2012年6月12日のブックマーク (4件)

  • 孔丘先生と弟子の殺害予告 - てぃーえすのメモ帳

    季氏富於周公、而求也為之聚斂而附益之。子曰非吾徒也。小子鳴鼓而攻之可也。 (『論語』巻十一、先進) 孔丘先生は、弟子のひとり冉求が周公より裕福であると言われる季孫氏に仕えて年貢の徴収に力を発揮したと聞くと激しくお怒りになった。 「あやつは我が弟子ではない!お前ら、あやつを攻め殺して構わんぞ!」 仮にも弟子とした人物を殺してしまえというのはなかなかに過激であるが、それだけ先生はその不肖の弟子が苛斂誅求をしたということを怒ったのだろう。流石は先生である。 孟武伯問子路仁乎、子曰不知也。又問、子曰由也千乘之國可使治其賦也、不知其仁也。求也何如。子曰求也千室之邑百乘之家可使為之宰也、不知其仁也。赤也何如。子曰赤也束帯立於朝可使與賓客言也、不知其仁也。 (『論語』巻五、公冶長) 孟武伯が孔丘先生に尋ねた。「冉求さんってどうよ?仁者?」 孔丘先生は答えた。 「あいつ、千世帯の都市の長官や馬車百台持って

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  • 項羽の字 - 枕流亭ブログ

    『史記』項羽紀第七の冒頭に、「項籍者,下相人也,字羽」(項籍は下相の人である。字は羽といった)とある。三家注のひとつ『史記索隠』は、ここについて「按,下序傳籍字子羽也」(調べると、下って序伝に籍の字を子羽としている)と注釈している。序伝とは、太史公自序のことである。 『史記』太史公自序第七十に「秦失其道,豪桀並擾,項梁業之,子羽接之,殺慶救趙,諸侯立之,誅嬰背懷,天下非之,作項羽紀第七」(秦はその政道を失い、豪傑が並び立って世情を騒がせた。項梁が情勢を憂いて起兵し、子羽が項梁に呼応して、慶(宋義)を殺して趙を救ったため、諸侯が子羽を立てた。子嬰を殺して懐帝にそむいたため、天下は子羽を非難した。ここに項羽紀第七を作った)とある。ここの子羽は項羽のことである。 また自序の続く部分に「子羽暴虐,漢行功德,憤發蜀漢,還定三秦,誅籍業帝,天下惟寧,改制易俗,作高祖紀第八」(子羽は暴虐であり、

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  • 兵馬俑考古はつづく - 枕流亭ブログ

    秦始皇帝陵の兵馬俑1号坑第3次発掘について、ネット報道でみたところをざっとまとめておきます。 102件の陶俑があらたに出土したとのこと。彩色が残っているものも出てます。 首なしの巨人俑が出土していて、足のサイズは54センチ。身長は首を含めると2.3mを越えるのではないかとのこと。 百戯俑とよばれる芸能人をモデルとした俑が出てます。 女性がモデルと思われる俑が出てます。女役者じゃないかとか。 秦盾と呼ばれている漆塗りで皮製の盾が出てます。 軍隊の配列から、両翼衛があったんじゃないかと専門家は言っています。 盗掘穴と放火を受けた痕跡が発見されており、項羽が焼き打ちした可能性が高いのではないかと専門家は言っていますよと。 日語報道は、 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120610/t10015725201000.html http://www.yomiuri

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