「旧日本軍を免罪・擁護するために、現代を生きる自分の物差しを無批判に70年前に当てはめる」と言えば、先日問題にしたnekoyama氏の「強姦多発」否定論もそうです。このエントリのコメント欄でN・Bさんと私が婉曲なやりとりをしていますが、何が「あまりに不愉快」だったのか、補足しておきます。 「否定論の「性暴力」観」で言及した法華狼さんのエントリのコメント欄では、atoreaさんがnekoyama氏の発言をパラフレーズして「いやもうなんと言っていいか・・・」と呆れておられます。要するに、そういうことですよね? しかしあたりまえのことですが、人間が住むところどこにでも日常的な性の営みはあるわけです。nekoyama氏が言っているのは、「華北の男性*1が性的なパートナーにしている華北の女性は、オレの性的対象にはならない」ということです*2。「誤解を恐れず言わせていただければ」、華北で女性を強姦した
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
切れそう。 AP⇒The Associated Press: Sudanese Army Attacks Darfur Rebel Town KHARTOUM, Sudan (AP) Sudanese government forces resumed air strikes in Darfur on Monday with an attack on a town that killed more than a dozen civilians, African Union peacekeepers and rebels said. BBC⇒BBC NEWS | Africa | Sudan planes 'bomb Darfur town' Sudanese government planes have bombed the town of Haskinita in North Darfu
2007年09月09日 朝青龍問題に思う2つのこと。(後編) カテゴリ:カテゴリ未分類 さて、「朝青龍問題に思う2つのこと」 後編です。 僕がマスコミ報道を インターネットで読んでいて 思うことは、 「朝青龍の感じていたストレス」 について、 書かれたものが ないということなんだよね。 まず、相撲協会が 朝青龍に対して下した 「2場所出場停止」という 重い処分についてなのだけど これは、今回の問題である 「巡業を怪我で休んでいる時に 母国に帰ってサッカーをしていた」 ということだけでなく、 これまでの朝青龍の 様々な不祥事の積み重ねで 下された処分だと いうことなのだけどね。 つまりは、相撲協会は 朝青龍の振る舞いに対して これまでずっと ストレスを溜め込んでいて それが限界に達したことで 予想以上に重い処分になったと いうことだ。 その処分の妥当性については ここではコメントしないけれど
2007年09月09日 朝青龍問題に思う2つのこと。(前編) カテゴリ:カテゴリ未分類 さて、久しぶりにスポーツのことを 書いてみたいのだけれども、 日本ではいわゆる 「朝青龍問題」 が、話題になっていた ようなんだけどね。 この問題もようやく少し 落ち着いたようなんで(苦笑) そろそろちょっと 書いてみたいと思う。 こういうことは、 マスコミがカーッとなった後に ちょっと冷めた頃に 書くのがちょうどいいんだよね。(苦笑) うひょひょ。。。 この問題の経緯については 僕より皆さんが よくご存知だろうし、 「横綱の品格」とか 「角界のしきたり」とか そういうことになると、 歴史とか文化とか 難しい話になるし、 正直、なかなか書きづらい。 だから、今日はこの問題について 朝青龍を擁護も批判もしないけれども、 マスコミの報道をネットで見ていると 2つほど気になったことがあったので 少し書いてみた
2006年06月17日 英国留学回想録(完全版):翻訳天国。 カテゴリ:カテゴリ未分類 さて、「英国留学回想録」です。 今日から新しい章に入ります。 新しい章は、 「エッセイに命を賭ける」。 ちょっと大げさと思われるかもしれないが、 今思い返してみても、 最初のエッセイというのは、 命がけでやったと思う。 どれくらいやれば、 どのくらいの得点がもらえるかわからない。 母国語でない英語で書かないといけない。 それまで最大で1500WORDSのエッセイしか書いたことがない。 課題のエッセイは5000WORDSが3本である。 全くの未知の世界だ。 やってみないとどうなるかわからない。 しかし、もし落第したらどうなるか。 30過ぎて会社辞めて、 外国まで来て学位が取れませんでしたじゃ、 もう死ぬしかない。 「命がけだから」 は、この頃の私の口癖だった。 冗談ではなく、あれは命がけだったのだと思う。
みんながどうなのかは知らないけど、僕は結構恵まれていたのかも知れない。 なぜなら、僕の父親は国立大学の教授。母親は高校の英語教師。 うまい具合に休暇が取れる職種だったので家庭の団らんも普通にあったし、 それなりの収入と地位も当然あった。僕には家と小さな別荘も残してくれる。 だから、どう頑張って想像しても、恵まれてない人の気持ちって分からない。
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