「道徳」の教科化が見送られたと報道されている。 前にも書いたが、当然だ。週一時間の現在の位置でさえ問題だ。 教科になると規範が「なんとかなる」はずがない。 なんとかなったとすれば、それは「規範」ではない。フリの技術の習得か、不道徳規範の内面化だ。 教科と教科以外を格が上だとか下だとか言う、その規範に疑義がある。保守派がこの所好きな言葉である「品格」に問題があると想像させる言い回しだ。 ところで、教科の基準を読売は、教育再生会議の議論を引きながら次のようにまとめている。 「正式な教科にするには、 〈1〉児童・生徒を数値で評価する 〈2〉検定教科書を使用する 〈3〉中学校以上は各教科専門の教員免許を設ける――ことが条件。」 この基準は基準だろうか? もっと重要なことがあるだろう。 ひとまとまりの知識や技術として客観的に存在しているかどうか。 同時に、それらは社会的合意の得られる内容であるかどう
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