最近は心を入れかえて?賃労働を最優先しているので、まったくなにもできていません。私用ふくめ労働力再生産日もけっこうつぶしています。やけのやんぱちを少しあらためて自分の生活を優先するとこうなるのだ、ということがよくわかりました。困ったもんだし、なさけないことですが。 こないだA誌の編集委員とのはなしのなかで言及したことなんですが、戦前、とくに1920~30年代の東京下町の中小労組がみな長時間労働にいそしみながら(たとえば印刷工の場合、10時間超なんてあたりまえ!)活動できたのは、実は家族的・隣近所的な共同性がいっていあったからじゃないのかな、ということがあります。単身者どもは組合事務所で自炊しながら雑魚寝してたりとか、小さい組合だとそういうところもあったわけで。そもそも事務所なんか「だれかんち」ってこともあったわけで、そうして誰かが働きにいってデヅラおとしてみんなでメシ喰う、これは「自由労働