ブックマーク / deepbluedragon.hatenadiary.com (8)

  • 日経サイエンスの進化論特集を読んだ - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    進化心理学への批判記事があるというので楽しみにしてたけど、なんか物足りない。進化論特集なのに紹介記事でなく批判記事ってところにどんな意図があるのかはよく分からないが、そこはとりあえず脇に置く。 この記事の著者は、進化心理学にも科学的に慎重な研究もあるとしながらも、一般に流行ったものに対してはポップ進化心理学と茶化した呼び方をしていたのだが、その文献表の中には(デヴィット・バスなどに混じって)ピンカーやトゥービー&コスミデスの(90年代の)有名な著作が挙げられていて、近年における進化心理学の進展に批判的だった私でさえ違和感があった。同じピンカーならもっとひどいのがあるだろうし(残念ながら"The Blank Slate"は褒められたものではない)、だいたい"The Adapted Mind"が駄目なら進化心理学の根幹が駄目になるんじゃないのか。でも私から見ても、著者はこうした正統派の進化心理

    日経サイエンスの進化論特集を読んだ - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    t_kei
    t_kei 2009/03/04
    うーん。。リンク先の内容が「まともな進化心理学」ってことなのかな。。
  • C.S.パース「記号とは何か」から冒頭部分 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    1、これは最も必要な質問である、なぜならすべての推論はある種の記号の解釈だからである。しかし、それはかなり難しい質問でもあり、深い省察を必要とする。 心の異なる3つの状態を認める必要がある。第一に、夢を見ている状態の人を想像しよう。彼が赤い色以外には何も考えていないところを考えてみよう。それについて考えていないところ、つまり、それに関する質問に答える事を求めていないところ、それが彼を喜ばせるなんて彼自身にも言えさえしないところ、しかし彼の空想がそれを生み出す程それをじっくり思っているところ。たぶん、彼が赤にうんざりしたら、彼は何か別の色に変えるだろう。トルコ石の青とか、バラの色とか;しかし、もし彼がそうしたら、それは理由も強制もない気晴らしの空想においてだろう。これは、何かが現前している心の状態にだいたい近いだろう、強制も理屈もないのだから。;それは感じと呼ばれる。目覚めからの半時間を除け

    C.S.パース「記号とは何か」から冒頭部分 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    t_kei
    t_kei 2008/05/22
    非常に興味深い。
  • 知識は経験の代わりにはならない - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    には役に立ちそうもないゴミのような応用学がはびこっている。そもそもの研究者が頭でっかちで話にならない場合を除いても、最大の原因は応用に必死で基礎への理解がないのが最大の原因だ。認知科学は基が基礎科学だと私は思っているが、認知科学に関連した役立たずの応用研究も山のようにある。それらを含めて私は害悪だと感じる。 合理的経営術は複雑な現実では役に立たない MBA風の合理的経営術を説いたというのは未だに出版されていて、結構売れてたりする。MBA風の合理的経営術が役立たずであるという調査結果も既にあるのだが、ここは源から攻める。認知科学でも昔、強い人工知能が流行っていたころに合理的経営術(例えば意思決定法)がもてはやされたときがあって、哲学者のドレイファスがそれをぐちゃぐちゃに叩いてたことがある。合理的経営術とはようするに合理的な情報処理を用いた経営術のことで、様々なアルゴリズムによって問題

    知識は経験の代わりにはならない - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    t_kei
    t_kei 2008/01/24
    おもしろいなー。
  • 蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学- - 日本昔話の構造分析

    この論考では日昔話をレヴィ=ストロース流に構造分析したい。神話や昔話の物語分析にはレヴィ=ストロース型以外にも、教訓型、ユング型、プロップ型などがある。教訓型(または社会科学的な機能主義による分析)とは、その物語には属する社会にとって役立つ機能が含まれているとする分析だ。例えば、桃太郎は鬼が島から宝を持ち帰るが、かぐや姫は月に行って戻ってこないが、これは男は仕事で女は結婚という性差役割を教えているといった考え方だ。ユング型の分析は、物語の中にトリックスターなどの元型を見つけだすやり方だ。例えば、浦島太郎を引き止める乙姫は何もかもを自らの元に引き込むグレイトマザーな元型の表れだ、といったように。そして、レヴィ=ストロース型と混同されやすいのがプロップ型の分析だ。レヴィ=ストロース型には構造主義的*1な変換の考え方が含まれているのに対して、物語の流れを見るプロップ型にはそれがない。例えば、桃

    蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学- - 日本昔話の構造分析
    t_kei
    t_kei 2007/07/09
  • セラーズが示唆するもう一つの道 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    アメリカの哲学者セラーズは知覚の構造と言語の構造との違いを強調する。言語の構造と知覚の構造とが同じであるとするのは、論理実証主義などに代表される古典的な説である。ウィトゲンシュタインが「哲学探究」の最初でアウグスティヌスを引用しながら批判している名づけ説、つまり個物があってそれに名前を付けると言う考え方、はそこから導かれる。セラーズがそれを批判しているのは確かだ。そこでセラーズ人は知覚に関する現象学的な理論の必要性を訴えている。しかし、セラーズ論文に序文を寄せているローティ(およびローティに言及されているブランダム)はそれを否定しており、その結果として採用する説が言語ゲーム一元論であり、その点でローティは相対主義だと非難されることもある。だからといって、主流の進化心理学者みたいに極端な普遍主義(生得主義)に走るのもあまりに真反対すぎて納得いかない。セラーズが示唆したのは別の道ではないのか

    セラーズが示唆するもう一つの道 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    t_kei
    t_kei 2007/03/08
  • 心の哲学の説明を試しに書いてみました - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    ネット上で心の哲学について調べていて、日のウィキペデアの記述のひどさに呆れ、そこからリンクされている日語の論文の説明にまずさを感じた(認知科学と人工知能は別でしょ…とか)ので、自分で心の哲学の説明を書く気になった(ネット上でデネットを消去主義とか言う無知もいたし、そりゃあクオリアは消去したかもしれないけどさ〜)。自信はないので、おかしなところがあったら指摘してください。とりあえず分析哲学系の何とか主義はかなり網羅させたつもり。 それにしても、認知科学と関連づけたら書きやすいな。他に意識やクオリアの問題もあるが、私にはあまり整理できてないのでやめておく(チャーマーズが哲学的な意識問題をまとめたとは思っているが…)。 心の哲学(暫定版) 心の哲学とは、心に関する様々な根底的疑問に答えようとする哲学の分野である。 心の哲学での主要な問題として心身問題が挙げられる。心身問題では心と身体とがお互

    心の哲学の説明を試しに書いてみました - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    t_kei
    t_kei 2007/01/25
  • あるテレビCMを見た感想 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    最近、ある人材派遣会社のテレビCMを見てショックを受けてしまった。電車で帰宅するOLが仕事上の悩みに一人で々としている様子をアニメで描いたCMだ*1。これが日のサブカルチャーとしてのビジネス・ブームの行き着く先なのだ、と。 1990年代の終わりごろに日ではITバブルが始まりヴェンチャー起業が話題になり、その頃にビジネス・ブームは始まったと言える。私の場合はテレビ東京のビジネス・ニュース番組が明るく様変わりになったのを見て最初にそれを実感した。評論家の宮崎 哲弥はビジネスがサブカルチャー化したと言っていた。その後、ITバブルがはじけても小泉ブームやホリエモン・ブームなどが続き、ビジネス・ブーム(&投資ブーム)は収まらなかった。実際に雑誌やテレビ番組にはビジネスものが異様に増えた。しかし、そんなブームが明るく終わるわけがなかったのだ。 今や、仕事の上で昔の日のように周りのサポートを受け

    あるテレビCMを見た感想 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    t_kei
    t_kei 2006/10/06
  • ピンカーの認知科学観 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    後で気になって、ピンカーの進化心理学擁護の「人間の性を考える」isbn:4140910100くってみた。あれは、前半の認知科学話は悪くないけど、後半はちょっとなぁと読んだ当時の感想として思った。改めて見ると、ピンカーの認知科学観ってけっこう偏ってる。そんなに認知科学は進化心理学寄りの話ばかりではなかったはず。認知革命の当事者で文化心理学を立ち上げてたブルーナーもいるし、生成文法に対立して現われた認知言語学も無視されてる気がする。だいたいコネクショニズムを批判することでピンカーの認知科学観は成り立っているのだから無茶苦茶だ*1。それは「あなたの」認知科学観でしょ!ピンカーは研究者としては一級なんだけどねぇ、ちょっとおしゃべりが過ぎる(もちろんそれを好む人は多くいるが)。ちなみに、ピンカーの想定する敵は極端な気がしてならない。アメリカって今でもそんなんなの?ただし言っておくが、ピンカーの

    ピンカーの認知科学観 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    t_kei
    t_kei 2006/09/03
    極端、というよりも、批判する場合の引用が脱文脈的すぎるし、恣意的なんだと思う。そして、それが「政治的」であることに気が付いていない。そこが、あの本の問題の一つだと思う。
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