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  • 「トリックスター」と「文化英雄」 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2009.09.13 「トリックスター」と「文化英雄」 (4) カテゴリ:神話・伝承・民俗 先日ちょこっと言及した大林太良の別の著書 『神話学入門』 に、ドイツの民族学者カール・シュミッツ(政治学者のカール・シュミットと名前は似ているが、まったくの別人。1920年生まれだそうだ)による神話の分類として、次の三つがあげられている。 1 だれが、どのようにして世界を創造したか(宇宙起源論) 2 だれが、どのようにして人類を創造したか(人類起源論) 3 だれが、どのようにして文化を創造したか? この三つの分類について、大林は下のように説明している。 天と地に関する関する神話とか、天体やその他の自然に関する神話は、私の考えではみな宇宙起源論の一部であり、洪水神話その他の大災厄神話も、宇宙起源神話の一部である。 他方では大災厄神話も、人類の起源を物語るかぎりにおいては人類起源神話の一部であり、また原

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  • 寒い夜に考えたこと - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2008.12.28 寒い夜に考えたこと (9) カテゴリ:社会 せっかくクリスマス用のネタを考えていたのだが、あいにく仕事と重なってしまい、あっという間にクリスマスは去ってしまった。そういうわけで、そのネタは来年まで大事に取っておくことにしよう。 法学や倫理学の教科書によく出てくる話に、「カルネアデスの板」 という話がある。カルネアデスという人は、紀元前のギリシアにいた哲学者であるが、彼が提出した問題だということで、こう呼ばれているらしい。もっとも、カルネアデス人は著作を残さなかったらしく、この話はキケロの 『国家について』 という著作での話が基になっているということだ。以下は、Wikipediaからの引用である。 一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、一片の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつ

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    t-hirosaka
    t-hirosaka 2009/01/13
    「カルネアデスの板」
  • 怪奇「砂男」の恐怖 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2008.10.27 怪奇「砂男」の恐怖 (5) カテゴリ:文学その他 「コッペリア」 というと、「くるみ割り人形」 や 「白鳥の湖」 とならぶバレー演目の定番とでもいうべき作品だが(といっても見たことはない)、もともとは怪奇と幻想を特徴とするドイツ・ロマン主義の作家ホフマンの 『砂男』 を原作にしている。ちなみに 「くるみ割り人形」 の原作も同じくホフマンであるが、ホフマンにはそのほかに、「牡ムルの人生観」 というような作品もある。 『砂男』という短編の粗筋については省略するが、ようするに子供を脅しつけて早く寝かせるために流布していたらしい古い 「砂男」 伝説と、オリンピアという美しい自動人形に対する恋という話とを絶妙に組み合わせたものである。その結び目になっているのは 「目玉」 という不思議な存在なのだが、それはこの場合、人間の生きた目玉であると同時に、ガラス製の人形の目玉であり、さ

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  • 魑魅魍魎または妖怪変化 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2008.10.19 魑魅魍魎または妖怪変化 (4) カテゴリ:神話・伝承・民俗 一般に 「魑魅魍魎」 とは、わけの分からぬ様々な化け物の類を指す言葉である。「昭和の妖怪」 とは、かの岸信介につけられた仇名だが、政界とか芸能界のような、一般社会とはやや懸け離れた特殊な世界に対して、ときに 「魑魅魍魎」 の住む世界などと言われることもある。もっとも、それはせいぜい程度の差にすぎないことで、どこの世界も同じようなものだとも言えるが。 『史記』 の五帝紀には、「舜、四門にひんし、すなわち四凶族を流して、四裔にうつし、もって魑魅をふせぐ」 とあるが、「魑魅」 とは、山林の瘴気から生ずる怪物のことであり、「魑」 とは虎の形をした山神、「魅」 とは猪頭人形の沢神なのだそうだ。2体対をなすといえば、旧約聖書に出てくるビヒモスとリバイアサンという怪物もおなじみである。 一方、「魍魎」のほうは『淮南子』に

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  • 安易な 「反権威」 主義に潜むいかがわしさ - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2008.02.21 安易な 「反権威」 主義に潜むいかがわしさ (2) カテゴリ:陰謀論批判 なんだか、つい最近の産経の 「『反基地』勢力が叫ぶいかがわしさ」 なる記事の題名に似てしまったが、あの記事とはなんの関係もない。あの記事について言えば、あのようなことを言う花岡某という記者と、それを載せた産経のほうがよっぽどいかがわしいという意見に全面的に同意する。 この国の 「反権力」 を標榜する人たちがしばしば見落としがちなのは、イタリアのファシズムもドイツのナチズムも、既成の権力と支配体制に対する 「異議申し立て」 という、下から広がった大衆的な運動によって支えられることで、権力への階段を駆け上がっていったという歴史的な事実である。むろん、最終的な権力の掌握は、既成支配層から労働者や農民に対する反革命としての承認を得たことによるものではあるが。 ムッソリーニはもともと親父の代からの筋金入り

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  • 人間、自分のことは自分が一番分からないものである - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2008.02.23 人間、自分のことは自分が一番分からないものである (34) カテゴリ:思想・理論 ヘーゲルというと難解な哲学者の代表格のように言われていて、とくに昔の岩波の翻訳などでは、「対自」 だの 「即自」 だの 「定有」 だのと、意味不明な術語が乱舞していて、なにを言っているのかさっぱり分からない。 かのラッセルも若い頃はヘーゲル主義の影響を受けていたそうだが、後年の彼に言わせると、ヘーゲル哲学なんてものは、ただのナンセンスなのだそうだ。まあ、たしかに、彼が書いたものや、残された講義録の中には、そう言われてもしかたがない部分もあるのかもしれない。 ところで、人間、人様から意見されると、ついつい 「お前なんかに、オレのことが分かるもんか」 とか、 「人のことに、余計な口出しをするな」 などと言ってしまいがちである。むろん、それはなにも他人の話ではなく、自分が一番そうだったりするわ

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  • 「現実」 という言葉について考えてみた - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2008.02.05 「現実」 という言葉について考えてみた カテゴリ:雑感 今年はうるう年である。ということは、2月29日生れのひとにとっては、4年に1回のめでたい誕生日がまもなくやってくるわけである。ところで、1年の12の月の中で、2月だけがなぜ28日とか29日みたいに極端に短く、他の月と対等に扱われていないのかというと、そこにはふかーい訳がある。 なんでも、昔々、ローマ帝国の初代皇帝であり、かの英雄カエサルの甥っ子であり養子となったアウグストゥスを讃えて、彼の生れた8月にその名前が付けられたときに、8月が30日しかないのはまずかろうということで、2月から取ってきたのがその理由のひとつなのだそうだ。 おまけにユリウス・カエサルとアウグストゥスの名前がそれぞれ7月と8月についたもので、来の7月以降の名前が2月ずつ後ろへずらされるというおかしなことになってしまった。きっと、当時の一般庶民

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  • 問題を分けられない人たち - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2008.01.07 問題を分けられない人たち (4) カテゴリ:雑感 うろ覚えの話だが、その昔、レーニンがトロツキーに、冗談半分でこうささやいたことがある。 「おれは病気になったら、絶対に党の医者には診てもらわないよ。やつらはやぶ医者ばかりだからね」 さすが、夢想家であると同時に、リアリストでもあったレーニンである。党と革命の理念に忠実かどうかということと、医者としての腕の問題とは別のことであることをちゃんと見抜いていた (あたりまえか)。 たぶん、普通の皆さんだって、自分が病気にかかったときに、人はいいけど腕はだめな医者と、人は悪いけど腕は確かな医者と、どっちを選ぶかと聞かれたら、後者を選ぶだろう。いくら人柄がよくったって、腕の悪い藪医者に診てもらいたいなどという酔狂な人はいまい。 世の中には、それとこれとは別の問題だよ、ということがいくらでもある。人柄はいいけど腕は悪いという医者を、

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  • 中野重治 『五勺の酒』 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2007.06.23 中野重治 『五勺の酒』 (31) カテゴリ:社会 三笠宮家の寛仁親王がアルコール依存症であるということが、宮内庁から発表された。 この人の父親は昭和天皇の弟で、戦後大学に入りなおして歴史学を学び、古代オリエント史の研究者としても有名だった人だ。「紀元節」 の復活に反対したこともあって、「赤い宮様」 とも呼ばれ、一部の勢力からはさかんに攻撃されたこともあったそうだ。その息子である寛仁親王のほうは、「ひげの殿下」 などとも呼ばれていた。 報道によれば、同親王は昨年喉頭がんを発症し、以来入退院を繰り返していたのだそうだ。今回、発表されたアルコール依存症というのも、たぶんそのあたりのことと関係があるのではないかと思う。 ところで、ほんらい、こういう情報は患者のプライバシーとして保護されることではないのだろうか。宮内庁がどういう意図や基準でこのことを発表したのかは知らないが、い

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