2006年1月31日のブックマーク (4件)

  •  根源的な問いを回避することについて(1) - モジモジ君のブログ。みたいな。

    稲葉振一郎さんのコメント、「そういうバカでてきていない小人もだましてなだめすかしておだてて使うことが必要です」に関連して。 まずは、レヴィナスの『全体性と無限 (上) (岩波文庫)』(熊野純彦訳)より。 ・・・私たちが語りにおいて接近することになるのは多くの場合、対話者、つまり私たちの師ではない。むしろたんなる対象であるような相手や子ども、あるいはプラトンがそう語っているように、群衆のひとりとしての人間である*。子どもに教育するような、あるいは洗脳する場合のような語りはレトリックなのであって、それは隣人を策略にかける者の立場にたつものである。ソフィストの技術が、それとの対立関係において真理をめぐる真の語り、あるいは哲学的な語りが定義される主題となるのは、そのゆえにである。どのような語りもレトリックをまぬがれないけれども、哲学的な語りはそれを乗り越えようとする。レトリックが語りに抵抗しようと

     根源的な問いを回避することについて(1) - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 研幾堂の日記

    Quemadmodum desiderat cervus ad fontes aquarum, ita desiderat anima mea ad te, "Veritas". Noli foras ire, in te redi, in interiore homine habitat veritas. An invenisti, anima mea, quod quaerebas? ΛΕΓΕ ΑΥΤΟΣ ΚΑΙ ΠΕΡΑΙΝΕ ex magna luce in intellectu magna consequuta est propensio in voluntate. 最新タイトル

  • 2006-01-30

    この頁のメインは「上野千鶴子vs東京都」事件の抗議署名拙劣論議の一部です。 http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20060126#p01 この「抗議行動への抗議」の概略は上にまとめられているのものが非常に分かりやすい。大野さんありがとう。 http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20060124(コメント欄) わたしのところにこの件に関するメーリングリストが届きました。この件に関するわたしの思いは、大野さまのプログとほぼ同意見でありながらも、署名することはできませんでした。それは石原慎太郎氏の政治的手段と上野先生の手段は同じ形式、つまり仮想敵を創造し、故意的にアジるもしくは論理的矛盾及び弱点を批判するという形式だからです。さらには言えば、石原=男根主義者対上野=フェミニズムという単純な二項対立においては、上野先生が女性

    2006-01-30
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2006/01/31
    署名
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    帰省、寿司、陶芸体験 8/13(火) の実家の墓参りへ行き、俺の実家へ帰省。風呂に入る前に子供達と外で水鉄砲で水を掛け合いびしょ濡れになる。最後のほうはどうにでもなれと思い、ホースやバケツで直接水をかけ合う。久しぶりの大胆な遊び方に子供たちは大声をあげながら騒いでいるが、田…

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