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クトゥルフに関するsutego386のブックマーク (2)

  • ちゃんと機能する!! 人間の皮膚みたいなスマホケースから目が離せない

    ちゃんと機能する!! 人間の皮膚みたいなスマホケースから目が離せない2019.11.04 12:0025,716 Alyse Stanley - Gizmodo US [原文] ( 岡玄介 ) もち肌です。 スマホで何時間も、アテもなくスクロールし続けているのはとても幸せなことです。しかし皆さんはそこで我に立ち返り、その小さなデバイスがアナタの手で“持たれていることを感じているか” なんて考えたことはあるでしょうか? もちろんそんなことありませんよね。だって命も魂もない商業製品ですからね。 「触られ方」を認識する肉片スマホケースところが、フランスでテレコム・パリスに務めるマルク・テシエさんとその同僚は、人間の皮膚の質感を真似たスマホ用ケースを開発。 デバイスに貼り付けて、撫でたり突付いたり、くすぐったりすると、人の肌と同じく検知するのです。『ブラック・ミラー』制作陣が、コンセプトを丸パク

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    sutego386
    sutego386 2019/11/04
    ルルイエ異本 電子書籍化
  • 日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏

    最近、ちまちまとラヴクラフト全集を再読しているのですが、あらためて強く意識させられるのが、恐怖感についての日米文化の違いです。たとえばラブクラフトがさも自明のごとく使う「冒涜的」という表現の、いったい何がどう冒涜的なのか、まるでぴんとこないこと。また、クトゥルーや南極の〈古きもの〉がさほど怖いとも思えず、それどころか、むしろちょっとかわいいじゃん。などと愛着に近い感情すらおぼえてしまったりすること。こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。 ラブクラフト作品での「冒涜的」という形容は、宗教上の教義と相容れないものごとだけでなく、普通でない、なじみがない、理解できない、ありえない、と語り手が感じる対象ことごとくに向かってつかわれます。キリスト教文化圏では、何

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