2008年2月21日のブックマーク (5件)

  • 【イージス艦衝突】「反自衛隊」勢力が叫ぶいかがわしさ─花岡信昭氏特別寄稿 - bogusnews

    また、なんともしかたのない事件が起きた。房総半島沖のイージス艦・漁船衝突事故だ。関係機関は事故を徹底的に調べるべきだろう。漁船を沈没に追い込んだことは償う必要がある。だが、あえて書かなくてならない。事故を政治闘争の具に「反自衛隊」「反戦」勢力が気勢をあげるのには、なんともいかがわしさが漂う。 「イージス艦は出ていけ」と声高に叫ぶのは言論の自由だが、そこには責任も伴わなくてはいけない。果たして事故に遭った漁船・所属漁労は責任を果たしていたのか…。現場は自衛隊の船が徘徊する日の領海である。日の兵隊と言えば南京で30万人を虐殺したことで知られる。相手が民間人でもホイホイ殺しちまうような危ないやつなんだぜとも言われている。 所属漁労は 「自衛隊のいる海より、オーストラリア近くの南極海でクジラでも獲ってたほうが安全だよ」 と教えなかったのか。この基的な「しつけ」が徹底していなかったことは無念、

    【イージス艦衝突】「反自衛隊」勢力が叫ぶいかがわしさ─花岡信昭氏特別寄稿 - bogusnews
  • edaichi's blog: 新学習指導要領社説その3

    新学習指導要領案に関する新聞社説その3です。 080219 日経済新聞 お節介すぎる学習指導要領 学校で何をどのくらい、どう教えるのか。そのよりどころになるのが、文部科学省のつくる学習指導要領だ。戦後しばらくは、教員が授業の目安にする程度の存在だった。  ところが、昭和30年代の改訂から記述がどんどん細かくなり、学校現場への拘束力も強まった。均質ではあるが冒険はあまり許されない。そんな戦後公教育の根に、この準法規的な性格を持つ文書がある。  文科省が小中学校の新しい指導要領案を公表した。3月末にも告示され、小学校は2011年度から、中学校は翌年度から全面実施となる。  授業時間数を1割ほど増やし「総合的な学習」は減らす。小学校高学年に「外国語活動」を新設する。こうした施策が話題になっているが、指導要領の些末(さまつ)な記述や画一性は相変わらずだ。  新指導要領のごく一部を挙げてみよう。

  • 「広義/狭義の性暴力」とか言い出すんでしょうか? - モジモジ君のブログ。みたいな。

    まぁ他の新聞なども報道していますが。ぼくの今のところの姿勢は「詳細な続報を待ちたい」という感じ。もうすでに実際にレイプがあったものとして容疑者について何か言っている人も目立ちますが、そういう人は過去のいろいろな報道で何をどのように学んだのか皆目不明です。容疑を認めている、ならともかく、容疑を否認している、というのが気になる。 http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080218/beihei 同記事中の引用を孫引きする。 十日午後十時半ごろ、女子中学生(14)を島中部の公園先路上に停めていた乗用車内で暴行したとして、沖縄署は十一日午前、在沖米海兵隊キャンプ・コートニー所属のタイロン・ハドナット容疑者(38)を強姦の容疑で逮捕した。ハドナット容疑者は「抱き付いたり押し倒したりはしたが、暴行はしていない」と容疑を否認しているという。 「女子中学生暴行容疑で米兵

    「広義/狭義の性暴力」とか言い出すんでしょうか? - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 意志への自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いろいろと思ったことを、整理せずに書いてみる。 まず、ネットのあちこちで語られ(かつ批判された)被害者の自己責任を言う言説は、沖縄の中でもそこかしこで語られる。米軍基地との距離も、地域によって随分違う。那覇近辺であれば、米軍の存在感は随分と小さい。少なくとも最近は。堂々と言うかコソコソと言うかの違いだ。いずれにせよ、「沖縄」という一枚岩の政治的主体が存在するかのような語り方は、少し考えなおして欲しい気はする。*1 今回の事件に関連して、あちこちの自治体から抗議決議が出されている。県民集会も開かれるらしい。こういう動きを被害者自身が喜んで受け止めたりするわけがない、とは思う。連日の報道の中で、ああ、自分のことが語られている、ということ、そのことは多分、痛いことのはずだ。ただ、地位協定がある限り、地域社会は沈黙を許されないだろう。地域社会の行動だけが、「運用改善」を担保している。これは先日も指

    意志への自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 『ネオリベラリズムの精神分析』 - Arisanのノート

    ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書) 作者: 樫村愛子出版社/メーカー: 光文社発売日: 2007/08メディア: 新書購入: 7人 クリック: 172回この商品を含むブログ (80件) を見る この(特に前半)では、一般にたいていは批判的な意味をこめて「ネオリベラリズム」という言葉で語られる現在の社会のあり方が、「再帰性」と「恒常性」という二つの概念をキーワードにして論じられている。 「再帰性」というのは、書中では 自分自身を意識的に対象化し、メタレベルから反省的視点に立って自己を再構築していくこと。自律性をもって新しさを自ら生み出していくこと(p14) と定義されている。 一読して分かるように、「より高い再帰性を目指す」ということは、別にそれ自体が悪いことというわけではない。 では、無条件にいいことか、と聞かれると微妙だが、われわれは概ね「再帰

    『ネオリベラリズムの精神分析』 - Arisanのノート