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儒教とは宗教なのか?道徳なのか? - つらつら日暮らし
拙僧が、岩波書店から定期購読している月刊『図書』という冊子があるのですが、先月の10月号に中国哲... 拙僧が、岩波書店から定期購読している月刊『図書』という冊子があるのですが、先月の10月号に中国哲学を専門にしている中島隆博氏の「儒教と祈り」という一文が掲載されていました。それを読みながら、拙僧自身が最近思っている重大な問題が指摘されていることに気付きましたので、それを見ていきたいと思います。 儒教と祈りと聞くと人は何をイメージするだろうか。たとえば、儒教は宗教ではなく、世俗的な倫理・道徳の教えであると理解している人ならば、儒教に祈りはふさわしくないと思うかもしれない。その反対に、儒教は宗教であり、とりわけ天に対する信仰が顕著にあると考える人であれば、儒教に祈りがあっても然るべきだと判断するかもしれない。 前掲雑誌12頁 中島氏の指摘の通り、儒教には、宗教ではないという見方と、宗教であるという見方があります。なお、『論語』「述而篇」には、孔子が「祈り」について言及する箇所が、僅かにあるそう
2009/11/22 リンク