりが行われている[1]。 北委員 もう一点、これは軍に直接関係のあるものでありますから、陸軍大臣に伺っておきます。(略)今日ご承知のごとく皮が足らなくて困っている、う物がなくて困っている。こういう際に犬を撲殺することに陸軍が努力したらどうか。非常時であるから統制を強化しなければならぬと、口先では各閣僚共言っておられるけれども、実行的には何もやってお

    臣民根性の行き着く果て―「戦時犬猫供出」 - 読む・考える・書く
  • 反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 - 読む・考える・書く

    反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 史実とは大きく違う『かわいそうなぞう』のストーリー 猛獣虐殺は空襲のせいではなく戦意高揚のため 『かわいそうなぞう』は戦後平和教育失敗の象徴 反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 児童文学作家土家由岐雄による童話『かわいそうなぞう』。1951年に発表された後、1970年に絵として出版されて200万部を超える大ヒットを記録、小学校の教科書にも採用され、代表的な「反戦童話」「平和教材」となった。戦後生まれの日人なら、子どもとして、またはその親として、一度は読んで涙したことがあるのではないだろうか[1]。 そのころ、日は、アメリカとせんそうをしていました。せんそうがだんだんはげしくなって、東京の町には、朝もばんも、ばくだんが、雨のようにおとされました。そのはくだんが、もしもどうぶつえんにおちたら、どうなることでしょう。おりがこわされて、

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