宗教と中国に関するt-hirosakaのブックマーク (8)

  • 淫祀 - てぃーえすのメモ帳

    夏四月丁巳、壞諸淫祀。 (『後漢紀』孝桓皇帝紀下、延熹八年) 後漢の桓帝の時、桓帝は神仙趣味で老子を祀ったりする一方で、「淫祀」すなわち祭祀するべきではない対象への祭祀を破棄させたという。 後漢末の「淫祀」の廃絶というと曹操の城陽景王祀や王朗の始皇帝像の話などが有名だが、もしかしたらそれは曹操らのオリジナルではなく、漢王朝が公認して太守たちに推奨していたことだったのだろうか。

    淫祀 - てぃーえすのメモ帳
  • 天を祭る作法 - てぃーえすのメモ帳

    皇帝祭天、居雲陽宮、齋百日、上甘泉通天臺、高三十丈、以候天神之下、見如流火。舞女童三百人、皆年八歳。天神下壇所、舉烽火。皇帝就竹宮中、不至壇所。甘泉臺去長安三百里、望見長安城、皇帝所以祭天之圓丘也。 (衛宏『漢旧儀』) 漢代の皇帝が天を祭る際は、雲陽宮(左馮翊にある)で百日間斎戒し、それから甘泉の通天台に登るという。 そこで天の神が来るのを伺い、八歳の幼女三百人にマスゲームをさせ、祭壇に烽火を挙げる。 皇帝はその祭壇には行かず、近くの竹宮に居るのだという。 雲陽にある甘泉は長安から三百里の距離で、長安城を眺めることが出来たとのことである。 皇帝が百日間も斎戒するというのが事実なら中々大変そう。 まあ、斎戒といってもどこまでやるのか分からないけれど。 あと、八歳の幼女を三百人も集めて舞をやらせるというのは神降ろしの儀式なんだろうけど、ロリ的にはあまりにも壮観すぎて危険な光景かもしれない。

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  • 「中国は道教の国」ではない - 枕流亭ブログ

    以下は、亭主が読んで少しならず腹を立てたネット記事を貶しているだけの内容なので、時間をムダにされたくないかたはスルー推奨です。 元記事はこれ↓です。 中国人が買い占めに走る「伽羅」に日の仏教界が困っている(NEWSポストセブン) http://www.news-postseven.com/archives/20140730_268374.html いやあこれ↑はひどい。はじめにきちんと言っておきますが、ひどいのは「中国人」ではなくて、NEWSポストセブン当該記事そのものですよ。 冒頭からまず難癖がひどいです。 中国富裕層は、虎視眈々と私有財産を増やそうと買い占めを行っているわけだが、ゴールドや海外の土地といった高価なものから、おむつや粉ミルクといった日用品まで、自分たちが得するものであれば、とことん手を伸ばす姿勢は節操がないというかすごいというか…。 「ゴールドや海外の土地」なら富裕層

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  • 夏休み - てぃーえすのメモ帳

    六月己酉、初令伏閉盡日。 【注】 漢官舊儀曰「伏日萬鬼行、故盡日閉、不干它事。」 (『後漢書』紀第四、和帝紀、永元六年) 伏日は陽の気が強い真夏の酷暑の頃がどうたらこうたらでとにかくとっても暑い時期。 後漢和帝の時、そんな伏日に「お外はモンスターがうようよしてる日だから」ということで一日ひきこもって何もしないように決めたのだそうだ。 夏休み的なものなのか? まあ物忌みの一種だかろうから、そんないいモノじゃないと思うけど。

    夏休み - てぃーえすのメモ帳
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2012/04/06
    「伏日萬鬼行、故盡日閉、不干它事。」
  • 始皇帝の像 - てぃーえすのメモ帳

    (王)朗家傳曰、會稽舊祀秦始皇、刻木為像、與夏禹同廟。朗到官、以為無徳之君、不應見祀、於是除之。居郡四年、惠愛在民。 (『三国志』王朗伝注) 三国時代、魏の王朗の家伝によれば、王朗が後漢末に会稽太守になった頃、会稽では秦の始皇帝の像を夏の禹王と一緒に祀っていたのだという。 王朗は始皇帝は徳の無い君主だから祀る対象にすべきでないと堅いことを言い、その祭祀を止めさせた。 曹操の城陽景王の話に似ているが、注目すべきは祭祀をやめさせる理由だ。 始皇帝は「無徳」なので祭祀の対象にふさわしくないということらしい。 始皇帝を当時の知識人がどう見ていたのか、それとローカル祭祀について同じくどう思っていたのか、これらについて考えさせる話である。 ちなみに曹操の例では城陽景王の祭祀が民より収奪する道具と化していたために禁止した、ということになっているようで、理由が王朗の方とは違っている。 曹操は城陽景王の祭祀

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  • 儒教とは宗教なのか?道徳なのか? - つらつら日暮らし

    拙僧が、岩波書店から定期購読している月刊『図書』という冊子があるのですが、先月の10月号に中国哲学を専門にしている中島隆博氏の「儒教と祈り」という一文が掲載されていました。それを読みながら、拙僧自身が最近思っている重大な問題が指摘されていることに気付きましたので、それを見ていきたいと思います。 儒教と祈りと聞くと人は何をイメージするだろうか。たとえば、儒教は宗教ではなく、世俗的な倫理・道徳の教えであると理解している人ならば、儒教に祈りはふさわしくないと思うかもしれない。その反対に、儒教は宗教であり、とりわけ天に対する信仰が顕著にあると考える人であれば、儒教に祈りがあっても然るべきだと判断するかもしれない。 前掲雑誌12頁 中島氏の指摘の通り、儒教には、宗教ではないという見方と、宗教であるという見方があります。なお、『論語』「述而篇」には、孔子が「祈り」について言及する箇所が、僅かにあるそう

  • 三皇 祝融(しゅくゆう)

  • 三皇五帝関連人物 - 祝融

    しゅくゆう その姿は「獣身人面(『山海経』海外南経)」とも言われ、火の神とされる。 三皇五帝伝説ではしばしば名前が見え、山東省・嘉祥県で発見された後漢時代の画像石では伏羲・神農と並んで三皇の一人に上げられている。 だが、その他の記録などでは今一つ個性の感じられない脇役にされてしまっていることが多い。 ・南方の神 『山海経』や『淮南子』などでは、祝融は南方を司る方位神とされている。 南方は祝融、獣身人面、双竜に乗る。 (『山海経』海外南経) 南方の極は、北戸孫国の外から、顓頊国をとおって、南のかた委火炎風の野に達する。そこは赤帝の帝と祝融の神が司宰していて、一万二千里のひろさである。 (『淮南子』時則訓) 祝融を南方に配置するのは、木・火・土・金・水を東・南・中央・西・北に配する五行思想の影響だろうか。 また、『淮南子』天文訓にある、 南方は、火である。その帝は炎帝、その

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