埼玉県秩父市大滝の十文字山(2071メートル)で15日、下山途中に遭難した高齢者が、釣りに来た秩父市の男性会社員(43)に発見され、3日ぶりに救助された。 命に別条はないという。助けた男性は取材に「あと1日遅かったら、さらに体力が落ちてどうなっていたか分からない。本当によかった」と話した。 秩父署の発表によると、救出されたのは、神奈川県茅ヶ崎市矢畑、アルバイト小山彰さん(77)。小山さんは11日に1人で入山し、峠の小屋で1泊。12日早朝から別ルートで下山したが、同日夕方、道に迷い、幅5メートルほどの渓流の岸にある岩陰でビバークすることにした。むやみに動かない方がいいと判断し、持っていたバナナやあんパンを食べて飢えをしのいだ。 15日早朝、知人と十文字山周辺に釣りに来た男性が、釣りのポイントを探して上流に向かって歩いていたところ、「おーい、おーい」と助けを求める小山さんに気づいたという。 小
1951年9月のサンフラシスコ講和条約署名は、米国の対日感情を改善した。しかし日米間には、なおわだかまりもあった。真珠湾をめぐるそれだが、そこには誤解もあった。太平洋戦争の口火を切った真珠湾攻撃があった1941年12月7日をルーズベルト大統領は「屈辱の日」と呼んだ。それは19世紀半ばから21世紀のきょうまで続く日米関係の最悪の瞬間だった。「真珠湾を忘れるな」の思いがいまも米国人の深層心理にあ
1951年9月8日は、吉田茂首席全権にとって忙しい日だった。午前中にサンフランシスコのオペラハウスで条約に署名し、午後5時(日本時間9日午前9時)からサンフランシスコの第6軍司令部プレシディオ(将校集会所)で日米安全保障条約に署名した。前夜に米側から通告いま考えると意外だが、当時、安保署名のニュースは、さして大きな扱いにはなっていない。連合軍による占領を終わらせ、日本の独立を意味する講和条約が前向きのニュースだったのに対し、安保条約は米軍駐留の延長を意味する現状追認の取り決めとみえたからだろうか。9日付日経は1面トップの「平和条約調印さる」の関連原稿として「安保条約もきょう調印」の4段見出しの記事がある。わずか2つの文からなる短い記事であり、ニュースソースを「日本全権筋」としている。それがだれであるかはわからないが、「8日午後5時にプレシディオで安保条約署名式」と米側から通告されたのは外務
1951年9月6日、サンフランシスコ講和会議に特派されていた日経の大軒順三記者は「後半のヤマ経済問題」と見出しをつけた原稿を送った。ソ連側の主張が多数を得られない見通しが明らかになったためだ。同じ日に書いた快刀乱麻のソ連批判の原稿は7日付朝刊1面を飾ったが、こちらは1日遅れて8日付1面に載った。説得に動く日本全権団大軒原稿は、各国が演説で明らかにした関心事項を改めて整理し、賠償、漁業制限で
サンフランシスコ講和会議のヤマは、会議2日目にあたる1951年9月5日だった。国際社会に復帰する日本の吉田茂首席全権を「主役」とすれば、「影の主役」ともいえる人物が登壇し、予想通りのパフォーマンスを見せたからである。ソ連首席代表のグロムイコである。
1951年9月初めにサンフランシスコに集まった政治家たちは当然ながら、活発なロビー外交を展開した。それは記者たちに多くの取材を強いる結果になり、たくさんのニュースが発信された。
「オヤジを描かせてくれるのがソルマーレ」 少女漫画の作家たちの間で、こんな都市伝説が広がっているという。具体的には20~30代女子が40代男子にさまざまなシチュエーションで恋するという内容。ソルマーレとは、NTT西日本の子会社で、携帯電話向けデジタルコミック配信の最大手、NTTソルマーレ(大阪市中央区)のことだ。保守的イメージの強いNTTグループの中で、“飯の種”を必死で見つけようとする子会社の「進取の精神」が隠されていた。色気や包容力…。オヤジの魅力 ソルマーレは平成23年12月にデジタルコミック誌「オヤジズム」を創刊。その名の通り、40歳以上の男性を魅力的に描き、中年男性の色気や包容力、才能が、20~30代の若い女性をキュンとさせる-という筋書きだ。毎月第1金曜に定期配信している。 23年といえば、「年の差婚」が流行した年。山田雅一編集長によると、企画した当初は作家たちに「少女は描けて
午後1時36分。台湾高鐵653号、左営行きの列車が、高鐵・台中駅1番線に滑り込んできた。ホームでひと際目を引いたのが、高鐵のテーマカラーであるオレンジの制服に身を包んだ6人の若い女性たち。 長い髪を後ろでキリリとまとめ、涼しげな目をした、身長170㎝くらいの長身細身の女性は車掌服。空港を闊歩するキャビンクルーさながら、あたりを払う気品に満ちている。 検札も、車内販売も、車いすを押すのも、全部女性。華やかな彼女たちの存在が、のほほんとした在来線とは一線を画す、高速鉄道の雰囲気を演出している。 働く彼女たちに何度かカメラを向けたが、みな視線を外して足早に立ち去ってしまう。プロフェッショナルとして働く人に、いきなりカメラを向けるなんて失礼なことだ。撮影はあきらめよう。 まもなく終点の左営駅というとき、くだんの女性車掌がそっと近づいてきた。「高鐵が好きなのですか?」。にっこりとあどけない笑顔を見せ
中国語をまったく話せない。ゆえに中華圏を旅するときは、なかば諦めている。何をって、パンチパーマのおばさんに“横入り”されることを、だ。 上海しかり、香港しかり、マカオしかり。まあ、ことばが話せないゆえに、きっぷ一枚買うにも非常に時間がかかるので、しようがない。 けれども台湾は別。そう確信していた。 次は私の番というそのとき、パンチパーマの後ろ姿が目の前にさっと飛び出してきた。すると案の定、たちまち列をつくっていた若い人たちが口々に声を上げてくる。 窓口まで行き、手招きする人も。「外国人なのだから、スタッフは英語を話せる人に代わって」と頼んでくれたという。 すごすごと列の最後尾に回るおばさんを、ちょっと気の毒に思いながら、無事にきっぷを入手した。 ここ高鐵専用の駅のホームは、非常にわかりやすい。それなのに、これまた若い人が身振りを交えながら、ホームの場所を案内してくれた。おせっかいすれすれ?
下車駅に到着すると、乗車した列車の顔を撮影するために、一目散にホームを駆け出すのが習慣になっている。スコピエから乗車すること約30分。降り立った「クマノヴォ駅」でも、もちろんそうした。 下車したのはわたしを含め5人だけ。停車時間は短いに違いない。気持ちが焦ってスーツケースを放り出す。それをわざわざクマノヴォ駅の駅員が、ベンチまで運んでくれた。 「中国か、韓国か、日本か、ベトナムか」。声をかけてきた彼に「日本」と答える。「日本か! インターネットで見たけれど、日本にはピカピカした美しい電車がいっぱい走っているじゃないか。なぜこんなボロい鉄道の写真を撮っているのだ?」 顔を写真に収め、それでも停まっているので後ろから、横からとひと通り撮影を済ませる。運転士も車掌もニコニコと笑顔を浮かべ、のんびり様子を見ている。乗降客もいないのに、ずいぶ停車するものだ。そう思い駅員と雑談を始める。すると運転士が
「タンゲがつくったスコピエ駅」には、ふたつの顔がある。表は「マケドニア鉄道駅」。裏は「バスターミナル」。タクシーで「スコピエ中央駅」と告げると、100%間違いなくバスターミナルに連れて行かれる。 泊まったホテルのコンシェルジュも、32歳だというタクシー運転手も、これまで1度も鉄道に乗車したことがない。口酸っぱく「鉄道駅」と言ったのに、タクシーが停まったのは案の定バスターミナルだった。 バスターミナルは小さな子どもの手をひいた家族連れやめいっぱい着飾った女性同士、バックパックを背負った外国人などで明るくざわめいていた。マケドニア人が好むナッツ類や飲み物を扱う小さな売店もある。バスは、マケドニア国内はもとよりアルバニアなど近隣国やオーストリア、スイス、ドイツあたりまで、路線が張り巡らされている。
台湾高速鐵路。通称「台湾高鐵」。中国語の発音は「タイワンガオティエ」。英語では「タイワン・ハイスピード・レイル」。いざとなったら筆談に持ち込めるよう、これだけの情報を手帳に大きな文字で書き留めて、高鐵台中駅に向かう。 「ああ、新幹線(スィンカンシェン、と聞こえる)ね」と、タクシーの運転手。「あなたは日本人だから、新幹線を知っているでしょう。台湾では、新幹線といえば通じますよ」と言われて、すっかり拍子抜けした。 台湾高速鐵路は2007年に開業した“自慢の足”。最高速度は時速300キロ、台北駅と台湾第二の都市・高雄市郊外の左営駅を最速96分で結ぶ。新幹線の車両技術が世界で初めて導入された事例だ。 「顔が似ているでしょう。これは700T型という車両で、日本の700系の兄弟なんです」。ホームで撮影していると、若い女性駅員から声をかけられた。鉄道好きが嵩じてこの仕事に就き、新幹線に乗るために日本を訪
マケドニアの首都スコピエで中央駅を写真に収めていると、通りがかりの男性がしきりに何かを伝えてきた。「あなたは日本人か。いまのスコピエをつくったのは日本だ。ありがとう」と言っているらしい。 東欧の小国マケドニアは、旧ユーゴスラビアを構成していた共和国のひとつ。バルカン半島の内陸に位置して、周囲をセルビア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア、コソボに囲まれている。面積は九州の約3分の2、人口は岐阜県とほぼ同じながら、公用語はマケドニア語、通貨はマケドニアデナルと、自国の文化を持っている。 スコピエを大地震が襲ったのは1963年。現地の人いわく「アレキサンダー大王の時代から受け継がれてきた」市内の建物の約75%が崩壊するという、壊滅的な被害を受けた。その再建を請け負ったのが、建築家の故・丹下健三氏を中心とする日本チーム。中央駅はそのシンボルだ。
午前10時30分。出発まで2時間近くあるにもかかわらずアデレード・パークランズ・ターミナル駅は頬を上気させた旅行者でごった返していた。オーストラリア大陸を縦断する寝台列車「ザ・ガン」に乗るのだ。無理もない。 人ごみをすり抜けてホームに出る。うっ、長い。強い日射しを浴びてきらきら輝くメタリックの車両が、右手にも左手にも見渡す限り延びている。先頭も最後尾も見えやしない。 予約状況により車両編成は変化するという。これから乗り込む列車は何両あるのか。尋ねてみるとスタッフごとに言うことが違う。36両、32両、約40両…。 「すみません。これもオーストラリアのおおらかさだと思っていただければ」。苦笑いするのは、トレインマネージャーアシスタントのケイシーさん。「私は34両編成、全長約900メートルと聞いています」 3クラス構成の客車にラウンジカーとダイニングカー、キッチンカー、スタッフ車、荷物運搬車、自
プレキャストコンクリート(PCa)の格子で、1フロア6000m2の巨大空間を包み込む――。構造材と外装材を兼ねる格子状の「殻」を、どうやって美しく施工するか。施工者に難題が突き付けられた。 現場はキユーピー仙川工場の跡地。研究所やグループ会社のオフィスなどを集約した施設に建て替える計画だ。建て替え後の建物は、鉄骨造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)の地下1階、地上5階建て。1フロア面積は約6000m2で、都内最大級を誇る。日建設計が設計を、大成建設が施工を担当している。
富士山が世界文化遺産として登録されることがほぼ確実、というニュースで世間は盛り上がっている。今後増加するであろう観光客に対応する施設を、景観を守りながら維持、もしくは建設していくのは難題に違いない。 ダラムの歩行橋 同じく世界文化遺産で有名な英国・ダラム市に、アラップ社の創業者オーヴ・アラップが設計し自ら最高傑作と自負する橋が架かっている。「ダラムのフットブリッジ(歩行橋)」である。 大聖堂は1093年にカトリック・ベネディクト派の修道僧によって起工され、要塞を持つダラム城も同じく11世紀の建立である。この大聖堂は、映画ハリー・ポッターの中で、ホグワーツ魔法魔術学校として登場している。ダラム城は、1832年に英国で4番目に古い大学として開校したダラム大学の学生寮となり、今でも使われている。ダラム城が世界遺産登録されたのは1986年(写真:John Donat) ダラムの町は、蛇行するウィア
2013/06/14 供用中の堤体の一部を天端から切り欠いて大型の洪水吐きを増設するという、前例のない事業が緒に就いた。越流を許容する減勢工や水流を考慮したゲートサイズなど、合理的な施工を進めるための工夫を重ねている。 「堤体に穴を開けるのではなく、天端から切り欠いて洪水吐きを増設するのは国内初だ」。長安口ダムの改修事業を手掛ける国土交通省那賀川河川事務所長安口ダム管理所の松下越夫事業対策官はこう語る。
安倍晋三内閣が14日に閣議決定する成長戦略の評判がいまひとつだ。アベノミクスの「第3の矢」と期待が膨らんでいたが内容に新味がなく、株式市場は今月5日の安倍首相の成長戦略に関する講演時から売り一色に。慌てた政権側が秋に設備投資減税を柱とする追加策を検討する考えを打ち出すなど、火消しに追われる事態となった。 これが「異次元の戦略」? 成長戦略は(1)「日本産業再興プラン」(2)「戦略市場創造プラン」(3)「国際展開戦略」の3つの柱からなる。(1)は企業再編や設備投資を促す法制度整備や国家戦略特区の推進、子育て支援の拡充などを明記。(2)では医療関連産業の活性化や電力システム改革、農業の競争力強化策などを掲げた。(3)ではTPP(環太平洋経済連携協定)など経済連携交渉の推進、インフラ輸出、クールジャパンの推進などを打ち出した。 内容は多肢にわたるが、ある財務省幹部は「各省が持ち寄った内容をつなぎ
台本次第でネイティブ以上のプレゼンができる 普段の会話の難しいところは、相手に話しかけたら、どんな答えが返ってくるか想像がつかないことです。ぼくがいちばん苦手とする会話は How was your weekend? (週末はどうしてた?) というものでした。相手は週末に山に登ったかもしれないし、海に潜ったかもしれません。相手の話に合わせて会話を続けてなくてはならないのです。しかも、ネイティブたちは、この「週末はどうしてた?」の話題が大好きなのです。 これに対して、プレゼンテーションは非常に簡単です。「準備が可能」で、最初から最後まで、ひとりでしゃべりまくることができるからです。一般的な会話のように、途中で何が飛び出すかわからないというリスクはありません。ひとりで話し続けるのですから、台本を作ればいいだけのことです。 「自分は台本を作ってやっている。でも、うまくいかない」と思っている人が多い
化学プラント、石油ガス田、電車の運転士……。男性主体の職場で、女性の存在感が増している。体力的にも精神面でもタフな"紅一点"が、硬直化していた男社会の意識を変え始めた。大型トラックやローリー車が土煙を巻き上げながら行き交う。川崎市の埋め立て地にある昭和電工川崎事業所。巨大な化学プラントとは不釣り合いな小柄な2人の女性が、運転管理に携わっている。■力仕事や深夜パトロールも柏原春菜さん(21)と
スギやヒノキの花粉症の季節が終わり、ホッとしている人も多いだろう。しかし最近は夏に生い茂るイネ科の草が原因で症状が出る例も多く、花粉症はいつでもかかる「通年病」になりつつある。真夏にマスクを着けるのは息苦しい。どんな気象条件の時、どこに飛びやすいかを理解し、日ごろから花粉をできるだけ遠ざけて予防に努めたい。「今シーズンの花粉飛散状況の観測は5月31日をもって終了いたしました」――。ネットで環境
造船重機メーカーの川崎重工業が長谷川聡社長を13日解任し、同業の三井造船との経営統合交渉を白紙に戻したことを受け、14日の東京株式市場では川崎重工株が上昇する一方、三井造船株は下落し、市場の評価が分かれた。 ただ、来年には新たに造る受注船がなくなる「2014年問題」が控えており、両社が生き残り策を迫られている状況は同じ。今回の破談は、同業他社を巻き込んだ、新たな再編の呼び水となりそうだ。 前夜の社長解任劇は、両社の社員には「寝耳に水」。川崎重工の社員への説明は、13日夜に社内用のホームページに掲載された村山滋・新社長からのメッセージのみだった。 ただ、社員の戸惑いをよそに、市場では川崎重工株に取引開始直後から買い注文が相次ぎ、一時前日終値比27円高の333円まで急騰した。SMBCフレンド調査センターの木谷亨主任研究員は「三井造船の造船所を抱え込むことで、川崎重工に新たな負担が発生する懸念が
「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に出席された天皇、皇后両陛下と万歳する出席者ら=4月28日午前、東京都千代田区永田町の憲政記念館(栗橋隆悦撮影) 米国の首都ワシントンに「ホテル・ワシントン」というホテルがあるそうだ。行ったことがないので詳しいことは分からないが、このホテルに宿泊した経験がある先輩記者によると、「どうってことのない普通のホテルだ」という。 今から63年前、ホテル・ワシントンで、首相の密命を帯びた2人の男が杯を交わしていた。2人はこの後、いずれも日本の首相にまで上り詰める。池田勇人と宮沢喜一。池田は蔵相、宮沢は蔵相秘書官として渡米していた。 「本当にケチなホテルで、池田さんと私でツインベッドの部屋で七ドルですから、安いものですね(笑)。池田さんはお酒を持っていって、一升瓶だか四合瓶だったか、お燗をするのに洗面器で、湯を出してみたら湯が出るので、それでお燗しました」 宮沢
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く