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ブックマーク / seutaro.exblog.jp (5)

  • <政治・社会>自己責任の底が抜けたとき | そなたんパパの備忘録

    現代の若者は「他罰的だ」との指摘がある。要するに、問題の責任を自分ではなく、他人に押し付ける傾向があるということだ。たとえば、ウチダ先生はかつて、ブログにこんなことを書いていた。 現在の若い日人のほとんどは自分の不幸や失敗を「他の人のせい」にする他罰的説明に依存している。「社会が悪い」「親が悪い」「学校が悪い」「メディアが悪い」などなど。(出典)http://blog.tatsuru.com/archives/000739.php こういう意見は他でも散見されて、たとえば先月の秋葉原の事件についても、犯人は自分の苦境を「社会のせい」に転化したがゆえに犯行を及んだとの解釈が『毎日新聞』や『産経新聞』のコラムで見られた。 しかし、当にその解釈は妥当なのだろうか。たとえば、加害者がネットに書き込んだとされる文章には以下のような記述がある。 『で、また俺は人のせいにしてると言われるのか 悪いの

    <政治・社会>自己責任の底が抜けたとき | そなたんパパの備忘録
  • <メディア>スイーツ(笑)(笑) | そなたんパパの備忘録

    最近、ネット上で流行っている表現が「スイーツ(笑)」だ。この言葉が意味するところは、だいたい次のようになる。(「はてなダイアリー」より) 特に、マスメディア(おもに女性誌)の女性向けの特集にならうことがおしゃれであると考え、特集を鵜呑みにして気取っている女性を揶揄する言葉。実際はメディアに踊らされているとしか言えない状態であることが多いのだが、当人にはその自覚はない。 そのような女性が洋菓子・デザートのことをスイーツと呼ぶことに由来する。いつ、誰が、どのような経緯で使い始めた言葉なのかはさだかではない。2007年に入ってコピペが完成し、流行したもよう。(出典)http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%A4%A1%BC%A5%C4%A1%CA%BE%D0%A1%CB しかしまあ、正直、僕はこういう表現はあまり好きではない。こういうネットでの流行に乗じて、

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  • <メディア>「中立性」の難しさ | そなたんパパの備忘録

    英国の公共放送であるBBCの初代会長は、ジョン・リースという人物である。彼は膨大な量の日記を書き残しているが、それを編纂したチャールズ・スチュアートは、1930年代のBBCの状況について、次のように述べている(Reith Diaries)。 1931年に労働党政府が瓦解したとき、リースはそれを継承した挙国一致政府を強く支持した。そのため、その秋の選挙放送に関する交渉では、彼は明らかに挙国一致政府に好意的なバランスを置いていたように思われる。BBCが左翼に偏向する体質を持っているという理由により、リースが攻撃されたのはまさにこの時期であった。 この引用についてちょっと補足しておくと、1931年に成立した挙国一致内閣とは、労働党出身のマクドナルドが首相をやっていたものの、自由党と保守党により構成される内閣だった。つまり、リースが保守側に協力する姿勢を見せていたまさにそのときに、彼は「左翼偏向」

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  • <メディア>マスコミの「物語」 | そなたんパパの備忘録

    マスコミは「物語」をつくる。しかも、たいていはものすごく単純化されていたり、一方的な物語だ。もちろん、 「第三者効果」についてのエントリで述べたように、受け手は通常、そうした物語を批判的に読んでいる。 けれども、いくら批判的に読んでいたとしても、マスコミが「報じないこと」まではなかなか分からないのも事実である。たとえば、山口県光市の母子殺害事件。この事件で加害者の弁護士について、「報道ステーション」等のマスコミは非常に批判的な報道を行った。 そのマスコミの物語を要約すると、次のような感じになるだろうか。その弁護士は死刑廃止というイデオロギーを頑なに持っている人物であり、そのイデオロギーを貫くためなら手段を選ばない。そして、光市の加害者を死刑から守るために、裁判を欠席するという常軌を逸した手段に訴え、被害者の人権を著しく侵害したのである。こうした物語に沿って、マスコミは問いかける。「これが

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  • <政治・社会>第三者効果 | そなたんパパの備忘録

    掲示板なんかをいろいろ見ていて、嫌だな~と思う表現があります。 それは、「信者」という表現です。たとえば、「朝日信者」だとか「産経信者」だとか、特定のメディア媒体を盲信する人といった意味で用いられています。無論、掲示板だけではなくて、たとえば朝日を攻撃する井沢元彦なんかのは、朝日の読者=信者みたいな構図をもとに、朝日がどれだけ愚劣な新聞であるかを延々と論じていくわけです。 ところが、多くの場合、そうした「信者」という表現は、それを使っている者の肥大化した自己意識を表しているに過ぎません。要するに、「オレはメディアの『ウソ』を見抜く力があるけど、他の連中、特に××新聞なんて読んでるやつらには皆無だろう」という「思い込み」がその背景にあるわけですね。 こういうのをマス・コミュニケーションの効果研究なんかでは、「第三者効果」と呼びます。つまり、人は、マス・メディアは自分にはさして影響を及ぼさな

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