ブックマーク / saisenreiha.hatenablog.com (13)

  • 博士論文紹介「1525-1534年ミュンスター宗教改革・再洗礼派運動 〜都市社会運動の総体把握の試み〜」 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    博士論文紹介「1525-1534年ミュンスター宗教改革・再洗礼派運動 〜都市社会運動の総体把握の試み〜」 私は昨年度東北大学大学院に博士論文を提出し、博士号をいただいたのですが、この博士論文について、少し紹介させていただきたいと思います。 課題 この論文で私が扱ったのは、論文のタイトル通り、ミュンスターの宗教改革と再洗礼派運動についてです。では、この論文は、他の宗教改革や再洗礼派運動研究とどこが違うのかと言えば、この論文が、運動の全体像を把握しようとしていることになります。 1960年代以降発達した宗教改革研究では、都市共同体に注目が集まりました。共同体の宗教的、さらには世俗的な自治権を拡大することが、都市で宗教改革を進めようとした市民たちの動機だったというのです。この考え方は、後にブリックレによって農村共同体にも拡張されました。 しかし、このような研究には大きな問題がありました。それは、

    博士論文紹介「1525-1534年ミュンスター宗教改革・再洗礼派運動 〜都市社会運動の総体把握の試み〜」 - ミュンスター再洗礼派研究日誌
    t_kei
    t_kei 2011/10/12
    興味深い。『非公式な領域で成り立っていた実質的合意が、公式な領域での形式的合意が効力を持つための前提条件になっていた』
  • 「孤独と貧困」再び - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    私は以前ドイツで公開された『Sommer vorm Balkon』という映画を見た際に、「孤独と貧困」という日記を書いたことがあります。これは、現代ドイツでも近世の都市でも、貧困に落ちる人々の多くが家族などの安定した人間関係を持っておらず、社会的に孤立していることについて書いた文章です。 この「孤独と貧困」あるいは「貧困と人間関係」というテーマは、社会的排除の核心とも言える重要問題なのではないかと、私は感じています。私は、昨年公刊した「宗教改革期ミュンスターの社会運動 (1525-35年) と都市共同体 ―運動の社会構造分析を中心に―」(「西洋史研究」新輯第37号、2008年、86-117頁) という論文で、ミュンスター再洗礼派運動の支持者の社会階層を分析しました。そこで明らかになったのは再洗礼派になる傾向が強かったのは、子供を持たない独り身の成人女性、家を持たない貧しい成人男性だった蓋然

    「孤独と貧困」再び - ミュンスター再洗礼派研究日誌
    t_kei
    t_kei 2009/02/19
    『単身、未婚、女性、母子家庭、高齢、若年、傷病などは、かなり普遍的に貧困と結びついている(…)そして、それは、これらの諸要素が(…)標準的な世帯からの逸脱であることに起因している』
  • グローバルCOEプログラム「社会階層と不平等教育研究拠点」公開講演会 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    さる2月7日土曜日に、東北大学のグローバルCOEプログラム「社会階層と不平等教育研究拠点」の開始記念式典と公開講演会があったので行ってきました。公開講演会と銘打ってあるので気軽な気持ちで行ったのですが、来場者のほとんどがフォーマルな格好をして来ており、受付で名札が渡されるなど、関係者以外が来ることを余り想定していない雰囲気だったので、少々申し訳ない気持ちになりました。 最初にCOEの趣旨説明や組織編成などが説明されていました。 最初の講演は、同志社大学の橘木俊詔先生による「格差社会の行方」でした。橘木先生は、最初に1998年の『日の経済格差』を出版した後生じた論争についてコメントをしていました。また、先生は絶対的貧困と相対的貧困を区別し、OECDの調査で算出された日の相対的貧困率15.3%は17.3%のアメリカに次いで先進国中第二位だったと述べ、絶対的貧困率が低いからと言って日貧困

    グローバルCOEプログラム「社会階層と不平等教育研究拠点」公開講演会 - ミュンスター再洗礼派研究日誌
    t_kei
    t_kei 2009/02/16
  • 北海道大学の社会心理学のCOE - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    山岸俊男先生が率いるCOEのサイトで、膨大な研究成果を見ることが出来ます。 グローバルCOE「心の社会性に関する教育研究拠点」 21世紀COE「心の文化・生態学的基盤」 北海道大学社会科学実験研究センター また、北大の若手研究者による以下の論文集は、歴史学の研究にも参考になりそうです。 煎 孝・高橋伸幸・山岸俊男 編著「集団生活の論理と実践―互恵性を巡る心理学および人類学的検討」 まえがき 第1部 心の社会性への2つのアプローチ 第1章 人類学的アプローチによる心の社会性 第2章 人間社会の特徴としての社会的交換 第2部 心の実験とフィールドワーク 第3章 小型沿岸捕鯨社会の規範と捕鯨者の心 第4章 文化と心の相互関係―鍛冶屋利用者の利用習慣によって形成されるビシュヌプルと秋田の鍛冶屋の心の相違― 第5章 西シベリア地域の通過儀礼・変化・集団維持機能 第6章 生活におけるオシラサマの祭−

    北海道大学の社会心理学のCOE - ミュンスター再洗礼派研究日誌
    t_kei
    t_kei 2008/05/07
    メモ。興味深い。
  • 山岸俊男の論文とインタビュー - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    の社会的ジレンマ研究の第一人者である山岸俊男先生のサイトで、過去に発表された論文がpdfファイルでダウンロードできます。 審査付き論文 紀要論文 また、「日刊イトイ新聞」で、長文のインタビューがありました。 信頼の時代を語る。山岸俊男さんの研究を学ぼう。 たぶん、集団を作って、 その中だけで生きていくのは、 すごく簡単な生き方なんですよね。 西洋が、なぜそういうやり方をしないで 集団の境界を弱めて、効率をよくしようとするか? ・・・そこに興味があるんです。 その原因としては、基的には 商業的な考え方から、来ると思います。 集団の中にある限界を定めて、 その中で人々を支配する人にとっては、 集団主義はむしろ都合のいいシステムなのですが、 そうやって集団の境界を定めてしまうやり方は、 商業にとっては、完全に「敵」になりますから。 「第3回 人類史上、99.9%が集団主義の社会だった・・・

    山岸俊男の論文とインタビュー - ミュンスター再洗礼派研究日誌
    t_kei
    t_kei 2008/05/07
    メモ。興味深い。
  • 貧者の名誉と尊厳 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    先日「貧者の尊厳」という日記を書いたところ、id:sumita-mさんからトラックバックを頂きました。自分の研究関係の日記に言及を頂くというのは、おそらくこのブログ始まって以来の出来事なので、嬉しく思うと共に、恐縮しております。 非常に示唆に富む文章だと思う。ただ、「名誉(honor)」と「尊厳(dignity)」という2つの概念をほぼ交換可能なものとして使っているのはどうかなと思う。というのも、ピーター・バーガーはこの2つの概念を近代社会と前近代社会(伝統社会)を分かつメルクマールとして使用しているからである。 (中略) ここでの引用に付け加えれば、重要なのは、個人を「役割」に結びつけることによって、より宗教的に言えば様々な守護聖人を介して神へと結びつけることによって、居場所を与えていたコスモロジーが、それを支えるplausibility structureとともに、機能しなくなった、或

    貧者の名誉と尊厳 - ミュンスター再洗礼派研究日誌
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    t_kei 2007/08/13
  • 貧者の尊厳 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    少し前に話題になった赤木智弘さんの「『丸山眞男』をひっぱたきたい」と「続『丸山眞男』を ひっぱたきたい」」がネットで公開されていました。 この文章は、社会的尊厳を得られない者が、社会的尊厳を得るためには、日人であるという属性だけで尊厳と社会的承認が得られる右派が力を持った方が合理的であり、社会的エリートに対してより優位な立場に立ち、より多くの尊厳を得るためには、戦争という流動的な状況の方がより合理的であることを説明したものです。つまり、現在の社会的弱者が、他人からの承認を得たい、尊厳を回復したいと思った場合、戦争を望むインセンティブが発生するので、そのようなインセンティブが発生しないような社会を作った方が良いですよと勧めている文章です。 基的に、現在の社会の問題を強調するための極論なのですが、私がこの文章の中で面白いと思ったのは、ここで問題になっているのが、物質的条件そのものではなく、

    貧者の尊厳 - ミュンスター再洗礼派研究日誌
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    t_kei 2007/08/13
  • 00年代に鬱病患者が激増 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    Socioarc さん経由で、おなじみの「社会実情データ図録」さんの「うつ病・躁うつ病の総患者数」に関する統計を見ました。 1996年には43.3万人であった総患者(調査日には通院しなかったが前後に通院している者を含む)は1999年には44.1万人とほぼ横ばいであったが、その後、2002年には71.1万人、2005年には92.4万人と6年間で2倍以上に増加しているのが目立っている。 ストレス社会が21世紀に入って別次元のレベルに深化したのではないかと推測される。 (中略) 総患者数が増加した1999年から2005年にかけての男女・年齢別の増加数を見てみると、男女とも30歳代の増加が最も多くなっている。 1999年から2002年にうつ病患者が激増していますが、この時期は、まさに日の不況が最も厳しく、労働市場の状況が最悪だった時期に当たります。30代で特にうつ病患者が増加していることを鑑みて

    00年代に鬱病患者が激増 - ミュンスター再洗礼派研究日誌
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    t_kei 2007/07/18
  • 「宗教研究」の論文が無料公開 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    宗教学会が発行している学術雑誌「宗教研究」が、CiNii で無料で公開されています。そのため、読みたい論文を、pdf ファイルで気軽に読むことが出来ます。個人的には、これらの論文や報告が面白そうだと思いました。 住家 正芳「宗教社会学理論における「市場」 : 宗教の合理的選択理論批判」 深澤 英隆 「全体会議V「宗教研究の方法と宗教理論」報告 第19回国際宗教学宗教史会議世界大会 特集:宗教-相克と平和」 山田 政信「ブラジルにおけるネオペンテコスタリズムの伸展」 ロング チャールズ・H 「宗教研究の理論と方法 : 宗教研究の新たなアルケー(宗教の概念とそのリアリティ)(特集:第六十二回学術大会紀要)」 以前ご紹介した学会のパネル・ディスカッションの報告も載っています。 渡辺 光一「人文科学研究におけるモデル化の意義(宗教における「語りえぬもの」と「示しうるもの」,パネル,特集:第六十

    「宗教研究」の論文が無料公開 - ミュンスター再洗礼派研究日誌
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    t_kei 2007/07/09
  • アメリカファンダメンタリズムと「包囲された伝統」 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    私が、ドーキンスの『The God Delusion』で良く分からないと思ったのは、ドーキンスの宗教に対する強い危機感です。宗教の力がまだ強固な、世俗化がそれほど進んでいない国ならともかく、現在の日やヨーロッパ諸国で宗教が社会を揺るがすような危険性を持つかと言えば、全く持たないでしょう。ドイツなどは、政権与党のCDU/CSU がキリスト教系の政党ですし、社会に害を与えるどころか、むしろ社会を支える側に立っているわけです。イスラム原理主義との文明の衝突も、日では全く、ヨーロッパでもそれほど差し迫った問題でもないでしょう。そのため、ドーキンスの危機感は、余りに特殊アメリカ的過ぎて、日人やヨーロッパ人には理解しがたいところがあるのではないかと思います。 果たしてドーキンスがあれほどの危機感を抱かねばならなくなったアメリカの状況というのは、いかなるものかを知るためには、ファンダメンタリズムの

    アメリカファンダメンタリズムと「包囲された伝統」 - ミュンスター再洗礼派研究日誌
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    t_kei 2007/02/26
    興味深い。
  • 幸福の神義論 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    幸福な人間は、自分が幸福をえているという事実だけではなかなか満足しないものである。(中略)彼は、自分より幸福でない者が、自分と同じだけの幸福を持っていないのは、やはりその人にふさわしい状態にあるにすぎない、そう考えることができれば、と願うようになる。自分の幸福を「正当な」legitim ものたらしめようと欲するのである。もし「幸福」という一般的な表現をもって名誉・権力・財産・快楽等のあらゆる諸財を意味せしめるとすれば、この幸福の正当化ということこそ、一切の支配者・有産者・勝利者・健康な人間、つまり幸福な人びとの外的ならびに内的な利害関心のために宗教が果たさなければならなかった正当化という仕事のもっとも一般的な定式であり、これが幸福の神義論 Theodizee des Glückes とよばれるものである。 マックス・ヴェーバー「世界宗教の経済倫理 序論」(マックス・ヴェーバー著、大塚久雄・

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    t_kei 2007/02/14
  • 孤独と貧困 - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    先日見たドイツ映画『Sommer vorm Balkon』は、下層に生きる都市民の孤独を描いた映画でしたが、実は、歴史的に見ても、貧困と孤独は密接な関わりがあります。 私は下層民研究の専門家ではなく、中世末から近世までのドイツの都市についてわずかばかりの知識を持っているだけですので、全体的な記述は眉に唾を付けて読んでいただければと思いますが、当時の都市の貧民の代表は、独身者、特に独身女性だったということは確実に言えます。 これは何を意味しているかというと、当時は社会の正式なメンバーとして認められる基的条件に結婚することがありました。しかし、結婚は通常、ある程度の経済的条件が揃ってから行われました。逆に言えば、経済的基盤がない人間は、なかなか結婚が出来なかったと言うことです。 たとえば、近世において、早婚なのは貴族や上層市民の子弟、晩婚なのは下層民の子弟でした。そのため、親方になれない職人

    孤独と貧困 - ミュンスター再洗礼派研究日誌
    t_kei
    t_kei 2007/02/12
  • 排除系オブジェ - ミュンスター再洗礼派研究日誌

    重森さんのブログで、大阪の長居公園のテント村が、行政により強制的に排除されようとしていることを知りました。 長居公園行政代執行に対する研究者声明 長居公園テント村住人による大阪市に対する弁明書 重森さんも、人事だとは思えないと書いていますが、私も全く同感です。博士課程の学生と言えば、「末は博士かフリーターか」という標語を作りたくなるくらい、フリーターやニートと近い存在ですので、私が将来ホームレスになる可能性は、洒落にならないほど高く、ホームレスの方々の身に降りかかることは、全く人事とは思えません。 最近非常に気になっているのが、所謂排除系オブジェです。排除系オブジェとは、たとえば公園のベンチでホームレスが寝れないように、ベンチの真ん中に付けられた柵のような、人々をその場所から排除するために作られたオブジェのことです。この排除系オブジェの写真は、「ベンチの仕切り研究会」さんのサイトで、沢山見

    排除系オブジェ - ミュンスター再洗礼派研究日誌
    t_kei
    t_kei 2007/01/30
    野宿者を排除するためのオブジェについて。
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