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thoughtとbookに関するswimincloudsのブックマーク (10)

  • モチベーション3.0を読んだ - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    モチベーション3.0(ダニエル・ピンク著、大前研一訳)を読んだ。 ツィッター向けのまとめ。 アメとムチは前世紀の遺物。「モチベーション3.0」によると、二十一世紀の職場では「自律性」「マスタリー」「目的」へのアップグレードが必要。277ページ カクテルパーティー向きのまとめ 『モチベーションの話となると、科学の知識とビジネスの現場にはギャップがある。ビジネスにおける現在の基ソフト(OS)は、外部から与えられるアメとムチ式の動機付けを中心に構築されている。これはうまくいかないし、有害な場合も多い。アップグレードが必要なんだ。科学者たちの研究成果がその方法を示している。この新しいアプローチには三つの重要な要素がある。一つは「自立性(オートノミー)」ーー自分の人生を自ら導きたいという欲求のこと。二番目は「マスタリー(熟達)」ーー自分にとっての意味のあることを上達させたいという衝動のこと。三番目

    モチベーション3.0を読んだ - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • 「真理や客観などない」―『「自分」を生きるための思想入門』 竹田 青嗣 | 考えるための書評集

    竹田青嗣は現代思想を勉強するさい、今村仁司とともに参考にさせてもらった。内田樹はそのあとに出てきた哲学者なのでブログはよく読んだが、書籍では読む機会を逸した。 竹田青嗣の紹介でいちばん知りたかったことは、客観や真理が現代思想ではすでにそんなものはないと宣言されていたことだ。「言語ゲーム」や「ルールの網の目」でしかないというポストモダンの思想をいちばん確認したかった。 でも学校や世間ではどうも「正解」や「真理」がある、わかるという前提で了解されているようで、この思想と常識のギャップってなんなんでしょうね。学校って「近代」までのもので、ポスト近代になったら学校というところでものを教えられないのでしょうか。 この「真理なんてない」という考え方を確認したくて、思想のいろいろなを漁った。やはりこの点で宣言したのは岸田秀の「唯幻論」であり、リオタールの『ポストモダンの条件』であり、ニーチェの『権力へ

  • 「共同幻想論」を知るためのブックガイド | 考えるための書評集

    社会は言葉でつくった幻想の世界を共同で信じ、それを実体のものと思いながら暮らしている。この考え方を「共同幻想論」というが、この言葉の編み込んだ世界を「世界そのもの」と思い込む勘違いから抜け出すのはなかなかむづかしい。相対化、客観化がむづかしいのである。 その認識を理解するためのブックガイドを13年前、97年につくった。もう一度、再録したいと思う。共同幻想論を理解するための一助になればいいと思う。 著者はイギリスの反精神医学者であるが、このは「分裂病」という診断が、いかにまわりの人たちの「悪意」によって下されるか、ということを描いた、まわりの人たちの見解や評価といったものがどんなに恐ろしいものなのか、まざまざと思い知らせてくれるである。 緊密に結びついた家族や集団は、空想的体系によって「現実」を捉えており、それがかれらの世界「そのもの」、世界の「事実」となっているのだが、そこから脱出しよ

  • 吉本隆明が亡くなった: 極東ブログ

    隆明が亡くなった。未明に地震があり、あの震源はどこだったんだろうと思ってテレビの音声を聞いているときに、訃報を聞いた。 まあ、お年だからなと思った。糖尿病を抱えヘビースモーカーで87歳というのは大往生の部類ではないか。彼の死についてはかねて理解している以上のことはないなと思って、ぼうっとしていたら、自然に涙が出て来た。ツイッターにも吉の死のことは書くまいと思ったが、堰を切ったように連投してしまった。 僕は吉さんに個人的に会うことはなかった。知人が吉さんのの編集などをしていたので会うこともできないものでなかったけど、まあいいかと思っていた。自分が若い頃、自暴自棄になって自分の学んだことをすべて放り出したいと思ってプログラマーになって、ヴェイユのひそみもあって工場でファームウエアのアセンブラプログラムとかしているとき、吉さんのの、宮沢賢治に触れたところで、知識人は知性を罪責と思

  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0681.html

  • 古代人は神話を信じたか - 恐妻家の献立表blog

    この記事は昨夜、寝ぼけて書きなぐったので不備がありました。 コメントやブックマークもいただいたので、以下のように補いました。 先日、『史記〈8〉―列伝〈4〉 (ちくま学芸文庫)』滑稽列伝にある西門豹の逸話を取り上げたところ、コメント欄で、古代の人はどの程度まで神話や伝説を信じていたのか、という問題提起をいただいた。 http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20120115/1326560052 そういえば『ギリシア人は神話を信じたか―世界を構成する想像力にかんする試論 (叢書・ウニベルシタス)』というような題名のを読みかけたこともあったが、難しくて途中で投げ出してしまった。 なんだか以前に似たようなことを考えたことがあったように思って、日記を読み返したところ、このブログを始めて間もなくの頃プラトン『パイドロス (岩波文庫)』を材料にそういうことを考えた跡があった

    古代人は神話を信じたか - 恐妻家の献立表blog
  • 『死の起源』に再び触れて - 凹レンズログ

    「人間はなぜ生まれ、生きてゆくのか」、という人間にとって初源的な問いに答えてくれるものは、あるのだろうか。それは、生き遂げた終焉としての「死」以外にはおそらくないだろう。だから、いまはここにないからといって忘れてはならないのが「死」なのである。死ほど私たちの今、現在を息吹かせてくれるものはないはずである。 年末に実家の棚を整理していると、懐かしい一冊のを見つけた。このを初めて手に取ったのは、たしか18歳の高校卒業が間近の頃だったと記憶している。 したり顔で斜に構えて、言葉だけの苦悩を抱えた気になっていた当時、田沼靖一の「死の起源 遺伝子からの問いかけ」と出会った。ビジュアル系バンドが売れたり自殺掲示板が問題になったりしていた時期だったと思うけれど、当時から陶酔感プンプンのカルト的な死は自分にはピンとこなかった。 死の起源 遺伝子からの問いかけ (朝日選書)posted with ヨメ

    『死の起源』に再び触れて - 凹レンズログ
  • 松岡正剛の千夜千冊 『良寛全集』(上下)

  • 呉智英「つぎはぎ仏教入門」書評 シャカのことばだけが仏教の本義|好書好日

    釈迦は非凡なエゴイスト? 現存するお経の多くはニセモノ? 知っているようで知らない仏教の、その歴史から思想的核心までをわかりやすく解説した入門書。補論「西洋における仏教評… つぎはぎ仏教入門 [著]呉智英 現代日では「一般教養」の枠からこぼれてしまった仏教の現状を憂えて書かれた入門書。知識人の役割を重視する著者の立場は明快だ。覚者シャカのことばだけが仏教の義。その厳しい教え、高い思索性は門外漢をもうならせる。なのに、主流派仏教は大衆への浸透を意識するあまり、後世まとめられた経典に依拠し時流に合う解釈を積み重ねてぐずぐずになっていった——。 エッセンスをつないだ作りが分かりやすく、かえって根源に触れる。特に「鎌倉新仏教」の各宗派を論じた部分は刺激がいっぱい。阿弥陀信仰は「救い」に重点を置くところにキリスト教の影響が見え、禅宗の「無」の重視や逆説好みは、そのまんま荘子思想だという。 ◇ 筑

    呉智英「つぎはぎ仏教入門」書評 シャカのことばだけが仏教の本義|好書好日
  • 『なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?』 吉田 典生 | 考えるための書評集

    できる人というのはなにをもってできるのかという基準が明確でないから、なにか抽象的でばくぜんとしたものになりがちだ。できる人というのを身近に見ないとできる人の明確なイメージももてない。どういう人ができるのかというのか、まずは明確化が必要なんだろう。でもできるとできないを二分できるほど、仕事や人間を単純で切り分けられるほど愚かな評価はないと前提からわたしは蹴ってしまうのだが。 このはできる人ができない人をできるように育てられない理由を探っていて、できる人とできる人の違いもうきぼりにしてて、あんがいよかったほうの部類に入るではないかと思う。できる人ができるようになった理由、できない人ができない理由を探っていて、そこが大事なのかもしれない。 なお著者の吉田典生氏はtwitterで就活や転職に役立つ方法をつぶやいていて、たいへんに参考になる言葉を無料で聞かせてもらって感謝している。だからお返し

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