2016年9月23日のブックマーク (2件)

  • 同じ鳥 - てぃーえすのメモ帳

    呉孫亮建興二年十一月、大鳥五見于春申。 呉人以為鳳皇、明年、改元為五鳳。 漢桓帝時、有五色大鳥。司馬彪云「政治衰缺、無以致鳳、乃羽蟲孽耳。」孫亮未有徳政、孫峻驕暴方甚、此與桓帝同事也。案瑞應圖、大鳥似鳳而為孽者非一、疑皆是也。 (『宋書』巻三十二、五行志三、火、羽蟲之孽) 呉の孫亮の時、大きな烏が五羽出現した。呉ではこの鳥を吉兆、瑞祥として出現する「鳳凰」であると認定し、「五鳳」と改元した。 同じような大烏は後漢の末期(二重の意味で)である桓帝の時にも出現したという。 つまり、瑞祥としての鳳凰ではなく、それどころか王朝の末期的症状としての怪異なのだ、ということだ。 結局、同じ怪奇現象やUMAが観測されても、それが何を意味するものとして認定されるかはその時の政治情勢などに左右される、ということなのだろう。 天下泰平の時代に出現したとすれば、ゴジラだって瑞祥として扱われるに違いない。

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  • 「ヒカルさん」の絵(2) - 瑣事加減

    ・近藤雅樹『霊感少女論』(2) 2014年9月30日付(1)の続き。 この「「ヒカルさん」の絵」と云う話は、2014年4月10日付「赤いマント(130)」に触れたように、近藤雅樹『霊感少女論』155〜187頁「第六話 変貌する怪談」に取り上げられた、愛媛県の松山大学に伝わる「松大七不思議」の1つで、それが「奇跡体験!アンビリバボー」によって流布したのです。 この絵の懸かっていた加藤会館の建築家は木子七郎(1884.4.29〜1955.9)で、建築から生活文化を探求する季刊誌「INAX REPORT」No.189(2012.1・LIXIL Corporation)04〜16頁、特集1「続・生き続ける建築―11 木子七郎」*1の16頁「主な作品」項、「昭和12年[1937]」条に「松山高等商業学校加藤記念館(愛媛)」と見えています。この「加藤」ですが、松山高等商業学校設立に尽力した松山市長加藤

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